ああ、
彼女が咳き込み、砂地が赤く染る。ここは理想郷だというのに、千里眼で捉えたその景色は、とても美しいとは言い難かった。
「マーリ、ッ…」
一瞬、耳を疑った。彼女は今確かに、僕の、名前を。直後、彼女は力なく砂に頭を預けた。まだ息がある。気を失っただけだ。
「マーリンさん」
夢の中で、彼女は僕の名を呼んだ。安堵したように微笑む。そして、涙を流した。
「私は、貴方のことがすきです。貴方のことは自分よりも大切で、貴方を知って、身を焦がす感情を知って、諦められないことがあると知って、誰よりも触れたくて、触れられたいと思って…。愛されなくたってよかった。良かったんです、私。貴方の瞳に映ることが出来るだけで、私は満足だった。ほんとうに、だいすきなんです。」
涙ながらに彼女は言った。生きている時の彼女から、ここまで熱烈な告白を受けたことがあっただろうか。否、感情では読み取れたとしても、言葉で聞くのは初めてだ。
「けれどマーリンさん。貴方が夢魔である限り、この感情は共感し得ないものなのでしょう。…ええ、仕方の無いことですけれど。」
彼女の心は少しも、「仕方がない」などとは言っていなかった。冷めそうもない、しかし激しく燃え盛ることもない、静かなる微熱を、いつまでも独りで抱え込んでいたのだ。
「…もしも、ねえ、もしもの話をしますね。もしも貴方がごく普通の人間として、新しい世界に産み落とされる未来があったら、その時は―」
彼女はおもむろに、自身のスカートの裾を捲る。
「これを目印に、私を探してください。」
溢れる涙を拭おうともせず、彼女は笑顔で言った。
「貴方が忘れても、私が覚えています。
私が忘れても、貴方が覚えています。
どちらも忘れても…きっと私が貴方を見つけてしまえば、一瞬で恋に落ちるでしょう」
今日の彼女はいたく素直だ、と少し思ったが、当然かもしれなかった。ここは彼女の夢の中だ。心の1番近いところを、本心を、さらけ出した姿なのだろう。
僕はからかいを込めて笑った。
「一目惚れということかい?君は私が大好きだものね」
「ええ、それはもう。」
にっこりと彼女はまた笑った。こんなにも純粋な、年相応な彼女の笑顔を、僕は見たことがあっただろうか。
「私と貴方はきっと出会えます。同じ世界に生まれます。きっと運命は交わります。だって私は、貴方を諦めるつもりなんて、微塵もないのですから」
こんなにも熱烈な彼女の愛に、僕は応えたかったのだろうか。
「だいすきです。愛しています。これまでも、これからも。最期に会いに来てくれてありがとう。私は、幸せでした。」
―ああ、そうだ、その顔だ。
かつて幸せを語った彼女は、虚空を見つめているような無感動な表情だった。しかし今は違う。この子は、そうか。ずっと、こうして笑いたかったのだ。
「また会いましょう、マーリンさん。次に会えた時は、そうだなあ。まずはお友達から。」
生憎、死にゆく人間に「次」を約束されたのは初めてだった。どんな顔をしていいのかすらもわからなかった。しかし彼女が笑っているのだ。であれば僕も、笑って見送るべきだろう。
「ああ、お手柔らかにね」
僕の返答は、彼女の気に召したようだった。幸福に満ちた笑みを浮かべると、上品に一礼する。
次の瞬間には、僕は元いたアヴァロンの窓辺に戻ってきていた。彼女が先程の夢で見せた笑顔の、言葉の、ひとつひとつ。生きている時は全く見せることのなかったその全てが、妙に僕の記憶にこびりついて離れなかった。
まあ恐らくは、明日になれば忘れているだろう。