理想
『カラ松から誘ってくるなんて珍しいね』
留衣に初めてデートの申し込みをしたのは一週間前だった。
留衣と出会って早数年。俺から留衣を正式にデートに誘ったのは今回が初めてだった。
俺の性格上、意外だと思われるだろう。多分他の兄弟からも驚かれると思う。留衣と出かける頻度からすると俺は上位に食い込むから。
あくまでも、“俺から”誘ったのが今回初めてなのだ。留衣から誘われることはよくある。俺は兄弟以外の誰かと出かけることがないし、おそ松やチョロ松や十四松のように外に出るような趣味もないし、比較的暇なことが多いから。そういう意味だと一松もだが。
俺が留衣をデートに誘わない理由ならある。金がないからだ。誘いたくないわけじゃない、むしろ誘えるものなら誘いたい。でも誘ったところで散歩くらいにしか連れて行けない、というのが数年前一緒に出かけようとした時に分かった。
今まではそんなこと気にもせずノープランに女の子に声をかけていたが、留衣相手だとどうも気が引けてダメだった。いろいろ良くして貰っているからだろう。フリーダムに生きているこの俺が気を遣うのなんて彼女くらいだ。
「フッ、今日のデートは俺に任せてくれ。
留衣の好きな場所に行き、留衣の好きなものを食べ、留衣の好きなものを買ってやろう」
『……急にどうしたのか知らないけど、よろしく』
怪訝そうな顔で見られる。普段からヒモになりたい願望をモロに出しているから仕方がない。
突然こんなことをし始めたきっかけは、二週間ほど前に読んだ雑誌の中にあった。
「(俺は今日から、留衣に相応しい男になる!)」
留衣の隣、心の中で、一人両手を天に掲げた。
その雑誌は、至って普通の若い男女が読んでいそうな雑誌だった。
ファッション雑誌は気に入っているのがあるのでいつも読んでいるが、そういう類の雑誌はあまり読まない。部屋に置いてあったから、暇つぶしに(勝手に)借りていたのだ。案の定、トド松のものだった。
目に留まったのは“彼氏にされたら嬉しいこと特集”。
荷物持ち、プレゼント、奢り、エトセトラ。自分から手を繋いでくれる、頭を撫でてくれる、甘えさせてくれる、エトセトラ。まあ妥当だな。ありきたりな特集だ。読みながらそう思っていたが、読み終わってしばらくしてから気付いてしまった。
留衣が、“彼氏”として完璧であることに。
彼女は細かいところまで気を遣ってくれるし、一緒に出かけたらご飯はいつも奢り。誕生日やクリスマスにはプレゼントをくれ、甘えたらいくらでも甘やかしてくれる。
これに気付いて俺はハッと我に返ったわけだ。
このままではいけない。俺は留衣の彼氏に、ゆくゆくは旦那になりたいのだ。
甘えてばかりではいけない。留衣に“かっこいい”と言われたい。男として、彼氏として、だ。
「さあ留衣、行こう」
留衣に手を差し出せば、留衣は軽く笑ってから手を握ってくれる。
金はパチンコで十分足りる額を準備した。服も、「ちょっと派手」と言われた経験から俺の手持ちの中ではいくらか控えめなものにしてきた。
デートコースも、今日はノープランではない。事前に留衣に行きたい場所を聞いて、映画を観ることに決めた。チケットもベストポジションを確保済み。その後に立ち寄るショッピングモールの情報もちゃんと調べてきた。
まるで俺が俺じゃないみたいだ。
俺は今日から新たな一歩を踏み出すんだ。留衣が自慢できるような彼氏になることを目指して。
今日もとびきり可愛い留衣の手を、離さないようにぎゅっと握った。
――
『今日はありがとう、カラ松』
夕飯も食べ終えて帰りの電車に乗り込む。さすがに初めてなだけあって全てが計画通りとは行かなかったが、ある程度は順調だった。たまにはプランニングするのも悪くない。
いくら自分がリードしようと思っても留衣は留衣だから、やはりというか留衣の選ぶ店はどこもそんなに高価なところではなかったし、プレゼントも遠慮されてしまったし、彼女の方から甘えてくるようなこともなかった。それでも出来る限りのことはやったつもりだ。今日買ったお揃いのストラップ、どこにつけよう。
留衣、喜んでくれたかな。俺のこと少しはかっこいいって、思ってくれたかな。
そんなことばかり考えながら電車に揺られる。
「留衣に楽しんで貰えてたら嬉しい。俺はいつも留衣にして貰うばかりだから」
『そんなことないよ、わたしが連れ回してるだけ。カラ松が付き合ってくれてる側。
ありがとね』
「!」
不意に、留衣がこちらに手を伸ばした。――撫でられる。
そう思ったときに、反射でその手を自分の手で防いでいた。
『…?』
「あ、…いや、その」
留衣に撫でられたら“いつもの俺”に戻ってしまう。そう思った。
べったべたに甘やかしてもらう、いつもの俺に。今求めている俺はそんな俺じゃない。
事情を知らない留衣は不思議そうに首を傾げたが、数秒後に手を引っ込めると何かを察したように目を瞬いた。
『下りるよカラ松』
「あ、ああ」
俺の不自然な行動に留衣は特に何も言わなかった。駅に着いたのを確認して二人で立ち上がる。
その日、少々もやもやした気持ちが残ったが、寝て起きる頃にはもう忘れていた。
――
“留衣に相応しい男”を心がけてしばらくが経った。とは言え、働いているわけではないので金には限りがある。その分、振る舞いや気配りには気を付けているつもりだ。
そろそろ留衣もカラ松ガールズになる頃だと思うんだが。しかし予想に反して今のところそれらしき出来事は起きていない。
今日もパチンコには勝てなかった。デートはお預けのままだな。
肩を落として家に帰り、何の気なしに部屋の襖を開ける。
「ただいま……っ!?」
「……、カラ松か…」
『おかえりー』
目の前に広がっている光景に固まってしまった。チョロ松と留衣が抱き合った状態で床に転がっていた。
チョロ松の腕の隙間から顔を出した留衣と目が合う。
「こ、これは一体…?」
「…邪魔しないでよね。僕だって留衣ちゃんに構ってもらいたいんだから。
カラ松兄さんはいっつも構ってもらってんでしょ、今日は絶対留衣ちゃん渡さないから!」
『ちょ、ま、くるし…』
ぎゅうぎゅう留衣を抱きしめるチョロ松と、チョロ松の背中を叩いて息苦しいと訴える留衣。
この兄弟と留衣の関係じゃなかったら、まず確実にカップルで間違いない。
「ごめん」と謝るチョロ松に「大丈夫」と答える留衣が、俺を見やった後に呟くように言った。
『多分…カラ松なら大丈夫。……だと思うよ』
――え?
チョロ松宛のその言葉を、俺の鼓膜が拾う。
チョロ松は少し驚いた顔をして俺を見た後、留衣を再び抱きしめて目を閉じた。
大丈夫?何がだ。
この状況で、俺なんか気にしなくても大丈夫?俺の前でチョロ松といちゃついてても大丈夫?
それとも、なんだ。俺には留衣がいなくても大丈夫だとか、そういうことを言いたいのか?
廊下につっ立っていても仕方ないのでとりあえず部屋に入ったが、二人は反応を見せない。
チョロ松が留衣を連れ込んだのだろう。留衣はチョロ松に付き合っているだけか。
チョロ松、お前はそんなに甘えただっただろうか。今までも隠れてそんなことをしていたのか。
お前が留衣をアイドルを見るような目で見ていないことは知っていたけど、ここまでとは思っていなかった。
空気を読むならば出て行った方がいいのだろうが、二人をこのまま見逃せそうにはなかった。チョロ松は“条件付き”で留衣に付き合ってもらっているとは思うが、万が一ってことがある。
所詮、男は男だ。見張りも兼ねてここにいよう。特にすることがないので鏡を片手に二人の様子を見守る。
「……」
二人は特に何かを話すわけでもなく、ただただくっついて転がっていた。
留衣なら兄弟全員に均等に構ってくれるはずなのに、今日はそうじゃないらしい。さっき言われた「大丈夫」が脳内で反響する。
留衣はもう俺に構ってくれないのだろうか。あれは構わなくても大丈夫って意味だったのだろうか。
どうしてだ。俺が変わったから?甘えなくなったから?
あの日、留衣の手を払い除けたから?
「……っ」
本音を言えば。
本当は甘えたくて仕方ない。他人に弱いとこを見せたくない俺が唯一甘えられるのが留衣だった。「カッコつけてない素の方がいいよ」と言ってくれたのが留衣だった。スルーばかりされる俺に、唯一たくさん構ってくれるのが留衣だった。
でも俺は留衣の彼氏を目指してるから。雑誌には「甘えさせてくれる人」が女の子に人気だと書いてあった。こっちが甘えてばかりではそんな彼氏には程遠い。
分かっている。ここで崩れてしまっては、おそらくもう無理だと。理想から遠ざかる一方だと。
分かっている。頭では分かっていた。
「……留衣、…」
背中しか見えない留衣の腕が、俺の言葉に反応してちょっと動いた。
今日はチョロ松と約束してたんだろうな。彼と二人で過ごすと。独り占めさせると。俺が早く帰ってきたのが想定外だったのだろう。
本当なら留衣はチョロ松ともう少しこうしてなきゃいけないんだろうけど、
そろそろ俺、限界だ。
「…う」
「『…!』」
「あぁああああ!!!」
「『!!?』」
「何が大丈夫なんだよぉおお全然大丈夫じゃないからぁああ!!!留衣に無視されたら俺生ぎでいげないいいいうぁあああん留衣のばかあああ」
『ちょ、カラ松…!!』
「おま、泣き落としは卑怯だって!!」
理想
と、現実
(お前邪魔すんなっつったろ!?泣いたら留衣ちゃんが放っておくはずがないんだから!!)
(撫でるのも拒否られたから反抗期かわたしを卒業したのかと)
(うわあああああんどっちも違うし卒業とかするわけないいいい)
(うるっせえな!!あーもう雰囲気ぶち壊しだよ…!!)
END.
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