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「お待たせ致しました」
彼女と仕事をしてきて、今までこんな風に重たい空気が流れたことが果たして一度でもあっただろうか。
僕の言った“礼”に沙月は口を閉ざし、僕もそれ以上言うことが思いつかず黙り込む。
長い静寂を破ったのは料理を運んできた店員の声だった。
沙月の前にはジェノベーゼ、僕の前には海鮮パスタ。メインの他に頼んでおいた大きめのサラダと取り分け用の小皿もバランス良く並べられ、店員を見送ってから二人揃って手を付け始める。
香りが良く見た目もとても美味しそうなのに、どうしてだか食欲はあまり湧いてこない。
「沙月、おいしい?」
『…美味しいわよ』
「よかった」
ふと目を向けた先の彼女はポーカーフェイスとはまた違った堅い表情で、どう考えてもそれは僕のせいで。
少しでも笑って欲しくて、さっきの沙月を真似して僕も微笑んでみた──つもりだった。
しかし彼女は笑ってくれるどころか、途端に表情を曇らせてしまった。
『……そんな顔して食べないでよ』
「…、え?」
かちゃり。
表情を変えないまま、沙月が手に持っていたフォークを置く。
『貴方が軽い気持ちでそんなこと言わないことくらい分かってる。この件について、もうこれ以上触れるべきじゃないことも分かってるつもり。
ただ、貴方にそんな顔されると…わたしはどうしたら良いか分からないわ……』
あれだけ一緒にいたのに初めて見るくらい、沙月が珍しく悲しそうな顔をしていた。
脳裏にはこの前彼女から言われた言葉が思い浮かぶ。
──“…そんな顔しないでよ”
彼女が僕を想ってくれていることが、その顔と声で痛いほど分かった。
『わたしは貴方に頼まれて、貴方の“男友達”になったつもりだったんだけど…』
「アハハ…今思うと笑えるな」
込み上げてくる笑いは、“自嘲”と呼ぶものだろう。
「男友達になって欲しい」。
沙月に協力者になって貰った数年前のその日、自分が彼女に言った言葉がそれだった。
業務上、沙月と個人的に交わした“契約”は3つ。
指示に従うこと、嘘をつかないこと、そして恋仲にならないこと。
男友達になって欲しいというのは3つ目の契約にも関わってくるが、契約云々と言うよりかは単純にそういう人が欲しかっただけだった。
立場上親しくなれる人が限られている中で沙月なら問題ないと思ったし、当時の自分は沙月を恋愛対象として見ることがないと見越していた。だからこそ沙月を協力者に選んだと言ってもいい。いくら彼女が優秀でも、恋愛関係で拗れるくらいなら“僕の”協力者としては要らない。
沙月も沙月でそういった類のことに興味がなさそうだったし、ちょうどいいと思った。
それが今となっては僕の方から破ろうとしているのだから、沙月からすれば溜息のひとつやふたつ吐きたくなるだろう。
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