#2


通勤ラッシュに揉まれるのが嫌でラボの近くで一人暮らしを始めたのは数年前。特殊な仕事柄、残業も多いし、睡眠確保のためマンションを借りた。そのせい、とは言わないけど職場と自宅の往復で浮ついた話も何もないなあ、とミコトさんや夕子さんの会話を聞いてため息が出た。


「あら、ここにも居たわ、男に縁の無い子が。」
『ちょっと、夕子さんと一緒にしないで下さいよ』
「あれー?言うようになったわね?ん?」
『いてててて、ごめんなひゃい』


軽く憎まれ口を叩くと、夕子さんに両頬を抓られる。ミコトさんは、こんなにも激務なのに彼氏がいるし。夕子さんの言う《異性間交流会》ってのも悪くないのかも知れないけど、どうせ私たちの職業を知ってしまえば周囲の男なんて引いてしまうに決まっている。



『久部くん、おはよー』
「名前さん、おはようございます」
『あ、これこの間の調書ね。確認しておいたから』
「あ、ありがとうございます!」


久部くんは、三澄班の記録員としてやってきたバイトくん。私とそこまで年齢が変わらないので、好きに呼んでーって言ったのにも関わらず、しっかりと敬語で話してくる今時の若者にしては律儀なタイプだ。


『あ、やば、インク無くなっちゃった』


記録員として働き出してから愛用しているペンのインクが無くなってしまった。ペン、というのはテキトーなものでも良いってわけじゃなく、記録員はその名の通り《記録》するのが仕事だから、どうしてもペンを持つ機会が多くなる。それ故、こだわりもあったりするわけなんだけど。



「ん?どうしたんですか?」
『んー、いつも調書整理用に使ってるペンのインク切れちゃってさ…予備も買い忘れてた』
「あ、それなら…」


そう言って久部くんは、自分のデスクの引き出しを開けて、ひとつのペンを取り出した。そのペンは正しく私が使っているのと同じもので。


「これ、使ってください」
『え?なんで久部くんがこれを?』
「ここに入った時、名前さん言ってたじゃないですか」


確か久部くんがここへやってきた日、同じ記録員として仕事内容を教えていた。その時に、ペンの話もしたんだっけ。


「名前さんが、あまりにもこのペンを絶賛してたんで、その日のうちに買いに行ったんですよ」
『そうだったの?』
「はい。名前さんの真似しちゃいました」


へへ、っと笑う久部くんにつられて私も笑みを浮かべる。僕、たくさん予備持ってるんでと言った彼のデスクの引き出しには、確かにたくさんの同じペンがあって、また笑ってしまった。


『ありがとう、今度お返しするね』
「いやいや、良いですよ、そんな、」


久部くんから、ペンを受け取って、スクラブの胸ポケットにさす。良かった、今日もこれで仕事がスムーズに行きそうだ。


「名字」
『はい!今行きます!』


中堂さんが私を呼ぶ時は解剖が入ったことを知らせる時だ。早く準備をしないと、またガミガミと言われてしまうから、私は大慌てで解剖室へと向かわなくちゃいけない。


『あ、久部くん、こっちの調書。ここの単位間違ってたから、直しておいてね』
「うわ、本当だ、すみません!」
『んーん、じゃ、後よろしく』


小走りで解剖室まで向かう。よし、今日もこのペンと共に頑張ろう。





>> list <<