17:ツンデレ鬼の旅立ち
少し微睡み始めていた千鶴の背中が温かくなった。
何か温かくて気持ちいい――
千鶴は、意識を遠退かせながらゆっくりと身体をその温かい方へと向け、その中に入り込んでいくと、全身が何かに包み込まれる。
いつもは千鶴が寝る時には必ず、風間も同じ布団に入ってきていたが、今夜はそれがなく、寝る前の千鶴の心の中には少しの不安が生じていた。それ程に、毎夜、千鶴の隣で眠ってくれていた風間の存在が大きく感じる。
あの悲しい夢を見てしまったらどうしよう――
その不安を抱えながら眠りには就き、その夢を見そうになった時にその温もりが千鶴の全身を包み込んできたのだ。
風間さんも明日に備えて、今日は客間で寝ると言っていたし――
では、この温かさは何――?
何かは分からないが、安心できる温かさと香が千鶴を包み込んでくれている。その中で千鶴は深い眠りに就いていった――。
「やっと寝たか。先程から溜め息やら愚痴やらを言っていたのだろう」
千鶴を静かに抱きしめながら風間は溜め息を吐いた。今、自分の腕の中の千鶴は安心しきった顔をして深い眠りの中に入っている。
風間は、自室に入って行く千鶴の姿を見て、何かおかしいとは思ったが、一応自分が寝る客間へと横になりに行った。しかし、千鶴の部屋からは起きている気配をずっと感じる。
正月の夜も千鶴は魘されていた。大晦日と同じで新選組の夢を見ていたのだろう。そして今夜も――風間はそう思うと、身体が自然に千鶴の部屋へと向かっていたのだ。そして、襖を開けた風間の前には、頭まで覆い被さった布団の中から千鶴の震える気配がする。風間はそっとその布団の中に入り、千鶴を背後から優しく抱きしめていた。
「しかし、こいつには危機感というものはないのか? 普通の女であればここで気が付いて目覚めるはずなのだが……」
そんな千鶴を抱きしめながら風間の顔には自然と柔らかな微笑が浮かび上がった。
誰にも見せた事のない表情を今、風間自身もそれには気付いてはいないが、千鶴といると、今まで見せた事もない自分が風間の中から外に滲み出てくるのだ。
風間自身、千鶴に惹かれた理由を分かっているのだが、それを千鶴に分かってもらえるまでにはまだ時間が掛かるだろう。
千鶴も何故に風間が千鶴を選んだのか知っているのだろうか。勿論、それを知るのはまだ先の事になるだろう。何せこの二人は互いに強情で素直でない性格をしているのだから――。
風間が小さな欠伸を起こす。
「俺もそろそろ休まないとな」
夜も白み始めたようで、明かり取りの障子窓に儚い光が反射を繰返している。
まだ千鶴は夢の中のようだ。よく眠っている為、もう悲しい夢も見ないだろう。しかしもうすぐ目覚める頃だ。
風間は抱いていた千鶴から離れると、まだ入っていたいと思う程に暖かみのある布団の中から這い出ると、自分が寝る為の部屋である客間に戻って行った――。
「風間さん、起きて下さい」
「ん……」
「出立する前に、少しだけ空気の入れ替えをしておきますね」
「ああ……朝か」
千鶴が風間が寝ている布団の傍に座って、布団の上から優しく揺すってくる。薄っすらと目を開けると、視界に千鶴の笑顔が飛び込んできた。
「よく眠れました?」
「ああ、よく眠れたが……」
風間はそう言って千鶴の身体を自分の方に引き寄せ、耳元で囁いた。
「お前と寝るのに慣れてしまったのか、少し寒かったな」
そして、引き寄せた千鶴の身体に両腕を強く絡ませて抱き締める。
「お前は温いな……」
「そうですか? 熱はないと思うんですけど」
「餓鬼はやたら体温が高いというが、それは事実であったようだ」
「な、何ですかそれ……私は餓鬼じゃありません」
「冗談だ。からかわれていると分からんのか」
分かりません――千鶴がそう言って風間からの束縛から逃れようとしたが、足掻けば足掻く程に、風間の抱擁の力は強くなる。しかし、それが千鶴にとって嫌とは感じなくて――自然と抵抗する力が抜けきってしまっていた。
「何だ、もう降参か?」
「いいえ、風間さんの言う通り、私も今、暖かいと感じただけです」
「ふん、これで毎夜、お前と寝てやっている俺の有難さがよく分かったろう?」
「風間さんも寒いから私の布団に入ってきたんでしょう?」
「いや、それは少し違うな」
「えっ、じゃあ何で……」
風間の両腕が千鶴の身体からいきなり離れる。
「何故に俺がお前と同じ布団に入っていたか。その理由はお前のその鈍い頭の中でしっかりと考えて答えを出せ」
「ええっ? 寒かったからじゃないんですか?」
「お前は阿呆か。俺はそのようなつまらん理由でお前の布団に入ったりはせん」
自分の考えが外れだった事に首を傾げながら客間を出て行く千鶴。その後ろ姿を見つめながら、風間は大きな溜め息を吐いた。
「まあ、寒かった事も理由の一つには入るが、それは微々たるものだ」
全ての用意が整い、雪村家の玄関の引き戸に閂を掛けた千鶴は、幼い頃から暮らしていた家全体を名残惜しそうに見つめた。
実父ではなかったが、育ての親として優しく接してくれていた網道。彼との思い出がこの家の中にたくさん詰まっている。
幼い頃からの断片的な光景を脳裏に思い浮かべた千鶴は、瞳の奥から熱いものを感じた。そのような千鶴の心情を知ってか、風間が隣にまで歩み寄って来て肩を抱き寄せる。
「死んだ網道も、お前の新しい門出を喜んでいるだろう。だから泣かずに笑ってここから出立しろ」
「はい、そうですね。泣いてここを去ったら、父もきっと悲しむでしょうし……」
千鶴は両目尻に涙を浮かべたままの顔を風間に向けて微笑む。
二人が雪村家の家に背を向けて歩き始める。
梅の花は綻びを見せたが、まだ厳しい冬が続く今日――二人の鬼のツンデレ旅が始まろうとしていた――。
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