碧葉さんが妖怪に関わらなかった世界線の話
物心つく前から、
見えるということは、まあ人によるけれど、感じ取れるということでもある。目の前にいるその人が、ヒトではないと知ることなんて容易かった。出会った瞬間に気づいた。ああ、この世のものではないものが混ざっている、と。彼の口からはっきりと聞いたことはないけれど、私はほぼ確信している。完璧な人間には裏があるものだ。それにしたって、その〈裏〉は、南野秀一という1人の少年が背負うには、重たすぎるのではないかと思うが。
「碧葉さん」
「ああ、南野くん」
おはよう、と声をかけると、おはようございますと笑うのだ。この笑顔が妖怪の、酷く歪んだ精神から生まれたものだとはとても思えなかった。妖怪だって色々いる。彼は優しい怪異なのだ。私は、そう、信じたい。
学校までの通学路を、たわいもない話をしながら歩いた。彼からはいつも、ほのかにバラの香りがする。
「……碧葉さん」
突然黙ったかと思えば、彼は足を止めた。神妙な面持ちで、少し俯いてしばらく視線を泳がせていた。
「言わなくちゃいけないことがあるんです」
「……何?」
どうして今なんだろう。誰に問うわけでもなく、私は心の中で呟いた。簡単だ。彼は地獄に片足を入れている。もうすぐ、死んでもおかしくない場所へ行ってしまうのだ。今打ち明けるというのは、そういう事だ。
「オレ、実は妖怪なんです」
信じられないだろうけど、と彼は付け足した。
どうして私に言うの?言わなければいいのに。何も言わないまま行けばよかったのに。絶対、探してなんかあげないのに。
彼の顔から目を逸らして、私はまた進行方向へ視線を戻した。そのまま、「そうか」とだけ答えた。
「……知ってたんですか」
ほとほと恐ろしい男だ。今ので何を察したのだろうか。私は何も言わなかった。この沈黙が、肯定と見なされてしまったようだ。背後で彼が息を呑むのがわかった。何を言ったって、取り繕ったって無駄だったでしょう?
「知っていて…一体なぜ!?危険だとわかるでしょう!!」
ほぼ脊髄反射で振り返る。口の中に血の味がした。自分が唇を噛み締めたのだとやっと気づいた。
「言わなきゃ、わかんない…?」
ああ、私は笑っている。きっとこれが、この顔が正解だ。彼の隣に並ぶには。
南野くんが目を見開いた。瞳が大きく揺れ動く。
ああそう。そうなのね。わからないんだね。じゃあ一生言ってあげない。
碧葉は蔵馬に背を向けた。彼女が今どんな表情で、どんなことを考えているかなど、蔵馬にわかるはずもなかった。
ふう、と碧葉が息をついた。ゆっくりと振り返る。彼女の薄灰色の髪が小さく揺れた。
「君は優しいね」
「…え?」
碧葉はそれだけ言うと、再び学校への道を歩き出した。蔵馬はしばらく硬直していたが、ふと我に返りすぐに追う。しかし、つい先程のように並んで歩くことは、彼にはできなかった。