らぶれたー

夜も更けて、みんな寝静まった頃。眠れない私のところに、睡眠の必要が無い空閑が遊びに来る。いつしかそれが日課になって、私はそれから、睡眠薬を使わなくなった。

トントン、とノックが聞こえた。はあいと返事をすると、チラリと顔を出したのはふわふわした白髪の空閑だった。時計はもう深夜零時を回っていた。
「いらっしゃい。座んなよ」
招き入れると、彼はちょこんと、机を挟んで私の正面の丸椅子に座った。
「今日は何したい?」
私が机の上の物を端に寄せながら尋ねると、彼は少し悩んで言った。
「てがみ、とやらを書いてみたい」
あんまり意外だったので、私は彼の顔を凝視してしまった。
「へえ、なんでまた」
重ねて尋ねると、どうやら学校でお礼状がどうとか、そんな話をしたらしい。便箋なんてあったかしらと引き出しを漁ったら、封を切っていないものが残っていた。四つ葉の装飾が控えめに施されている。そういえば、何度か母に手紙を書いたっけ。
「じゃ、これをあげよう」
「ありがとう」
頭に相手の名前を書くこと、最後に自分の名前を書くこと。ルールなんてあってないようなもので、名前さえあればあとは自由だと教えた。
黙々と、手を動かしては止め、動かしては止めを繰り返す彼を眺めながら、私は何度も読んだ小説を、また目で撫でるように見ていた。
外は雨風が強かった。風が強く強く吹き荒れ、木々や窓ガラスを揺らすような。そんな音が聞こえてくるようだった。いつもならこの時間、闇の中にポツリポツリと浮かぶ家の灯りが、地上に降りた星のように輝いている。けれども今日は、窓を開けることも出来ない。強い雨足のせいで、灯りも美しくないだろう。
「なあ、スズ」
「ん?」
「その本、面白いのか?」
彼が言った。目線は手紙に落としたままだった。
「面白いよ」私も視線を上げずに答えた。「どうして?」
興味があったのかしら。そう思って聞いた。
「いつも読んでるから」
思わず本から顔を上げた。細かいことに気づく人だ。そんなに見られているとは思っていなかった。
「よく見てるね」思ったまんま口に出すと、彼は少しだけこちらを見た。
「嫌か?」
その目があんまり子犬みたいで、思わず少し笑ってしまった。
「ぜんぜん、そんなんで嫌とは思わないよ」
「そうか」
彼はまた視線を手紙に戻した。
「ところで、誰に書いてるの?」
「スズ」
「ん?」
呼ばれたのかと思って返事をした。けれどそのまま言葉を続けないから、私のした質問の答えが、私だったんだとやっと気づいた。
「え、僕宛て?」
「ああ」彼は言った。「へええ」私も言った。そう答えるのがやっとだった。なんだか胸がじんと熱くなって、ははあ、子を持った親というのは、こんな気持ちなのかもしれない。なんの根拠もなく、そう思った。
「なあスズ、寝なくて平気か?」
今度はちゃんと、始めから私の目を見て言った。私の身を案じてくれているのがよく伝わってきた。
「だいじょうぶ。昨日寝たもの」
一度寝てしまえば、三日は平気だ。そうか、と彼は言って、また手を動かし始めた。
彼は、綺麗で、温かくて、冷たくて、どこか機械じみている。だがそれでも、今みたいに心配してくれる。そんな人間くさい部分が垣間見える度、私は妙に安心できた。

いつの間にか、窓の外は静かになっていた。既に時計は四時すぎを指していた。
「できたぞ」
「おお、おつかれ」
私宛てだというその手紙は、丁寧に封筒にいれられ、封まで閉じられていた。
「はい、ドウゾ」
彼は両手で、私にそれをくれた。私も両手で受け取った。
「らぶれたー、です」
部屋を出る直前、彼は確かにそう言った。じゃ、ありがとな、と言って彼はそのまま出て行った。私はしばらく動けなかった。彼がくれた可愛らしいそれが、急に、なんだかずしりと重たいものに思えた。

何度か迷って、迷って、時計が六時を指した頃、私はやっと封を切った。切って、読んで、拍子抜けした。ラブレターというから、どんな甘い言葉が並べられているかと思いきや、そこに綴られていたのはたわいもない話だった。
例えば、小南ちゃんのカレーが美味しかっただとか、学校に行く途中の道の花が綺麗だっただとか。少し期待しただけに、なんだかとても、拍子抜けした。
その、可愛らしい字形で連ねられた文章を、私はまた指でなぞりながら、一から読み直した。何度も、何度も読んだ。読む度に、暖かさは増していく気がした。その時、ふと感じた。はあ、これはもしかしたら、いつか彼を好きになってしまうかもしれない。恋というものは、一度落ちたらまっしぐらだと思っていたけど、私はきっと、こんななんでもない会話を彼と交わすうちに、だんだんと好きになるんだろう。そんな予感が、私の中に確実に生まれていた。
私は彼の手紙を綺麗に折りたたんで、戸棚に丁寧にしまった。
今日、また彼の顔を見た時に教えてやろう。言葉選びには気をつけなさい、と。世間話を指す言葉じゃないんですよ、ラブレターは。

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