彼女はゆっくりと私と目を合わせる。

「貴方を……待っておりました」
「私…?」

 ボタンさんの話をずっと聞いていて、それでも訳が分からない言葉が続いていたけれど、最後の言葉でさらに混乱した。
 彼女は車いすを自力で動かして、こちらの方へ近寄ってくる。彼女の顔は嬉しそうで、幸せそうで。だけど彼女の表情は怖かった。すごい怖かった。欲しいものが目の前にあって確実に手に入るのが分かって純粋に嬉しくて、そのはやる気持ちを隠せない顔だ。彼女の両手が伸びて、私の両頬を捕らえた。彼女の蕩ける様な欲望も何もかもがごちゃごちゃにどろどろに溶けたような瞳が、私の目をのぞき込む。彼女の目に私の表情が写る。恐怖で満たされ泣きそうになっている私の顔だ。
 今ここに鏡や私たちの姿を映す映写機でもあればとても滑稽だろう。私と目の前の彼女の表情は正反対と言う程の違いがあって、差が激しいのだ。
 彼女の親指が、そっと目の下を撫でる。その動作ですら肩を跳ねらせてしまう。優しい手つきなのに、怖いのだ。恐ろしい、とても恐ろしい。彼女の考えが、彼女の目が、全てが。私の中のボタンという少女と、目の前の少女の違いにただ震える。
 あ、と小さく声がこぼれたのと目から滴が零れたのは同時だ。目から零れた涙を、彼女はまた愛しむようにやさしく撫でる。

「あぁ怖がらないでくださいませ。私はただ貴方を待っていただけですわ」
「さっきから、どうして私を待ってたんですか…!」

 未だに涙がこぼれる目を細めて、眉間に皺を寄せて、眉を吊り上げて。怒っていますと言わんばかりな表情を浮かべて相手をにらみつければ、彼女は少しぽかんとした表情をしたけれどすぐに表情を戻して、最後に一撫で私の涙を拭えば彼女はそっと瞼を閉じた。

「私は、貴方をずっと探していましたの…」
「……私は貴方とこの間が初対面です……。なんで」
「貴方が、永遠の命だからですわ!」

 最後の声は、知っている彼女の声ではないようだった。今まで聞いてきた柔らかい艶やかな声なんかじゃなくて、潤いも色もすべてが無くなったような、悲痛な叫び声だった。
 彼女の表情もそれに比例するように必死のようで、焦りもどこか感じる。叫ばれた言葉の内容と、彼女の表情に驚いて目が開かれる。

「ねえ、そうなのでしょう…?」
「ち、ちがっ…! 私は、私は…!」
「貴方はゼルネアス様なのでしょう!?」

 彼女の両手が私の両肩を力強く掴んだ。爪が食い込まれるほどの力加減で、ぎりぎりと痛みすら感じてしまう。人は必死になると力加減も忘れるけれど、まさにその通りだ。彼女の目が揺らぎもせず私の目を見る。
 確かに、確かに私はゼルネアスの血を引いていると聞いていたし、彼女からも聞いていた。だけれど、私はいたって普通の人間だ。確かにポケモンの言葉は分かるし、回復するのも早い方だとは思うけれど。だけど私は永遠の命なんか持ってないし、いたって普通に産まれて普通に生きてきてこれから普通に死ぬただの人間だ。

「何でそう思うんですか」

 私の疑問は、彼女からすれば私の正体がバレたゆえの疑問だと思ったのかもしれない。少し口角を上げてから、彼女はゆっくりと口を開いた。

「……ずっと聞いていました。ゼルネアス様は人型では女性の姿になって金色の髪に青い瞳、何か特別な力を持ち、人型の時では花の名前で名乗っていた…。そして、イベルタルの傍にいたのだと」

 あぁ、成程。
 彼女の言葉を聞いて、納得した。確かに条件がそろっていた。私は女で髪と瞳の色は同じ、ポケモンの言葉が分かり、フェアリーオーラの様な物を微かだけれど持ち、私のサクラというのは花の名前。そしてイベルタルである真心がずっと傍にいた。彼女の容姿を知らなくて言葉だけ、情報だけを知っていれば、それも焦りなどの感情も重なれば、目の前の彼女の様に間違えることもあるのかもしれない。

「……そんな力を手に入れようとして、何をしたいんですか」
「……彼に再び会いたいのです」

 彼女と出会った時から、ずっと隠れるように、けれどちらりと見えていた彼女の言う彼という影。あぁ、彼女はその相手の事が本当に大好きなのだ。

「ですからどうか! お力を貸していただきたいのです!」

 彼女の瞳は涙で潤っていて、今にも大粒の滴が零れそうだ。それを私はきっと、拭う資格も、彼女を慰める資格もない。彼女の言葉も表情も、私の心臓を締め付けてくる。本当に、本当に私がゼルネアスだったら…彼女を掬うことが出来たのだろうか。
 彼女がつかむ手の力が更に強くなって、両腕が痛い。お願いだと、彼女が全身で全てを使って訴えてくる。思わず唇を噛みしめた。ゼルネアス…マーガレットだったら、彼女に力を貸すの…?


「ノン! ゼルネアスは力を貸さない! 貸すことがない!」

 ドゴンッ! と大きな音が響き渡ったと思えば、凛とした声が響いた。それと同時に天井が崩れ、ぶわりと砂埃が舞う。凛とした声も大きな音も風もすべてが上の方からだ。そちらの方へ視線を向ければ、そこには原型の姿の征良とその彼の背中で立っている真心が居た。
 上から差し込む月の光によって逆行だけれど照らされる彼の表情は笑顔だけれどまるで見下ろすようで、ボタンさんの方を見ている。ていうか今ので分かった。ここは地下だ。そして、時間はもう夜になっている。
 彼は腰から何かを取り出すと、それを一気に放り投げた。それは4つの赤と白の二色のボールで、放り投げられたそれは空中で開き音と共に赤い光が地面に降りた。その光は直ぐに形を作り、それは見慣れた私の仲間たちの姿があった。

「僕達のマスターを返してもらおう」

 真心の声を聞き、ボタンさんは顔をゆがめ、直ぐに皆の方へ向き合った。

「何故、何故邪魔をするのです! 私はゼルネアス様にずっと…ずっとお会いしたかっただけ、待っていただけですのに!」
「もう一度言う、ゼルネアスは力を貸すことはない」

 真心の言葉に、彼女は叫ぶことにより開いていた口を、ゆっくりと閉ざす。その際に、小さく「え…」と疑問の声がこぼれていた。

「ただ個人の願いの為だけに、神が力を貸すと思っているのか」

 征良の背中から飛び降りて、征良も直ぐに人の姿になって二人がこちらの方へ足を進める。ボタンさんは未だに信じられないと言わんばかりの表情で私を見ている。

「そんな…」

 ショックが隠せない様子のボタンさんの方へ足を進め、彼女の襟を真心は掴み上げた。

「お前、初めて会った時にお茶の中に微量だが毒を入れただろう…!」

 彼の言葉に私が驚いた。だって、彼はそんなそぶりも態度も…。無かった、と思ったが直ぐに思い出す。そう言えば、彼は私のお茶を横取りして飲みほした。あの時、彼は気づいたのだろう。きっと、彼自身は伝説の身でそこまで大きな害はない、けれど人間の私が毒を飲んだら。ゾっとした。
 血の気が引いたような私を、征良は肩を抱くようにして彼の身体に私を寄せた。そんな私と同じか、それよりも顔面が青くなってるんじゃないかと言わんばかりの表情で、ボタンさんは体を震わせた。

「そんな…!」
「わざわざ彼女の名と同じ桜のお茶に毒を含ませやがって…! 彼女を汚すつもりか、汚そうとしたのか! 散々ゼルネアスを求めておきながら、侮辱したのか!」
「私はっ…!」

 真心の怒号とボタンさんの悲痛な叫びが響いた瞬間、ヒュッと何かが風を切る音がした。気づいた瞬間には体は宙に舞っていた。征良に抱えられて、彼は大きく飛び退くようにその場を移動していた。
 何が起こったのか分からないほど一瞬だった。先ほど自分と真心の居たところを見れば、そこには何かが突き刺さっていた。それは水の形をしている手裏剣だった。なんでこんな物が、と思った瞬間、サクラ! と千旭が私の名を呼ぶ声がした。意識を戻した瞬間、目の前にはほのおが迫っていた。目が開かれると同時に、征良が私の腕をつかんで、そのまま逆のほうへ放り投げた。

「征良っ!」

 放り投げられて地面に叩きつけられたけど、直ぐに征良の方へ顔を向ける。千旭が私の背中を支え、上半身を起こすと、征良が軽く舌打ちをしながらこちらの方へ移動してきた。ほっと安堵の息がこぼれる。真心も剣を構えながら、後ろ歩きでこちらの方へ移動する。
 目の前にはボタンさんを庇うようにして立つサージュさん、そしてムナールさんが立っていた。サージュさんの持つ杖の様な物には炎が灯っている。

「そちらのお方、勘違いはしないでいただきたい」

 サージュさんが真心の方へ杖を向けて、至って冷静に言葉を紡ぐ。

「そちらのお嬢さんに毒を盛ったのは、私です。ボタン様は何も関係がない。私が勝手にやっただけの事」

 サージュさんの言葉を聞いて、皆が息を飲んだのが分かった。それと同時に、皆から湧き出たのは殺気だ。嫌でもわかる。これはすさまじい怒りの感情だ。
 けれど、彼女は臆することもなく、あくまでも冷静に冷淡に、そして残酷に言葉を続ける。

「何故毒を?」

 代表して聞いた真心の方へ視線を一瞬移したが、直ぐに私の方へ視線は戻る。

「彼女の命がほしかったからです」

 相手はなんて恐ろしいことを簡単に言うのだろう。そう簡単に言えるだろうか。何も関係のない相手に、恨みも何も感情もない相手の命がほしかった、それだけ。一番恐ろしかったのはボタンさんでもムナールさんでもない。このサージュさんだ。

「ボタン様の望む、私達も望んでいる方に会うために、彼女なら可能だと。呼ぶことが出来ると」

 さて、と彼女は再度杖をこちらに向けた。

「おしゃべりが過ぎました。まとめて燃えてもらいます」
「避けろ!」

 征良の声と同時に、輪の形になった炎が此方に迫って来た。征良の声によって私を含めた皆が無事に避けることが出来ていた。く、と征良が小さく声をこぼして原型の姿に戻ろうとする…が、

「あ…?」
『坊っちゃん何してるの!』

 早く原型になりなさいよ! 希咲が叫びながら、彼女と一緒に千旭が二人で私達を守るようにまもるを発動させていた。

『征良! どうした!』
「……戻れない」
「え?」

 どうして…そう問おうとした瞬間、ふと彼の首元に視線が行く。彼の首につけているチョーカーに、彼のメガストーンが無い…! 征良もそれに気づいたのか、メガストーンがあったはずの場所で手を動かさない。
 驚いていると、相手二人が一斉に攻撃を仕掛けた。避けて! と叫んだ、その時。
 ガギンッ! と何かが頑丈なものにはじかれる。そんな音が響いた。征良が身を守るためだろうか、片腕を上げて身を小さく屈めている、そんな彼の前に誰かが立っていた。
 大きな盾の様な物を持ち、それに隠れる様に立っている人影。その人影の直ぐ足元に征良は屈んでいた。
 誰、と海紀が小さく声をこぼすとその人物が振り返った。

「ご無事ですか」
「ソヴァールさん!?」

 彼女は私達の無事を確認すると、征良の身を守った盾をそのまま持ち上げて、そのまま相手の方へ切りつける様…いや薙ぎ掃う様にと言った方が近いかもしれない。そんな細い小さい体のどこにそんな力が、と思う程身軽に重そうで頑丈そうで大きな盾を自在に振り回す。

「早く、皆さん! そちらの上の方から外へ!」

 彼女の声にハッとなったけれど、突然現れた彼女を信じて良いのかと少し混乱していたが、真心が先に動いた。

「彼女は味方だ。全員早く!」

 彼の声にハッとして、千旭が征良を、希咲が私を。それぞれ原型のまま抱えて上へ跳ぶ。

「サクラさん!」

 最後に聞こえたボタンさんの声が聞こえて、振り向いた。彼女の表情は、揺らいでいた。
 何故、どうして。どうしてなの。
 彼女が腕を必死に伸ばしている。訴えてくるような表情が、全てが目に焼き付いた。私が彼女の名を呼びそうなれば、ソヴァールさんが丁度ボタンさんの姿を隠すように重なって、彼女の姿が視界から消えた。
 そこからは大穴の開いた天井から抜け出して、ソヴァールさんの指揮の元、必死になって皆で建物から離れる。ちらりと見えた建物は、綺麗な庭にあるとても…とても高い塔だった。





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