#3


解剖中は、独特の匂いが室内に充満する。勿論、心地よい香りではなく、普通の職業の人なら縁のない鼻に付く匂いだ。隣にいる彼、久部くんも、この匂いにはやはり慣れることが出来ないらしく、ホワイトボードに記録しながら顔を歪めていた。


「これ、虚血性心疾患じゃないねえ」



ミコトさんの声が解剖室に響く。中堂班の私は先程解剖が終わったので、その記録をまとめなきゃいけないのだけれど、三澄班が担当することになったご遺体の解剖が大変そうなので、何か出来るかと残っていた。中堂さんは、勝手にすれば良いといつもの冷たい視線を私に送って解剖室を後にしたけれど。


「急性腎不全の疑いあり」
『…毒物ですかね?』
「ありえるねぇ」


息子が病死するわけない、と涙ながらに解剖依頼してきたご両親の姿を思い浮かべる。目の前の彼は、何故、若くしてこの様な最後を遂げてしまったのか。


「久部くん、これ写真撮っておいて」
『……久部くん?』


ついに限界がきたのか。久部くんは青白い顔をして解剖室から出ていってしまった。無理もない。今回のご遺体は少し熟しすぎてしまっているから。ミコトさんと目が合ってから頷き、手元にあったカメラを手に取り久部くんの代わりにシャッターを押した。


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『久部くん、地下にシャワー室あるけど』
「いや、そこまでは…」


解剖が終わり、デスクへ戻る。記録した調書を整理しながら、衣服の匂いを確かめてる久部くんに声をかけた。毒殺の疑いも含めて、何かが出てくるか検査することになり、ただの病死ではなさそうだという結果に至る。


「久部くんって、医学部のくせに何も知らないよねー」
『こら、夕子さん』


悪気もなさそうに毒を吐く夕子さんを咎める。隣に座っている久部くんは、口を尖らせて「法医学はとってないんで」と反論するけど、夕子さんやミコトさんには口では叶わないわけで。


「バイトとは言えよく採用されたなあー」
「あの時給で応募してきたの久部くん一人」
「そうなんですか…!」
『まあ、時給安いしね』


驚きと落胆を同時に感じてるであろう彼の肩をポンポンと叩く。目の前でキャッキャと話す彼女たちはどうであれ、私は久部くんが来てくれたことに感謝してる。知識はこれから嫌という程得ていけるものだと思うし。
コーヒー牛乳をゴクリと飲んで調書をまとめていると、所長が入ってくるや否や、今日解剖された方の知人が翌日亡くなったことを知らせ、これまた一筋縄ではいかないということを実感させられた。


「ゆかりん?あら、可愛い」
「僕、タイプではないですねえ」
『へ〜、久部くんはこう言う感じの子タイプじゃないんだ』

写真をみんなで覗き込みながら、各々好きなように喋る。知人が翌日亡くなるなんて、あまりにも不自然だ。ミコトさんは、ゆかりんへ会いに行くことに決めたらしい。だけど、ご遺体はまだ残っているのだろうか。亡くなった日から時間が経っているし、難しいかもしれない。



『ねえ、久部くん。』
「なんですか?」
『久部くんって彼女いる?』
「え、え?!」


目を丸くして私を凝視する彼を不思議そうに見つめる。何をそんなに驚くことがあるのだろう。あ、あれか。話に脈力が無さすぎたのかな?


「え、あ、いや、いない、ですけど」
『ふーん』
「え、聞いておいて、その反応…?」
『ああ、ごめん、ごめん』


久部くん、顔はイケメンだから彼女くらいいてもおかしくないのに。デスクの上に散らばってる資料の1枚を手に取り、読み上げる。


『第一発見者は婚約者、なんだって』
「え?婚約者?」
『今回のご遺体の件。1番最初に見つけたのは、婚約者だって書いてあるの。』
「は、はあ」
『彼はきっと、最期に婚約者さんのことを思ってたかもしれないなーって思ったらさ。なんだかやりきれなくて。』
「でも、まだ他殺とは言えないじゃないですか」
『病死であれ、他殺であれ、最期は愛しい人のことを思い出すものじゃないかなあ』


それと久部くんに彼女がいるかどうかは別か。と言って資料をクリップにまとめる。愛おしい人の冷たくなった姿を見た彼女も胸が張り裂けるような思いをしたのかもしれない。いまだ分からない真実に胸が痛むばかりだった。



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