きみがすき


 



留衣に手を出そうとする人はいない。

というのも、実は過去に一件だけ、手を出して本気で怒られた前例があるのだ。




「(あんときは怖かったなあ)」




留衣は基本的に怒らない。

でも、本気で怒ったことが過去に一度だけある。その日以外、本気でキレた彼女を見た奴はいない。


今でも時々、その日のことを思い出す。




――




その日もよく晴れているのに外に出る用事もなく、特にすることもなく部屋でだらだら過ごしていた。
留衣と出会ってから半年。毎日のように会って話して遊んでいたから、留衣とは随分仲良くなってたし好きになっていたし好かれている自信もあった。

家にいたのは俺と十四松と留衣。ふと、十四松が「腹が痛い」と言ってトイレで席を立つ。
六つ子ともなると彼女と二人きりになるチャンスはあまりない。瞬間、思考回路は完全に“そっち”に回転した。




「ねえ留衣」




年の差がふたつしかない可愛い女の子が毎日のように遊びに来てくれる。それだけで今が人生で一番楽しかった。
しかもその子は、俺がくっついたりじゃれついたりしても嫌な顔をするどころか笑顔で対応してくれる。もしかして脈があるんじゃないかって、そう思った。

だって、俺らは子供じゃない。
それなりの年齢の男女が同じ部屋で遊んだり二人で出かけたりして、相手はそれを快諾してくれてる。
仮に脈がなかったにしても、雰囲気で呑み込めれば勝ちなんじゃないかって、普通そう思うだろ。




「…だめ?」


『!』




十四松の帰りを待つ留衣に仕掛ける。後ろから抱きついて、耳元で囁く。
留衣の恋愛事情は“彼氏がいない”ってこと以外知らない。兄弟に取られる前に彼氏に昇格したいって、ずっと思っていた。




『……駄目』


「お願い、キス一回でいいから」


『駄目』


「留衣は俺のこと、好きじゃない?」


『好きだけどそういうことはしたくない』


「好きならいいじゃん…ねえ、お願い」




隙を見計らって留衣を床に押し倒す。留衣が俺らからの懇願に弱いことは既に把握済みだ。
それを利用すればどうにか流せると思っていた。力も体重も俺の方が上、多少強引かもしれないけど、俺はそれくらい留衣のことが好き。

押し倒された彼女は軽く抵抗はしてきたけど本気ではしてこない。
俺の体の真下で床に倒される留衣。視界に広がるその光景に酷く興奮した。
俺の腕を掴む彼女の手の力は弱い。いける、と思った。



それが間違いだった。




「!! ぁがっ…!?」




顔を近付けようとした瞬間、真横から思いっきりグーパンチが飛んできてこめかみにヒットする。
突然の痛みと予想外の出来事に戸惑っている間に、今度は腰に蹴りを入れられて床に倒れ込んだ。抜け出した留衣が続けて俺の体を蹴り飛ばす。わけがわからないまま床に投げ出された。

ようやく顔を上げた頃には、留衣は見たことない顔で俺を睨んでいた。




『おそ松はそんなにわたしと居たくないの?』


「え…」


『そういうことするならわたしもうこの家には来ないから。嫌だって言ったのが聞こえなかった?』




あ、やばい。ガチギレだ。
見たことなかったけど、それくらいはわかった。

殴られた顔を手で押さえたところで十四松が帰ってくる。
知らない間に修羅場と化していたこの状況に固まっていた。




「え、どーしたの…?喧嘩?」


「……ごめん、俺が悪かった」


『…十四松、お腹大丈夫?』


「あ、うん、ダイジョーブ!留衣どうしたの、おそ松兄さんと喧嘩?」


『まあそんなとこかな』




「大したことないよ」と笑う留衣は見慣れた留衣だった。

正直、女の子のグーパンの威力なんて高が知れている。特に留衣みたいな細い女の子なら。
殴られた場所も蹴られた体も別に大して痛くはない。その代わりに軋んだのは心臓だった。




「(…思い上がっちゃったかな)」




部屋を出て階段を降りて、廊下の壁に寄りかかって座り込む。
自然と涙が溢れてきて、そこでようやく留衣のことを本気で好きなんだって知った。




――




あれから数年。顔にアザができたから、その日のことはその日のうちにみんなにバレた。事情も話した。
留衣に手を出したら本気で怒られて殴られたと。カラ松には「女の子に怖い思いをさせるな」と怒られた。トド松には「留衣はもう遊びに来てくれないかもしれない」と泣かれた。

後でわかったことだけど、留衣も所謂“勘違い”をされるようなことをしている自覚はあったらしい。それでも、俺らの要望に応えたくてなるべく受け入れていると。じゃれるくらいなら出来るからと。手を繋ぐくらいなら出来るからと。
あの日の俺はその“許容範囲”を超えた。引き下がっていれば留衣は殴るなんてことはしなかったし怒りもしなかった。でも俺は自分の気持ちばかり先走った。それだけのことだった。


留衣は決して俺達と恋仲になろうとはしない。
いつだか彼女は言っていた。「なりたくないわけじゃない」「今の関係を壊したくないんだ」と。

優しい、留衣らしい回答だった。




「(それでも俺はお前が欲しいよ、留衣)」




誰でもいいから彼女が欲しかった自分が、今となっては留衣のことばかり目で追いかけている。
街でいくらかわいい女の子を見かけても、家に帰る頃には留衣の姿で上書きされている。


夕暮れ時、あの日を思い出して床に蹲った。






きみがすき


(あの日からずっと)



END.






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