3:ツンデレ鬼の再会
この半年、千鶴が風間の顔を思い浮かべない日はなかった。
来なければ迎えに来る――
その言葉を待ち続けていたのだ。何故なら、風間は自分が住んでいる所は西の方だとは教えてくれたが、そこが西のどこにあるのかさっぱり分からなかったからである。そして、千鶴は蝦夷で風間と別れる寸前の光景を思い出し、顔を真っ赤にさせた。
そう――あの時、風間は千鶴の唇を奪った。初めての口付けを――。
「何が、何さまのつもりですか! 風間さんこそあの時私の唇を奪うだけ奪って、私が混乱して返事ができないうちにどこかに行っちゃって……自分がどこに住んでいるのかも教えてくれなかったじゃないですか!? それでいつまで待たせるつもりだって言われても困るんですけど!」
千鶴は、この半年で鬱憤を溜まらせながら思っていた事を、風間に負けじと文句として並べ立てる。しかし、殆ど文句を右の耳から左へと流しているのだろう。そのような千鶴を面白そうに見つめる風間。
「そうか、それほどまでに寂しかったのか」
千鶴の口から出る言葉が素直なものでないと見破ったようだ。風間の緋色の瞳は千鶴の心を見透かすようなからくりでもあるのだろうか。心の中を読み取られないように、思わず目を逸らしてしまう。
確かに千鶴は寂しかったのだ。風間に会いたくて仕方がなかった。
江戸に帰って来てから風間がいつ迎えに来てくれるのか――何もしない時間がある度に千鶴の中に寂しさの感情が襲い掛かった。その心の中の本音を矢のように突き刺してくる風間に反論しようとすると、いきなり唐突な行動によってそれを封じられてしまった。
いきなり伸びてきた風間の腕が千鶴を抱き寄せる。
「な、何をするんです?」
「何を? 鬼は約束を守ると何度も言ったはずだが? だから約束通り、俺はお前を迎えに来た。それだけだ」
風間の緋色の瞳が千鶴に向かって熱い眼差しを射てくる。それによって千鶴は身動きができなくなってしまっていた。
目の前の風間の眼差しの熱が千鶴の瞳の奥へ注がれる。抱き締められて身動きができない身体は、今の体勢が蝦夷での口付けを思い起こさせ、抗う力も息を潜めてしまう。
「今度は嫌だと言っても連れて行くぞ。既に西の鬼の一族が隠れて暮らす準備は整っている。……後はお前だけだ。お前を連れて行くだけなのだ。観念して来るがいい」
「ま。待って下さい。そんな急に言われても……」
「急ではないし、もう待ってはやらん。俺は五か月もお前が来るのを待っていたのだぞ? いいや、五か月どころではないな。お前をあいつらに預けていた期間を含めれば……」
風間が新選組と対峙していた頃からの年数を数え始める。それを見つめながら千鶴は心の中で溜め息を吐いた。
「だから、私は【風間さんの所へ行きます。待ってて下さいね】とか、【迎えに来るまで待っています】なんて言ってませんてば」
風間に抱き締められながら反論をする千鶴。しかし、少しだけ微笑みを浮かべながら、目の前で不敵に笑む風間を見つめた。
「本当に、もう……風間さんは変わりませんね。すごく身勝手で人の話なんて聞かなくて。でも……」
大きく移り変わっているこの世の中で、ただこの風間さんだけが変わらずにいてくれたのが、涙が出るほど嬉しいと思うなんて――性格に問題があったとしてもそれが本当に――
嬉しい――
千鶴が外に零した言葉と心の中の言葉が繋がった瞬間、それが伝わったのだろうか、風間の瞳が楽しげに細められる。
「身勝手なくらいが丁度いいだろう。特にお前のような、強情で素直でない女が相手ならば、な」
千鶴を抱き寄せていた風間の両腕に強い力が込められる。
「お前の本心など、とうに分かっているのだからな」
風間と千鶴の間の微かな距離がなくなったその時、
「ん……!」
蝦夷で初めて口付けをされたのと同じ。千鶴の意思を確認してくれない唐突な口付け――。しかし、蝦夷でもその感触を味わってしまっている千鶴の身体は、そして唇は――待ち続けていたこの半年間の間ずっと風間の事を思い、求め続けていたかのように、風間から離れてくれるまで自分から離れようとはしなかった。
暫くの間、重なり合っていた唇が離れる。
そう言えば、ここ――
近距離で風間の顔を見つめながら、千鶴は気付いた。風間の腕や身体で覆われていない個所が寒風に曝されている。
ここ、外だった!
そう思った瞬間、千鶴は風間を思い切り突き飛ばしていた。
「何をするのだ?」
「な、何をするって、風間さんこそ何をするんですか!? ここ外ですよ? ああ、ご近所の方に見られてたら恥ずかしいじゃないですか!」
「これから俺と共に西の里へ行くというのに、人の目を気にしても仕方あるまい。それに、もう見られているぞ」
「えっ……?」
千鶴が辺りに視線を巡らすと、近所の家々の門の所から噂好きの奥さま方の顔が見え隠れをしている。
「ああ……もう、今夜の夕ご飯のおかずになってしまうわ」
「夕飯のおかずだと? 俺たちはあの者たちに食われるのか?」
「違います。夕ご飯の時間の会話の材料にされてしまうって事です」
「ああ、成程な。しかし、もう少しましな言い方をしろ。そのように捻くった言葉が俺に通ずると思うか?」
「理解して下さい」
「何故に俺が理解せねばならんのだ。お前が俺に分かるよう話せるようになっておけ」
「もうっ!」
風間の強引な口調によって、千鶴は文句が続かなくなって黙り込む。そんな千鶴にはお構いなしに、風間が小さな溜め息を吐いた。
「俺はここまでの長旅で疲れたから少し休みたい。よって、家の中へ案内をしてもらおうか」
「そこの玄関から入ったら家ですよ。家の中の構造は覚えていらっしゃるでしょう……って、ここに居座る気ですか?」
「俺はお前の夫となるのは決定している事だが、今は客人だ。丁重に持て成せ」
「風間さん、本当に疲れているんですか?」
「大いに疲れている」
「元気そうですけど……?」
「わざわざこの俺がお前を迎えに、この江戸まで来てやったのだぞ。有難く思い、俺に尽くせ」
風間の揺るがない態度に千鶴はガクンと肩を落とす。そんな千鶴に風間が無理難題な注文まで下してくる。
「布団は厚めのものにしてくれ」
「風間さんの言う厚さがどれくらいか分かりません。それに今は大晦日ですし、いきなり厚めの布団と言われても用意はできません」
「ふん、我が妻ならば、夫がいつ来てもすぐに用意できるようにしておけ」
「だから、まだあなたの妻じゃありませんてば! それにさっきは客人だと言ったじゃありませんか」
「夫になると決定はしていると言ったはずだ」
「うっ……!」
風間はいつも上から目線で会話をする男だった。しかし、この久し振りの言い合いが何とも新鮮に感じる千鶴は、落としていた肩を振るい上げた。
「どうぞ、お入り下さいな。お茶くらいなら出しますから……」
「ああ、確かお前の茶は美味かったな。しかし……」
「しかし……?」
「いや、後でいい」
「……? 兎に角、迎えに来てくれたのはいいんですけれど、西に行くとか、大事な事は家の中でゆっくりと話し合いましょう」
千鶴がそう言うと、今度は大きな溜め息を吐く風間がぼやく。
「やれやれ、答えは既に決まっているから話し合いも何もないだろうに。全く素直な女でないな」
「あります。大いにあります! それに、素直でない女で悪うございましたね」
「まあ良い。時間はたくさんある。そんな無駄な時間も悪くない」
言うが早いか、風間が千鶴の手を取って家の玄関の方へと向かって歩き始める。強引に手を引っぱる風間の背中を千鶴は見つめた。
今、ここにある背中は、あの蝦夷まで連れて行ってくれたように、これからも私を導いてくれますか? 決して私を置き去りにせずに、触れさせてくれますか?
千鶴が心の中でそう願いながら、触れている風間の手を軽く握り返す。それを感じながら、風間は千鶴とは全く関係のない事を考えていた。
茶を淹れてくれると言ったが、俺は酒の方がいい。しかし、ここには酒はなさそうだしな――ふん、あとで金を持たせて買いに行かせるか。
本当に身勝手な男、風間は玄関の引き戸を開け、当分、厄介になる家の中へ千鶴と共に入って行った――。
- 3 -
*前次#
ページ: