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タイトル決めずに書いちゃった
技術が発展した現代においても自然現象ばかりは完璧に管理できず、天気予報にない雨が三十分前に降り出したばかり。繁華街から少し外れた路地。しとしとと降る雨は居酒屋から帰るサラリーマンを容赦なく濡らし、いつもよりもタクシーがよく出ているようだった。
そんな中。一機の背の高いアンドロイドが、自分の身の丈に合った傘を差してゆったりとした足取りで歩いている。雨を待つ人々は腕にかけられたもう一本の傘を見つけて、マスターを迎えに来たのかな、なんて目線で眺めた後は止まない雨を見上げるか、手持ちの通信端末に目をやるばかりだ。
そんな目線に気づきながらも、そのアンドロイドはゆったりとした足取りで虚空に触れつつ歩くだけだ。路地からさらに奥に入ったところで、緩やかな手つきでもって自分にしか見えない空間スクリーンを消去する。『crow』と書かれた看板が立っていることを確認し、ドアを開けようとしたところで、入口に『アンドロイド 入店禁止』のシールが貼られていることを見て取った。
ドアノブに触れる手が躊躇したのはほんの一瞬だけで、その後は遠慮なく握られる。
チリンと、涙が落ちるような音がする。
入店を知らせる控えめなベルの音に、店主はガラスコップを拭く手を一度止めた。知り合いか、一見の客か、何を求めていそうか。思考を巡らせながらも、出迎えのあいさつをするために目線が入り口に向けられる。
来客者は扉を少しくぐるように通り、少し申し訳なさそうな顔をしながら店主と目線を合わせた。来客の正体を認識した店主は反射的に眉をひそめ、その事実に自分自身が気づいても取り繕うことはない。それを見た来客者は困り眉で応え、傘の置き場に戸惑いながらも静かに店主へ声をかけた。
「まず。今回はご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません。私はアンドロイドであり、定期的にメンテナンスをしていただいておりますので、視覚機能に異常がある訳ではございません」
「じゃあシールが見えただろう。ここはアンドロイド入店禁止なんだ」
「承知しております。誠に申し訳ございません。ですが少々人探しをしておりまして……」
そう言いながら店主から移された視線の先は、カウンターに突っ伏す黒髪の青年であった。大量に酒を飲んだのかアルコールに弱いのか、寝苦しい素振りも見せずしっかりと眠っている。礼儀として店主に一度目線を戻すと、
「九九十九という人間は、おりますでしょうか」
と、困り眉はそのままに笑みを見せた。店主が何も言わないことを確認したアンドロイドは、傘を一度店の外に置いてから遠慮がちに店内に入る。空間スクリーンに自分の情報を記載して店主へと見せながら、黒髪の青年を起こさないように控えめな声量で釈明を始めた。
「九九十九のアンドロイド、壱千と申します。今日の夜、お住まいをこっそりと出て行ったきり帰ってこないものですから……。GPSで位置情報を追跡したらここにいた、というところです」
アンドロイドのそういった機械の"仕草"に、店主は眉間のしわをさらに深くさせる。人間味の強い見た目であるからこそ、その落差により気分が悪くなるのだと。種々の理由で虐待されたアンドロイドを多く見てきたアンドロイドは知っていた。呆れたように、諦めるようにため息を吐き出した店主は「彼で間違いないよ」と黒髪の青年を指さした。「そうでしたか」と回答を得られたことに満足したように頷いたアンドロイドは、優しい手つきで自分のマスターを揺さぶった。
「マスター、壱千です。貴方のアンドロイドですよ。起きてください。壱千はあなたを綺麗に担いで帰られるほど、アームパワーが強くないのです。……ご存じでしょう?」
どれだけ揺さぶっても起きる気配のない主人に眉をさらに下げれば、店主は「もうずっとそう。一時間くらいかな」としばらく起きることは無いのだと言外に口添えた。『crow』の閉店時間がそろそろ来ようとしている。このまま起きないままというのは取り扱いに困るため、この来客は店主にとっては渡りに船だったのだ。……アンドロイドというのは、想定外だったが。
「困ったな……ん、ん゛……マスター、九九十九、九警部補、九十九さん、九くん」
そんな店主の気も知らず、色々な呼び名と色々な声で海馬を刺激せんと試みていたが、しばらくすると諦めたようで。「もう、しょうがないですね」と小さく呟くと、青年のポケットを漁り財布を取りだした。不用心さに小さく呆れのため息をつきながらも、店主へと向き直る。
「マスターはご馳走様はしましたでしょうか」
「まだだけど」
「では私めが代わりに。本日はご馳走様でした、店主様。大変申し訳ございませんが、これにて失礼いたします。……アンドロイドが、お会計をしても?」
これ以上増えることはないだろうと思っていた眉間の皺は、まだ増えるらしい。店主の手によりテーブルから取り出された伝票を眺め、その額に感嘆の声を漏らしたアンドロイドは、自らの主の財布から大きな札を一枚抜き出し、店主へ差し出した。
「もう閉店も近いですし、釣銭は結構です。迷惑代と思って下さい。また、来年来ます」
「来年?」
「えぇ」
店主の疑問には答えることなく、アンドロイドは青年の下に潜るようにして体を支え、腕を自らの肩へとかけさせる。自分の片腕を青年の足の間にいれると、軽々と担ぎ上げた。立ち姿からでもできる穏やかなレンジャーロールである。「これマスターがすごく格好悪いからあまりしたくないんですけどね」と軽口を言うアンドロイドは、店に入ってからずっと困り眉のままであった。
「それでは、失礼いたします。良き日々をお過ごしください……あぁ、使いやすい方の傘を置いていきますので、次に困られた方に差し上げていただけますと幸いです」
そう言いながらアンドロイドは、行きよりも大きく、扉をくぐるようにして店を去った。残された店主は大きなため息を一つつき、立て看板と、傘を回収するために、扉を開けたのである。
朝には少し遅いほどの時間、部屋の主はまだもう少し眠っていたいだろう時間を見計らい、壱千は部屋の扉をノックした。
「おはようございます、マスター。壱千ですよ。……ドアを開けますからね」
返事がないことはわかり切っている。勝手に部屋に入っても怒られない間柄なことを承知しているから、これは形式だけのものになっていた。食事が乗ったトレーをベッド脇のサイドテーブルに乗せると、容赦なくカーテンを開く。淹れたばかりのコーヒーと、表面が焼かれたサンドウィッチからは湯気が立ち、光に照らされている。
起きてください、と言いながら少し乱暴に体を揺する。呻き声が聞こえると壱千はにっこりと笑い、器用に布団を剥ぎ取ると、それを丁寧に畳んだ。
「おはようございます、マスター。本日の朝食はトースト、レタス、目玉焼き……のところを、マスターがお寝坊したのでサンドイッチにしておきました。トマトもつけましたよ。外部業務はパトロール。地点は座標821.46.12地点から、911.148.-1地点までです。内部業務は……今日はお皿洗いですね」
自らを守る布を失ったこの人が話を聞いているかはわからない(大抵聞いていない)が、朝のルーティンとなった朝食の紹介と一日の業務の紹介を続ける。今日はいつもより起床しづらいことは重々承知している。それでも、それを知らないことにしておくのが、アンドロイドとしての務めであることも、十分に理解していた。このような人間仕草があの店主は嫌いなのだろうな、と。そんなことを考えたりもした。
「本日もよろしくお願いいたします、マスター」