A

 十年はあっという間だったのに、五年はなんだか長く感じる。一年はもっと長いし、一か月はもっともっと長いのに、一週間は一番短く感じる。

「一日は程々に長いなぁ……」
「アレックスさん、急にどうかされましたか?」
「いやぁ、ちょっと世の儚きことを憐れんでいました……いえ、原稿出します……すみません……」
「はい……」

 アメリカのカフェの一角で、俺はノートパソコンに文字を打ち込みながら担当さんと会話をしていた。ノンフィクション小説、『Il Silenzioso Terrorista』を刊行するにあたって最初から最後まで面倒を見てくれた優しい担当さんで、引き続き担当してくれている。今は新聞の一角に何回かかけて寄稿するための小説の締め切りに追われ、不審がった担当さんがこうやって会う機会を設けてくれているところだ。

「珍しいですね、締め切りギリギリなんて」
「ちょっと別件が忙しくて……」
「ご家族のことですか?」
「いや、今度友人と一緒にイタリアに行くんですけどね。飛行機の便の関係で僕が一番最初に到着するので、先導して道案内してあげたいんですけど、その時に治安の悪い道を避けたくて」
「え、イタリアに行ってるんですか?」
「そんなことしませんよ。知り合いに聞いて回ってるので電話とかがひっきりなしに来るだけです」

 それはそれとして全然進んでいない原稿は大問題。コーヒーを片手に原稿の内容を思案した。
 今回要求されているのはありがちな過去についての小説。フィクション、ノンフィクションは問わないが、引きが気になるものが望ましいと言われた。俺の過去について語れば多少は満足させられるものができるだろうが、俺の過去を赤裸々に語りつくすというのは中々恥ずかしいし、何よりも感情としてしたくない。そう思った俺は、過去に出会った傭兵から聞いた話を色々と引っ張って架空の人間を作ることに決めたのだ。

「こんな人いるんですか?」
「流石に全部体験してる人はいませんけど」
「いるんだ……よく覚えてますね」
「最近聞いたことなので……」

 よく覚えてますね、と言われてふと自分の記憶力のことを想った。確かに物覚えはいい方だ。順当に学校に行けば相応に大学に行っていただろうなと思う。

「大学って楽しいですか?」
「え? あぁ、アレックスさんは行ってないんでしたっけ。順当に楽しいですけど……アレックスさんの性格なら私以上に楽しめたでしょうね」

 タイピングの手は止めず、自分の過去を振り返る。最近は傭兵業もやめて、貯金と作家業で得た収入で生きており、平和そのものの生活を送っている。今でも現場に戻ろうと思えば問題なく戻れるだろうが、特別戻りたいとは思わない。五年前のことは今でも昨日のことのように思い出せるけれど、それより前、もっと前。自分が幼少期の頃がぼんやりとしか思い出せなくなっている。

『あの木を目指すんだ。その間、誰にも追いつかれちゃダメだ。俺も少しだけ息を整えたら必ず迎えにいくから……』
『……生きろよ』

 そう兄が告げた時の、砂煙の匂いと口の中いっぱいに広がる砂利の味だけは覚えている。ただ、兄がどんな声だったか、家族がどうなったと告げられたのか、その前後に何があったのか。その一切が曖昧で、朧気だ。
 あの時は絶対に一生忘れないと強く思ったし、記憶にこびりついて離れないんだろうなと半分達観までしていたのに、こうも思い出せないのかと悲しくなる。兄だけではない。父も、母も、学校の先生も、友達も。全員の声が、顔が、温もりが、その全てがぼんやりとしている。
 家は崩れた。燃えてなくなった。幼いながらに書き記していた小説はもちろんのこと、家族で一緒に撮った写真、身分を証明するもの、あの時故郷にあった何かでさえ今の俺の手元には残っていない。今の俺には、あの町の住人であったという証拠は何処にもない。

「大学行かないんですか?」
「お金溜まったらですかね。歴史とか文学とか学びたいなぁ」

 こうやって呑気に過去のことを思い返せるようになったのはいいことだ。未来に光があることは喜ばしいことだ。しかし時折、悲しくも思うのだ。
 人は二回死ぬと言う。一度は肉体的な死、二度目は記憶から無くなることによる死。自分の中から家族の姿が薄れていくことは、家族をゆっくりと殺してしまうことなのではないか、と。
 考助もさざめも、俺と同様に家族を失っている。二人ともあの止まった時の中で長い年月を生きているから、恐らく失われた家族の記憶は俺以上に曖昧になっていることだろう。
 俺は止まった時を知らない。二人の苦しみを理解してあげられない。二人が時折見せる陰のある表情が、そのせいである時もあるとわかっても、何も言ってあげられない。

「……とりあえず明日までに必要な部分は終わりました。お待たせしました」
「じゃあ確認してまた連絡します。ここは経費で落とすのでごゆっくりどうぞ」

 そういうと担当さんはスマホを片手に席を立ち、会計へと向かった。

「カンショウテキってヤツだね」

 担当さんのいなくなったカフェの片隅でため息混じりに呟く。
 この問題に対してどう言う考えをしているのか、二人に問うつもりはない。それは傷口に塩を塗ることに変わりはないから。
 だから、自分にできることをするのみなのだ。努めて明るく振る舞い、二人を守る。あの日、あの時の自分にできなかったことを、今の自分はできるのだから。








『父へ、母へ、兄へ。あの日、あの時、俺の後ろで失われてしまった全ての命へ
今俺は、元気にしています。とても、幸せです』

(了)