こんな僕のことを
最悪なものを見てしまった。
公園にいた猫に餌をやり、タイミング良く駅の近くまで来たから改札の前で彼女を待っていた。
底辺クズニートが奇跡的に付き合うことができた、大学生の彼女。
おれはこの年齢でスマホを所持していないので彼女と連絡を取ることができない。
日常に関する情報は口頭で仕入れた。学校の場所とか、バイトの日程とか、帰りの時間とか。
だから今日何もなければこのくらいの時間に電車を降りることは知っていた。
来たところで帰り道を辿って家まで送るだけなんだけど、ニートと違って彼女は忙しいから。
自分から出向かないとなかなか一緒にはいられない。少しでも長く隣にいたい。付き合って数ヶ月だけど、本当に心の底から大好きだった。
電車が来て、さっきまでぽつぽつとしか人がいなかった改札にどっと人波が押し寄せる。
その中に遠目で彼女を見つけて、手を振ろうとした。
「留衣……、!」
“最悪なもの”を見たのはこのときだった。
「(――誰?)」
人混みの中、確かに留衣の隣を歩く男の姿を見つけた。
最初は縦に並んでいたようで気が付かなかった。改札に向かう途中で留衣が振り向いて、それに応えるように男が早足で追いかけたから分かった。
ドクンと心臓が波打つ。
気が付いたときには挙げかけた手を下ろして、留衣に背を向けて歩き出していた。
「(誰?あの男…知らない……同級生…?)」
今までも何回か迎えに来たことはあった。でも誰かと一緒の場面に遭遇したことは一度もなかった。
ましてや、相手が男なんて。
別に浮気をしていたとは思えない。僕が迎えに来る可能性を考えたら場所を選ぶはずだ。わざわざ見られるかもしれない所を選ぶ必要はない。
だからあれはきっと男友達。そうに違いない。二人きりだったけど、今日はあの男がこっちに来る用事か何かがあって、留衣とたまたま方向が一緒だっただけで。
分かってるけど収まらない。思考回路が変な方向へ捻じ曲がる。
留衣は学生だ。女子校に行っているわけでもない。男友達のひとりやふたりいるだろう。そいつらにおれが勝てるかと言われれば、勝てるわけがない。こんなクズニートと付き合ってるくらいなら、将来有望な同級生と付き合った方がいいに決まってる。あれ、さっきのやつどんな顔してたっけ?すぐ目逸らしたからあんまり見てなかった。まあ少なくとも、おれよりはかっこいいだろ。
『一松』
後ろから聞こえた声に足を止めた。結構なスピードで歩いてたと思うんだけど。
ゆっくり振り向くと、夕日をバックに背負った留衣がいた。ひとり、だった。
「…さっきの、やつは」
『駅で別れた。彼氏が迎えに来てるからごめんねって言った』
「!」
少し怒っているようにも見える留衣がずかずかとおれとの距離を縮める。おれの足は道路に貼り付いたみたいに動かない。
胸倉を掴まれそうな勢いだったけど、留衣がそんなことをするはずもなく。代わりに「なんで逃げたの」と言われて言葉に詰まった。
「邪魔…かと思って……」
『邪魔?だとしたら逆でしょ?なんで彼氏の方が遠慮するわけ?』
「…それは……」
道のど真ん中。寂れた住宅街で助かった。
さっきおれが反射的に逃げた理由をきっと留衣は分かってる。分かった上で聞いてくる。つまりは、「堂々としてろ」ということだ。
頭では分かっているんだけど、どうしても行動に移せない。隣にいたいけど、自分なんかで良いのかと付き合っている今でもしょっちゅう考えてしまう。
今日目の前で他の男に並ばれて、余計に浮き彫りになってしまった。
――あ、だめだ、これ。
「…っ、留衣はっ、可愛いから…こんなこと、考えないと思うけど……っおれはクズだから、留衣がもし他のやつ好きになったら引き止められる気がしなくて…浮気なんてされたら死にたくなる、けど、っでもおれじゃ勝ち目なんてない…し、…」
『少なくともさっきの人には勝ってるじゃん。わたしはあの人じゃなくて一松を選んだんだから』
「そ、だけど……ごめん留衣、おれ、…めんどくさい…やつ、で」
『…そういうとこも好きだよ』
背が低い留衣は僕が猫背でも手が届かないから、頭ではなく背中をぽんぽんしてくれる。
こんなネガティブでめんどくさい僕を好きだと言ってくれるのは世界中探しても留衣しかいない。
『帰るまでに泣き止んでよ』
「うん、……」
『…泣かせてごめんね。さっきの、小学生の頃の友達だから。
偶然一緒になって少し喋ってただけだから、一松が考えるようなことは何もないよ』
「…うん」
年下の学生に慰められる。年齢だけで言えば僕は社会人でもおかしくないのに。
いろいろとみっともないんだけど、留衣の前だとどうも涙腺がゆるくて。
『また誰かと一緒でも泣かないでね。わたしの彼氏は一松だよ』
「…ん」
『一松がわたし以外の女の子と一緒にいたら……泣きはしないけど、一応問い詰めるからね』
「ヒヒ…おれと一緒にいてくれるのなんて留衣くらいに決まってるでしょ」
『一緒にいてくれるなら誰でもいいわけ?』
「そんなわけない…留衣じゃなきゃヤダ」
いつもの倍くらいの時間をかけて留衣の家の前に着く。
別れ際の数分間。この場所でこっそりハグしたりキスしたりするのが一番の楽しみ。
留衣からのキスで、沈んでた気持ちが嘘のように晴れていく。すき、だいすき。
「じゃ…また明日」
『うん、じゃあね。…ね、一松』
「なに?」
『早く同棲したいね』
「!!ぶっ」
――そしたら、こんなことにならなくても済むでしょ。
笑顔で言い残して留衣がドアの奥に消える。
同棲。
かつて試しに家を出たら路頭に迷ったことがあったけど、留衣と同棲するためならあの時よりは頑張れるかもしれない。
いや、頑張れる。間違いなく。
「……。…就活するか」
割と真面目に。
誰もいなくなった路地でぼそり、呟いた。
こんな僕のことを
(君が好きだと言ってくれるのなら)
END.