東海道-江戸→品川宿
早朝、風間と千鶴は雪村の家を出立した。千鶴の家は江戸に隠れ住む鬼の仲間が管理してくれる事になっている。
千鶴が風間の横を歩きながら感謝の気持ちを込めた言葉を伝えると、気にする事はない、俺が勝手に決めた事だと千鶴に気を遣わせないような言い方をしてきた。
「お前の思い出の場所だ。この家を見捨てる訳にはいかんだろう」
「風間さん……」
千鶴の心の中は、滅多に見せない風間の優しさに対して感謝の気持ちでいっぱいだったが、次に続く言葉でその気持ちが層倒れになってしまう。
「他にも理由もあるからな。例えば俺達が喧嘩をするとしよう。その後にお前が西の里から出て行った時には居場所の特定ができて探しやすいという利点がある」
しっかりと先を見通している。確かに、西の里で風間と喧嘩をした千鶴はそのような行動をするだろう。風間の鋭い予想に溜め息を吐きながらも感心してしまうが、
「もし喧嘩をした後、西の里を出た私が雪村の家にいなかったらどうします?」
少し意地悪そうに質問する千鶴に対して余裕気な風間は、千鶴の瞳の奥から答えを見つけようとする。しかし、風間の頭の中には既に答えがあったようで、すぐに自信あり気な笑みを浮かべて口を開いた。
「恐らく千姫の所か、天霧か不知火に頼んで隠れるのだろうな。この先、お前の頼る場所はそこぐらいしかなかろう」
恐ろしいほどの洞察力に反論する余地もなし。千鶴は悔しそうに頭を項垂らすと、風間に負けを伝えた。
「風間さんには参りました……」
千鶴の降参宣言に気を良くしたのか、風間は千鶴の手を自分のそれに絡ませる。
「女という者は、愛する男の前で素直な方が可愛げがある。従っていつもそのように素直でいろ」
そう言うと、絡ませている手に優しく力を込めてくる。
「大好きとは言いましたけど、愛しているとは言っていません」
「全く素直でない女だ。大好きと愛しているはほぼ同じ意味を持つ言葉だ」
「えっ、違いますよ」
「俺には同じように聞こえるが、どう違うのだ?」
「好きという言葉は恋のようなもので、それには二つの道があって、好きという気持ちには終わりもあったり、それが続いていくのが愛だという考え方もあると思いますし、好きという感情を軽く見ると、愛は深いとか……難しいですねぇ。あっ、でも……」
項垂れていた千鶴が顔を上げると、風間の緋色の瞳とぶつかった。
「でも……何だ?」
端整な顔立ちにその周りを囲う黄金の髪が太陽の光に反射している。その顔に暫くの間見惚れていると、風間がフッと笑みを漏らした。
「お前の場合は言葉に出さなくとも顔で分かるな」
「ど、どういう事ですか?」
すると、手を繋いでない方の風間の人差し指が千鶴の瞳に差し向けられた。
「その双方の瞳が俺の事を、愛していると連呼しておる」
千鶴の顔全体が見る見るうちに熱を上昇させてくる。
「し、してません!」
千鶴は顔を真っ赤にさせて大きく否定するが、風間は自信有り気に笑みを零し続ける。
「お前が俺を愛しているのは事実。だから恥ずかしがらずに素直にそれを言葉にすればいい」
「だから、私は……」
否定の言葉の先を拒むように、風間は握っている千鶴の手に力を込めてきた。
「俺が思うに、好きは見返りを求め続ける心で愛は見返りを求めない心ではないか」
「見返りを……?」
「好きという気持ちは、相手を好んではいるが損はしたくない。しかし愛という気持ちは相手の為とあらば、己が損をしてまでも……つまりは命を捧げる程とでも言っておこうか」
命を捧げれる程の愛――
千鶴が風間の横顔を再び見つめる。あって欲しくはない事であるが、もしもそのような事態になった時、恐らく自分は風間の為に命を惜しまないだろうという確信があった。が、それを言えば、この男の事だ。益々いい気になって付け上がらせてしまう。だから――
「命を……私はまだ風間さんに対してそのような気持ちまでは持っていません」
「ほう……」
千鶴が心中とは全く反対の言葉を伝えると、風間の表情は少し寂しげな色を浮かび上がらせた。
「そうか……俺はお前の為ならば、この命など惜しくも何ともないと思ったのだがな……」
「えっ……?」
風間のその言葉に千鶴が瞠目をする。千鶴と同じくらいに素直な気持ちを吐かない強情な性格の風間が、すんなりと自分の心中を打ち明けてきたのだ。
「お前を西の里に連れて行くのもそのような気持ちがあってこそだ。それなのにお前は俺の存在を軽んじて見ていたのだな」
その色はますます濃くなりつつあり、慌てた千鶴が風間の手を強く握り返すと、心の中にある純粋な気持ちを言葉に表した。
「わ、私だって、風間さんの為なら命は惜しくないんです。ただ、いきなりそのような事を言われたら、誰だって返答に戸惑うでしょう? 本当の私の気持ちは……」
千鶴が【愛している】の【あ】という形を口の上に作り上げた時、こちらを向いている風間の緋色の瞳が視界に飛び込んできた。
ニッと口端を上げて笑っている。それもとても楽しそうに――。
「そうか、やはりお前は俺の事を愛していたのだな」
またからかわれた。と千鶴は目を吊り上げて怒鳴った。
「私の心の中を弄ぶような事をするなんて、酷いです!」
プイッと顔を横に逸らすが、火照り切ってしまっている顔はなかなか冷めてはくれない。その隣では、喉奥を震わせながら笑う風間。そして、
「この旅、飽きる事はないだろうな」
まで言う始末。今の風間の言葉の意味を深く追求すれば、西の里までの道中、何らかの形でからかわれるという事だ。その様な事はごめんだと、千鶴は風間に握られていた手を上下に大きく振り払った。
二人の間に僅かな距離が作られると、千鶴は風間に背を向けて先を歩き始めた。
「おい千鶴、先に歩くな」
背後から風間の声が掛けられてくるが、それを無視しながら歩き続ける。が、季節も徐々に良くなり始めたからだろうか。東海道を闊歩する旅人たちで混雑する道の中で、千鶴の身体は揺らめきを見せる。
「おい、ちゃんと前を見て歩けよ」
「ボーッとすんなや」
などと罵声を浴び続ける千鶴の手を誰かがいきなり引っ張ってきた。
「な、何?」
手を引っ張られた事に驚いた千鶴が背後を振り向くと、そこには超不機嫌な顔をした風間の姿があった。
「道中は俺の命令を聞けと言ったはずだ」
「い、痛い!」
風間の握力によって千鶴の手に痺れが起こり、心臓はバクバクと周りにも聞こえてしまいそうな程に大きく波打っている。
「全く、旅の初っ端から勝手な行動ばかりしおって……」
と、さも迷惑だと言うような口調で千鶴の手を引っ張って歩くが、その手が不意に離れて肩に回されると、二人の身体が自然と密着する。未だに大きな波音を起こしている心臓の音が風間の身体へと流れ込んでいきそうだ。それに気付かれたくない千鶴は少しだけ身を捩らせた。
「な、何するんですか?」
「何をだと? お前をこの雑魚どもから守ってやっているのではないか」
風間が千鶴の耳元に囁く度に吐息も艶めかしい風となって擽りを起こさせる。
「て、手を握ってくれるだけで結構です」
とは言ってみるものの、この東海道は今が混雑する時間なのか、風間に守られるように歩いていても、自然とすれ違う旅人の肩や腕をかすっていく。千鶴と身体の一部分が当たった旅人がそれに舌打ちをしながらこちらを睨み付けてくるが、隣りに寄り添っている風間の姿を見た瞬間に、気まずそうに顔を背けて、何もなかったように歩み去って行った。
「これでも手だけを繋いで歩いて行くか?」
風間が楽しそうな声音で千鶴に問い掛けてくる。それに対して悔しいと思いながらも、こうするしかないと思った千鶴は、
「いえ、このままで結構です」
としか答えようがなかった――。
江戸橋を渡り、品川宿へ続く道も旅をする人々で賑わっていて、先ほどと同じく油断をしていると、その人込みの中へ吸い込まれていきそうになる。千鶴は、風間に抱き寄せられるような形で足を前に進み続けていた。
ようやく品川宿の町並みに足を踏み込んだ時、千鶴は風間に問い掛けた。
「神社がたくさんある宿場なのですね」
「ここ辺りは台所や商売の神社も多くてな。東海七福神に指定されている神社もいくつかある。祭りがある時はかなりの賑わいになるな」
「そうなんですか」
しかしこの品川宿。旅人でもなさそうな女の姿も多い。そのような女たちが千鶴の隣を歩く風間の姿を見つめながらヒソヒソ話を起こしていた。その光景に少々の苛立ちが募ったが気にしないようにしながら、千鶴は再び風間に問い掛けた。
「今日はどこまで歩くんですか?」
「今宵は品川宿で鬼の仲間との会合がある。本音を言うともう一つ先の宿まで行きたかったのだが、これは大事な話し合いだからな。従って、今日は品川宿で泊まる事になる」
風間は面倒臭そうに呟きながら急に歩みを速めた。千鶴もその速さに足が縺れそうになりながらも合わせて歩いた。何故、風間が急に歩みを速めたのか分からない千鶴は、ある橋の前で親子が寄り添って泣いている姿を見つけた。
「あの人たちは一体どうしたんでしょうか?」
千鶴は、何故あのような橋の前であの親子が泣いているのか不思議で堪らなかったが、風間は表情も変えずに無言でその場所から千鶴を遠退かせるように歩みを更に速めて行く。そして、その橋から離れた所まで歩くと急に速度を落とすと、風間は前を向いたままゆっくりと小さな声で話し出した。
「あそこは【浜川橋】と言うのだが、別の名前で【泪橋】とも言う。あの橋を渡った先に鈴ヶ森刑場があるのだ。罪人はあの橋を渡ってその場所へ向かう」
風間の話を最後まで聞いていた千鶴は、あっと小さな声を上げると、その口を片手で覆った。
「では、あの親子は……」
「新年早々から縁起でもない光景を見たものだ」
風間の言い方は素っ気無いものだったが、表情は憐れみをも含んだような感情を浮かばせていた。千鶴も先程の光景が脳裏に焼き付き、黙ったまま風間に肩を抱かれて歩みを続けた。
自分の家からそんなに遠くない場所で、このような事が日常茶飯事に行われている事を初めて知った千鶴は、自分がどれ程無知だったのかを思い知った。
一人で京に向かった時は、育ての父親である網道の身の安否ばかりが頭の中にあって周りなど全く意識をしていなかった。それに前回は中山道であったが、今回は東海道。そして、緊迫した雰囲気の中で歩く旅ではない。この旅は自分にとって実のある経験になるに違いない。千鶴が頭の中でそのような考え事をしていると、風間の歩みがいきなり止まった。
「今宵はここに泊まるぞ」
「えっ、もう到着したんですか?」
黙ったまま歩みを続けていた千鶴が風間の言葉に驚き顔を上げた。上品な外装をしている宿である。看板には【釜屋】と書かれていた。その看板をぼんやりと見つめていた千鶴の耳元で風間がいきなり囁きの言葉を放った。
「宿で先ほどの好きと愛するという気持ちの続きの話を聞かせてもらおうか」
「えっ、あの話はもう終わったんじゃ……」
「最後にお前が言い掛けて話が切れたのだ。俺が最後まで聞いてやると言っているのだ。有難く思え」
「い、いや……あれは別に言いたくないし……改まって聞いてもらうような内容でもありませんし……」
千鶴がしどろもどろになりながら拒否の言葉を伝えるが、
「俺が聞くと言ったら聞くのだ。それに、道中の命令は絶対に聞くという約束だろう?」
風間の絶対的な言葉と肩に回されている手に力が込められた千鶴の身体は、小さな悲鳴を上げながら今日宿泊する宿の中へ引き摺られるようにして入って行った。
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