神に愛されなかったんだな。

支部へ戻ってくると、ジンさんしかいなかった。空閑はカゲさんのところで夕食、と言っていたし、もう遅い時間だからみんな帰るか寝るかしてしまった。
ジンさんはソファで何かを飲んでいた。恐らくホットミルクだろう。いつもの後ろ姿だった。
「ジンさーん」
視えているんだろうなあ、と思いながら、後ろから彼の目をてのひらで覆った。
「だーれだ」
「えー、だれだろうなー」
うふふ、と私は笑って、彼の隣に腰掛けた。
「梓も飲む?」
彼はカップを示して言った。中身はやっぱりホットミルクだった。
「んや、いいや。それよりジンさん、慰めておくれよ」
「なんだなんだ、どうした?」
「空閑にフラれちゃってさ」
ジンさんが盛大にむせた。これは視えていなかったのか。さすさすと背中を撫でると、彼は難しそうなカオを私に向けた。ほほう、おもしろいな。
「いやね、ランク戦しないかって言ったら、しゅんと先約があるから、と断られてしまってね」
ジンさんはミルクをすすった。その表情からは安堵の色が見て取れた。そこまで動揺しなくても。私がそんな爆弾を落とすワケがあるまいに。
「そいで、ちぃとばかし暇になっちゃったのさ。ねーえ、ジンさん構ってよぉ」
彼は最後のミルクを飲み干してカップをテーブルに戻すと、「そうだ」と言って私を見た。
「夜のさんぽでも行くか?コンビニまで」
「ほんと!?わーい!」
パッと上着をはおってマフラーを巻いて外に出た。しまった、手袋を忘れた。けれどジンさんがもう外にいたから、まあいいかと思った。
「寒いねえ」
「だな」
だらだらと歩いていた。時刻はもう夜の11時を回っていた。
不意に、角の向こうに明かりが見えた。正体は、自転車に乗ったおまわりさんだった。
「どこ行くの?」
僕らの前で止まって、ぶっきらぼうにそう言った。ジンさんは笑顔で「そこのコンビニまで」と答えた。
「早く帰るんだよ」
はーい、と2人して返事をして、街灯が照らす道をまた歩き出した。頬を撫でて去る風が、ひんやりと冷たかった。
「この国は優しいね。子供は守られるべき、が当たり前になってる」
「そうじゃない人もなかにはいるさ。それが事件になることも度々ある。」
「銃を握らせるよりはいくらかマシだ」
ジンさんが押し黙った。しまった、また間違えたか。僕が気にしていないようなことでも、この人たちはすごく気にかける。みんな優しい人だ。誰かのために傷つくことを、躊躇わないくらいには。
「ごめんごめん、ジョークだよ」
「笑えないって…」
これは悪いことをしたな。相手がオサムくんでなくてよかった。ジンさんで深読みするなら、オサムくんはもっとする。気をつけなくては。
開いた自動ドアをくぐり、ジンさんとたわいもない話をしながらお菓子やらスイーツやらをカゴに放り込む。レジで肉まんをひとつ買って、近くの公園のブランコに、ジンさんと並んで座った。湯気のたつ肉まんを袋から出すと、吐く真っ白な息が一層目立った。冷えた指先が肉まんの熱で急に温まって、じんじんと痛かった。
「梓はさ」
「うん?」
彼は私を見ないまま、彼が買ったピザまんを見つめながら言った。
「楽しい?最近」
冷えきった冬の夜の中に、ピンと糸が張ったように思えた。一瞬息が止まったが、すぐに吐いた息はやっぱり白かった。
なんだ、その無駄な問いは。
「うん、楽しいよ」
私は皮肉な程に笑顔で言った。ああ、皮肉のつもりだった。彼はただ、「そうか」と言ってピザまんをかじった。その横顔は、きっと何か視えたのだろう、悲しそうな顔をしていた。
「逆に聞くけどさ、ジンさんは?毎日無理してない?」
彼は一瞬目を丸くした。が、すぐに笑った。ほらみろ、私も彼も大差ない。
「してないしてない、大丈夫だよ」
「ね、わかったでしょ」
ジンさんはもう驚かなかった。ただ感情を悟らせない瞳で、こちらを見ていた。
「聞かれたところでバリア張るしかないんだよ。質問者が思ってる億万倍は重たい話だ」
吐き気がするほど寒かった。いや、寒さのせいではないかもしれないが。
「何があったんだ?」
「………………聞いてなかったの?僕の話」
「聞いてたよ。だから質問してる。さっき言ってただろ?「慰めてくれ」って」
はあ、そういえば、そんなことも言ったかしら。なんで言ったんだっけ。そんな余計なことを。ほんとうに不便な口だ。そうさせたのは心だったか。心なんて無ければどれだけ楽かと、考えない日はない。
「………べつに、何があったとかそういうんじゃないよ。なんだろ………蓄積?日々のさ。もうやんなったの。いろいろと。」
「そんなに頑張んなくてもいいんじゃない?みんな、おまえが思ってるほど、おまえをじっくりみちゃいないよ」
思わず彼の顔を見た。いつもの優しい笑顔だった。夜の闇に消えてしまいそうな危うさを秘めていて、それでいて存在感があって、人の心に妙に留まる。ああそうだ。この人は、そういう人だ。
「…そうかも。うん、そうだね。……………そうだね」
ぐん、と喉に込み上げた何かを、ミルクティーと一緒に飲み込んだ。
彼のその言葉が、優しかったかどうかはわからない。しかし、私の重荷の紐を解くには充分だった。どうしてわからなかったんだろう。こんなに簡単なことなのに。
「はい、次ジンさんの番ね!」
ばかみたいに明るい声を出した。これはもう意図的に。そうでもしないと、口をついてでる言葉が弱音弱音で埋もれそうだったから。
「えー、おれの番?」
そうだなあ、と考えながら、彼はピザまんを頬張っていた。私は察した。この人、話す気ないな。頼りにしていない、というわけではないのだろう。ただ、周りを傷つけたくないだけ。たぶん。しかしやっぱり、頼ってくれないというのは、それはそれで傷つく。言わないとわからないだろうけど、私から言う気は無い。言わないで横から見ている方が楽しそうだ。そして、楽だ。たぶん、お互いに。
「僕さ、ジンさんみたいなサイドエフェクトじゃなくてよかったって本気で思うよ」
僕じゃ耐えられないと思う、と付け加えると、彼は乾いた声で笑った。きっと冬のせいだ。乾燥しているから。
「おれも、梓みたいなサイドエフェクトじゃなくてよかったよ」
「どして?」
「全部残ってるんだろ?忘れたいようなこともさ」
すぐに返事が出来なかった。まあ、それはそうなのだけれど、慣れれば別にどうってことない。忘れたいことは山ほどある。あるけど、無視する術を、だいじょうぶだよと笑う術を、私はちゃんと知っている。だから特にどうってことない。ジンさんが思ってるほど、苦しさを伴うものじゃない。
「案外楽だよ、慣れれば便利さ。これが無かったことがないから、無ければよかったとも思わんな」
「無かったことないから、なければよかったって思うんだろ」
「ジンさんは思うの?」
「いや?思ってないけど」
ほらみろ。ジンさんだって同じだ。受け入れたから、まあ仕方ないかと思えたから、今は案外瀕死でもない。しかしそれが蓄積されると、まあ話は変わってくるわけで。
これが、「思ったことがない」わけじゃない。ジンさんだって、「思ってない」と言った。今は思ってないだけで、過去に1度くらいはあるのだ。サイドエフェクトは体というか、心の一部だ。手放すには胸にナイフでも突き刺すか、首に縄でもかけるしかないんだよね。
「梓、死にたくなったことある?」
今まで咀嚼していた肉の味がしなくなった。冷たい消しゴムが、舌の上を転がっているようだった。足先から冷たくなる感覚を、何かが這ってくるようなその感覚を、私は無視できなかった。
「……未来の僕はなんて言ってる?」
「…あー、答えてくれそうにないな」
「じゃあお答えしよう」
ザッと勢いをつけて立ち上がると、反動でブランコがきいきいと揺れた。いっぱいに吸い込んだ空気が肺を刺す。振り返って彼を一瞥すると、予想通り笑っていた。お世辞にも、楽しそうな笑みとはいえなかった。
「視えた?」
「ああ、視えたよ」
「つまりそういうことさ」
彼が最後の1口を飲み込んだのを確認してから、私はいっぱいの笑みをつくった。
「ねえ、あとひとつだけ、ワガママ聞いてくれる?」
「ん、なんだ?」
「抱擁していただきたい」
ジンさんはまたカラカラと笑った。視えていたようだ。彼は優しい瞳で私を見た。そこには僅かに憂いが隠れていた。
「今日は甘えただな」
言いながら、彼はぎゅうと抱きしめてくれた。爽やかな、ミントのような香りがした。はあ、私はまた、人の暖かさを忘れていた。長らく人に触れていなかったせいだ。触れるというのは肌ではなくて、心に。私とジンさんだって、直接心に触れ合える訳では無い。けれど、すりガラス越しで、というくらいなら、裸でいられる。
一定の速さで脈打つ、彼の心音が聞こえた。ああ、やっぱりそうなんだ。私は、誰かに抱擁されなければ、明日も生きようと思えないんだ。
この世界はとんだ地獄だな。仕方ないから愛してやる。

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