捨て、捨てられ。

彼女―涼宮梓と関わったことのある人間は、皆彼女をこう言うだろう。特筆する程の特徴もない、平凡な少女だった、と。


彼女は言った。もう日も傾き、図書室内はオレンジ色の光に包まれていた。
「苦手なんだよね。褒められるの」
俺は思わず手を止めて、彼女の顔を見た。彼女もまた俺の顔を見ていた。逆光で、表情はよく見えなかった。
「ひねくれてる、って思った?」
彼女が静かに近づいてきた。足音が全くしなかった。彼女の存在が、ほんとうにそこにあるのか。そんなあほらしい漠然とした不安を、俺は無視した。
彼女は笑っていた。いつもの笑顔だった。自然な笑みで、しかし嬉しそうではなかった。可愛らしい笑顔にしか見えなかったが、なんとなく、その裏側に、自分への嘲笑めいたものが隠されている気がした。
「いや、俺も…わかるかも」
彼女が少し目を見張った。すぐに感情を悟らせない無表情に戻り、そして笑った。「そう?」と言った彼女の笑顔からは、俺の返答への期待は見受けられなかった。ただの世間話なのか、あるいは、お前になんか理解し得ないだろう、というある種の諦めか。
「褒められれば期待されるし、その分だけ負担になるから」
本心だった。何度も経験したことだ。勝手に期待したくせに、こっちが少しでもミスをすると落胆する。見ているだけ無駄だと、なぜ彼らは気づかないんだろう、と今も疑問だ。
「やっぱりみんな、そう思うんだね」
彼女は俺から顔を逸らして、また本の整理に戻った。その顔はやはり笑っていた。俺の返答が正解だっかはわからかい。しかし、大きく的を外していたわけでも無さそうだった。
彼女は、涼宮梓は可愛らしい。美人、だと思う。しかし、外見の特徴なんて、かかわり合いの深い相手でなければ、はっきりとは記憶に残らないものだ。彼女は成績も優秀だったが、それもまた然りである。その人物に焦点を当てなければ、余程目立つ特徴(例えば、身長が2メートルだとか、珍しい楽器が演奏できるだとか)でもない限り記憶されることは滅多にない。だからこそ、俺は彼女の姿を目に焼き付けた。一生涯、この女性を忘れないように。



はあ、とついたため息は、白くなって空へ消えた。まあ、そうだよなあ、とさっきから、自問自答しては、自分の答えに納得する。それを繰り返していた。
『苦手なんだよね。褒められるの』
なぜあんなことを、ただのクラスメイトでしかない彼にこぼしたのか。理解してもらえるとでも思ったのか、私は。
またこの世界を過信しすぎていた。自分だけが浮き彫りになったこの世を、私はとっくに受け入れたとばかり思っていたが、全くそうではなかったようだ。今となっては不思議である。一体どうしてこんな世に、何を期待していたのだろう。私という存在を肯定するものなど、世界中どこを探しても、存在し得ないというのに。
私は、この日本という国で生きることになってから、学校という環境で、誰の記憶にも残りたくなかった。だから初めのうちは、必要以上の会話は避け、昼食も1人でとり、休み時間は本を読む。そうやって過ごした。しかしじきに気づいた。私はそうやっていると、尚更人の目を惹きつける。その原因は、母の遺伝子が大きく表れたこの顔立ちだった。平均をやや上回る形で、さらに転校生という特別的要素がスパイスの働きをし、過剰に他者の「気になるし話したいけどクールだから話しかけられない」という意識を強めてしまった。自惚れで言うわけではないが、いわゆる高嶺の花、というものに類すると思う。
私はこの顔が嫌いだ。思い通りにいかないから。見せたくないような顔も、恥ずかしげもなく外へ晒す。その制御が出来ないことが少なからずある。だから憎い。嫌いだ。そうさせる原因である感情や心だって、できるものなら捨ててしまいたい。重たくて思い通りにならないそれを、大事に抱える連中の気が知れない。
とにかく私は、他人の記憶に残らないように務めた。その1番の方法は、平凡な少女になることだった。本音を飲み込み、女の子が言いそうなことを言った。他人の話に相づちをうち、自分のことを自ら話すことはなくなった。そうやって私は道化になった。きっと素質はあったのだろう。案外楽しかった。
記憶に残らないようにするには、相手の機嫌を損ねてはいけない。だから私は、相手の全てを程よく肯定した。「いいと思う」「私は好きだよ」などという曖昧な言葉で包むだけで、彼らはしっぽを振って喜ぶ。それを続けて、しばらくもしないうちに、私は人に囲まれるようになった。皆肯定してほしいのだ。結局それしか頭にない。そうされないと生きられない。
まるで蛍光灯に群がる蛾のよう。惨めで醜い。人に縋ってでも、他者を蹴落としてでも自分が上へ上がり、自らの欲求を満たし、口では綺麗事を吐いても心の奥底では自分中心。それが人間だ。吐き気がするほど醜い。そういった連中を相手にしていると、こちらまで惨めったらしくなる。しかしその世界は、私には似合っているのかもしれなかった。いや、この世に自分の似合う場所を見つける時点で、それは自惚れか。
この世には、嫌いなものが多すぎた。この顔も、声も、体つきも、足の大きさも、構成する言葉も、全てに対して嫌悪感が沸いた。愛せるものなんかなかった。なくてよかった。そんなものがあったら私は、希望を持って生きてしまう。私はそうやって生きてはいけなかった。許されてはいけなかった。世の全てを呪いながら、首を吊る隙を見計らいながら、綱1本の上を辛うじて歩む。それくらいがちょうど良かった。社会不適合者には、それがピッタリに思えた。

私は飛び抜けて頭が良すぎた。
この世の全てがアホらしく、馬鹿らしく思えて仕方がなかった。「わからない」を恥じない連中の気が知れなかった。クラスメイトが嬉嬉として語るバンドの話も、コスメの話も、煩わしいノイズだった。
私は地獄を生きていた。そうでなければいけなかった。私は、地獄を生きなければならなかった。

私は、私のせいで、人を1人殺したから。

世界で最も愛した父が、私のせいで死んだ。彼が生きているべきだった。彼は順応できる人で、いっときこそ社会に馴染むことに悩んだが、私の知る父は、どこでだって気ままに振る舞える素敵な人だった。彼が生きていた方が良かった。いっそのこと、全てなかったことにしてほしかった。私が生まれたことから、今までのことまで、全て。まっさらにしてほしかった。けれどそう願ったところで、叶うはずはない。自ら死に向かうことはしなかった。死は、私にとって救いでしかないから。私は救われてはいけない。地獄を生きなければいけない。ゴミ処理場のゴミとして、醜いヤツらと共に、醜く流れていかなければならない。

この世界は地獄である。
ああ、嬉しい悲鳴だ。

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