清らかな濁流

「あぁ、あの黒髪赤目の奴?妙に戦闘について知ったような雰囲気だして、なんか腹立つよな」

ふと飛び込んできた言葉だった。黒髪赤目なんて他に何人か思いつくし、珍しい方でもないだろう。そう思ってかき消そうとしたのに、次の言葉が決定打となった。
「おいやめろ、聞こえるぞ」
思わず周りを見回した。おれの他に、黒髪赤目はいなかった。
あぁおれのことか、と悟った途端、急にアズサに触れたくなった。なぜか、無性に。
あいつはいつも、おれを肯定してくれる。おれだけじゃない。何かを否定しているところをあまり見ない。いつもニコニコ笑っていて、だけどその目はどこか泣いている。その事に、おれしか気がついてないと知って、その時の高揚感たらなかった。
気がついたら駆け出していた。速く、少しでも早く、アズサのところへ。ヒヤリと冷たい空気が喉を刺す。それでも少しも苦しくなかった。とにかくはやく、あの満月のような笑顔が見たかった。


「やあ、おかえり」
彼女は笑っていた。本から目を離すと、肩で息をするおれを見て、驚いた後にまた笑った。
「どうした、走ってきたのか?そんなにボクに会いたかったの?」
「ああ、会いたかった」
言いながらぎゅうと抱きしめた。強く、強く抱きしめた。アズサは戸惑いながらも背中に手を回してくれた。ふわりと香る甘美なフルーツのような香りが心地好い。
「遊真、だいじょうぶだよ」
「ウン、ああ、だいじょうぶだ」
何も言わないのに、何も聞かないのに、肌で全てを感じ取ってくれる。おれがこんなに弱いとは思わなかった。アズサが、こんなにも、こんなにも愛おしいとは、やっぱり気づいていなかった。
ぐ、とそのままアズサを抱き上げると、おれはベッドにそっと寝かせた。戸惑いに揺れる瞳を無視して、おれは問答無用で深く、深く口付ける。む、と彼女の口から声が漏れた。本能的か、そうでないのか、細い手足が少し抵抗した。ちょっとの力で押さえるだけで、彼女は抵抗の術を失う。所詮か弱い女の子だ。よくもまあ、こんなに脆い小さな蝶に、傭兵なんかやらせたもんだとおれはしばし憤った。
やっと口を離してやると、荒い息が彼女のその艶かしい唇からあふれでた。それがまたおれの中の何かを確実に刺激して、俺はもう一度、今度は軽く口付けた。
「……なんの、つもりですか」
呼吸を整えながら、ほんの少し涙目になったアズサが言った。
「腹いせ」
おれがそう言ってやると、アズサは案外驚かなかった。あらかた予想はついていたのか。相も変わらず侮りがたい。はあ、と軽くため息をついた。
「仕方ないから添い寝してあげよう」
「かたじけない」
彼女はパーカーを脱いでイスに放り投げ、そのまますぐに灯りを消した。
おれはアズサを腕の中に閉じ込めて、アズサはおれの胸に鼻を押し付けた。二つの鼓動がとくとくと重なる。同時に伝わってくる彼女の温度は、ひんやりと、氷のように冷たかった。包み込んで温めたくなる。そんな温度だ。そんなふうにか弱い少女だ。そうだ、そういうところに惹かれたんだ。だからおれは何よりも、抱きしめたいと思ったんだ。
長く艶やかな髪に、大きくて金色の瞳。長いまつ毛、細い手足、右の手の甲のホクロ、爪の形。この人以外に考えられなくて、この人でなくてはダメなんだ。
「おやすみ、遊真」
もう半分くらい夢の中にいるような、くぐもった甘い声で、確かにそう聞こえた。
アズサの方がずっと眠かったのか。おれの帰りを、もしかして待っていてくれたのか。
降ってきた夜の静寂と、行き場のなくなった高揚感と、憤りと。渦巻くその全ては、すやすやと腕の中で眠る愛する人の寝顔で、なんだかどうでも良くなった。
少なくとも、そんなふうに思えるほどに、おれはアズサが好きなんだ。

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