2:ツンデレ鬼 江戸に参上
風間の足では、西の里から江戸までは半月も掛からないうちに辿り着く事ができる。
大晦日の前夜に江戸に足を踏み入れた風間は、宿で一泊をしてから千鶴の家に向かった。
西の里とは違って、江戸は冬の寒さが厳しい。しかし、夏の暑さよりも冬の寒さの方を好む風間にとっては、このような寒さは何とも思わない。風間とすれ違う人間たちは皆、北から吹き込んでくる冷たい風をできるだけ避けようと、背を屈めながら歩いている。しかし、風間の歩く姿といったら――
黙っていれば誰もが見惚れる程の端正な顔を上げて真っ直ぐ見据えている。そして、薄着の格好に姿勢を正しながら道のど真ん中を歩いているのだ。
容姿も目立ち、その上、派手な着物を身に纏っている風間が道のど真ん中を歩けばかなり目立つ。それに加えて鬼特有の威圧感を漂わせている風間に目を向けない人間は誰一人いなかった。
勿論、そのような風間に熱い視線を向けてくる女もいる。風間も鬼と雖も男である。その熱い視線は気になる。チラリとその方向を見てみれば、何とも言えない――風間好みの美しい女がこちらをジッと見つめている。
「ふっ、あの女も俺の色気の虜になったな」
少し相手でもしてやろうかという考えを一瞬だけ脳裏に掛け巡らせたが、いやいや――と、首を左右に振りながら、その女から視線を逸らす。
「今から我が妻になる千鶴を迎えに行くのだ。今回は我慢しておこう。それに、ああいう女はどこにでもいるが、貴重な女鬼はあいつしかおらんからな」
ぶつくさと独り言を放ちながら、その女の熱い視線から離れて行った。
新選組を追い掛けて江戸に辿り着いた後の一時期、風間は千鶴の家に留まっていた。だから、場所はすぐに分かるのだが、再会した時にどう言葉を掛けようかと考える。
「元気にしていたか? 迎えに来てやったぞ……ふむ、ありきたりだな……」
風間が空を見上げながら考え込む。
「西の里へ来て俺の妻になれ……これではあの強情女は素直に首を縦に振らんしな……」
次は空を見上げたまま歩みを止める。
「我が妻よ、いつまで将来の夫を待たせるのだ。早く抱かせろ……ふん、確か、祝言を挙げるまでは手を出さんと約束をしたしな……全く、あのような約束事などせんかったら良かった」
道のど真ん中で立ち止まり、難しい表情を浮かばせながら、次は地に視線を落とした。
「さあ、祝言の日取りも決まった。嫌だと言っても連れて行くぞ……いや、祝言の日取りなど、まだ決まっておらんしな……これでは嘘を吐いた事になってしまう」
嘘を吐くのを好まない風間は、天霧と祝言の日取りを決めてから千鶴を迎えに来れば良かったかと考えたが、それはすぐに風間の頭の中で棄却された。
「祝言の日取りなど決めてここに来てみろ。俺の楽しむ時間がなくなるではないか」
天霧の予想は確実に当たっていた。
人間との関わりを止めた西の里では今、安定した暮らしをする事ができている為、余程の事がない限り、天霧に任せられる。風間は西の里へ早々に戻る考えなどは毛頭なかった。
「まあ、あいつに会った時、何かを言えば良いのだ。兎に角、今はあいつの家に行くのが先決だろう」
結局、考えるのが面倒臭くなった風間が顔を上げると、周りには人が集っている。そして、数人の女たちが風間の頬を指で突いてきていた。
「な、何事だ?」
風間が驚いて、自分に集っている人間たちの顔を睨み付けていると、
「男前さん、こんなど真ん中でぼんやり立っていると引っ手繰りにやられるよ」
「その着物、派手だねえ。江戸ではあまり派手なものは着ちゃいけないのを知っているのかい?」
「あんた、外の国の男かね? 黄金の髪に緋色の瞳だなんて洒落てるねぇ」
ぼんやりと考え事をしている間に、先程の風間好みの女ではなく、そこら辺に必ずいそうな噂好きの年増の女たちに囲まれてしまっていた。
江戸の女は気が強い。それは千鶴で実証済みだ。しかし、気が強くとも若くて美しければ別に気にはしない。しかし今、風間の周りにいる女たちは年増――。美を優先する風間の機嫌は一気に悪い方向へと流れた。
「そこを退け、俺の傍から離れろ」
普通の人間ならこれだけで一気に身を縮込ませて身を引くが、亭主持ちの、それも子供まで生んでいる女は肝が据わっていて、これしきの事では恐がりもしない。
「あれあれ、色男がお怒りだよ」
「全く、人が親切に注意してあげてんのにさ。礼くらい言ったらどうなんだい?」
文句の雨を風間に散々降らせながら、散らばりを見せて歩み去って行く。ようやく最後の一人が傍を離れて行った後、風間は自分の袂に手を当てた。
「大丈夫のようだ」
天霧から受け取った重みのある巾着袋がそこにあるのを確認した風間は再び歩き始めた。
「千鶴も子を生んだらあのようになるのだろうか?」
先程の無遠慮な女たちの姿を思い出した風間が溜め息を吐く。
「気の強い女だからな……なる確率の方が高い。そうなる前に俺がしっかりと躾けねば……」
まだ千鶴からは良い返事など貰ってもいないのに、既に夫気取りの風間は、徐々に深まりを見せる寒風の中を進んで行った。
千鶴の家のある筋に入る前に、角の所で一旦歩みを止めた風間は、そこから千鶴の家の方を覗き込んだ。
シュッ、シュッと地を掃く音が聞こえた為、もしかして――と思って覗いてみると、案の定、千鶴が家の前の道を箒で掃いているところであった。
「あいつはいつも箒を持っているのだな」
時間があれば、新選組の屯所に忍び込んでは千鶴の動向を探っていた風間。そこでもいつも箒姿の千鶴を目にしていた。だから、千鶴と言えば箒、そして雑用――という印象が風間の脳裏に深く刻み込まれている。
「もっと早くに俺の胸の中に飛び込んでおれば、あのような下々のする事などせずに済んだものを……」
そうぼやきながら、暫くはその姿に見入る風間。しかしよく観察してみると、箒を持っている手が動いては止まるを繰り返し、止まっている間に何やら考え事をしているようで、両瞼も開閉を何度も繰り返している。そしてその間に、あの格別だと感じた千鶴の唇がモソモソと鈍い動きを見せていた。
「瞼が開閉を起こしているのは眠いのか? そして、唇が動いているのは腹が減っているのか?」
新選組の屯所に忍び込んだ時、千鶴は箒もよく手にはしていたが、後は食欲が旺盛だったのとよく寝ていたのを思い出した風間は、何とも色気のない予想を始める。
もっと色気のある女を目にすれば、この風間とて色気ある想像や予想ができるのであろうが、相手は千鶴。いくら考えてもそれくらいしか思いつかなかった。そして、まさか自分の事を思い出され、ひたすら文句を放たれ続けられているとも思いもしない風間は、何故にあれが由緒ある雪村家の女鬼なのだろうと、嘆息まで洩らしていた。
「まあ、少し我が妻を驚かせてやるか……」
このまま千鶴を眺めている訳にもいかない。少しの悪戯心を起こした風間は、千鶴の両瞼が閉じられている間に目の前に移動して立っていてやろうと試みる。しかし、そのような閃きを起こした時に限って、なかなか両瞼は閉じられないものだ。
「おい、早く両瞼を閉じろ……」
少し距離の離れた所から両瞼を押し上げている千鶴に向かって暗示のような言葉を小さく唱える風間。そして、ようやく両瞼が下ろされた時、気配を隠して千鶴の目の前に早足で歩み寄る。しかし、今度はなかなか両瞼が押し上げられない。
風間の心の中に苛々感が募る。その為か、既に気配を隠すのを忘れてしまう。
「おい、起きろ……」
そう言ってみるが、千鶴の両瞼は押し上げられない。何かか誰かに対してかなりの不満があるようで、口元からは文句が並びたてられていた。
「大体、俺の所に来いだなんて格好つけて言ってたけど、西の里がどこにあるかも分からないのに、どうやって行けばいいのよ!」
そしてようやく両瞼を押し上げた千鶴は、目の前の風間の顔を見て口をポカンと開けていた。
何であなたがここにいるの? みたいな感じで――。
千鶴の驚いた表情を見て満足した風間が一投の言葉を口から放とうとした瞬間、千鶴の手がいきなり伸びてきて、頬をツンツンと突き始めた為、一投の言葉を放つどころか、先程の女たちを思い出し、いきなり不快感が沸き起こった。
「一体何の真似だ? まさかとは思うが、江戸ではこういう挨拶が流行っているのか?」
この行為を受けるのは二度目である風間は、苛立ちを感じながら千鶴を睨み付けた。しかし、千鶴の顔を正面から見つめた風間の心の中の苛立ちは一瞬にして消え、目を細める。
蝦夷で別れてから五か月の間に、風間のもろ好みとまではいかないが、千鶴は美しい女へと成長していた。
少しふっくらとした体型に、童顔から大人の表情を持つ顔になっている。胸は小さい方だが、掴むくらいの膨らみがあると確信した風間は、一人でふん、ふんと頷く。そしてあの日、蝦夷で千鶴の返事も全く聞かず、独り善がりな考えを持ったままの風間が、文句を添えながら言葉を紡いだ。
「迎えに来たぞ……。俺はまった……十分待った。これ以上俺を待たせる気か。お前は一体何さまのつもりだ?」
寒風が更に強さを増す中、胸を反り返らせて立つ風間と、驚きのあまりに箒を手にしたまま呆然としている千鶴は、暫くの間見つめ合ったままであった――。
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