──随分長い夢を見ていた気がする
「お大事に」という駅員の言葉に、頭を下げつつ、胸の中のモヤモヤに言いようのない違和感を覚えつた。大事にしていたものを突然無くした時の喪失感にも似ているし、ハッピーエンドの映画を観に来たのにバッドエンドだった時のような気もする。
なんだろうな、と爪先でアスファルトを叩きながら、額の真新しいガーゼに触れる。
数時間前、駅で倒れた時にできた怪我だ。
どうやら貧血で倒れた、らしい。その拍子にちょっと柱にぶつけて、少し血が出た、らしい。
らしい、と全てつくのは、私はさっぱり覚えていないからだ。少し前まで、バイトに向かうための電車を待っていたはずなのに、気が付いたら駅の救護室のベッドに寝かされていた。
古びた救護室の、固い戸を後ろ手に閉め、一息吐き出してからスマホを開く。
液晶画面に表示された時刻は17時。空に視線を向ければ夏の空はまだ明るく、遠くで子どもの遊ぶ声が聞こえた。
駅で倒れたこと以外、よくある夏の光景だ。
それなのに、何故だろう。何かを無くした気がするのは。目蓋を閉じると、ちかちかと誰かの影がチラつくような気がするのは。
なんだろう、本当に。
このあと、バイトの予定だったけれど、気分が向かない。そもそも、貧血で倒れたのにバイトで倒れないなんて保証もない。なんて言い訳をして、バイト先にその旨を電話すれば、向こうの方がよっぽど慌てていた。相変わらずいいバイト先だ。
お礼を言ってから通話を切ると、私は家に帰るべく一歩踏み出した。
なんだか、それがとても久しぶりに感じた。気を失っていただけでは済まないくらいに。言いすぎかもしれないが、体感は数年ぶりな気もする。
毎日見ている筈の帰り道なのに、奇妙なことだ。
目覚めてからずっと付き纏う感覚に、振り回されていることだけは確かだった。
数時間ぶりの家は何一つ変わらなかった。ちなみに私が今住んでいるのは、実家ではなく祖父母の家。祖母が鬼籍に入り、祖父も施設に入り、管理する人間が誰もいなくなったが、大学まで徒歩で行ける距離にあったため私が名乗りを上げたのだ。
築100年だか何年だか忘れたが、古き良き二階建ての日本家屋。しかも庭付き。ちょっと隙間風もあるけど、慣れればそれもなんとやら。割と気に入っているので。
「ただい……」
玄関をガラリと開けた途端、がたん、どたんと仏間の方から物音が聞こえた。
──まさか、泥棒入られた!?
サァと血の気が引くのが分かった。咄嗟に手近にあった傘を手に、ゆっくり靴を脱いで音を立てないよう仏間に向かう。
怖いと言えば怖いが、そうも言ってられない。
この家を祖父母から預かった身としてなんとかしなければ!!と自分を奮い立たせ、仏間前の襖の取っ手に手をかける。まずは110番、なんて当たり前のことは見事に吹っ飛んでいた。
イメージするのは最強の自分……!
乾いた口の中で空の言葉を繰り返し、イメージを浮かべる。
そして。
「ヤーーーーーーッ!!!!パワッーーーー!!シュワルツ〇ッガーーーーッ!!!!」
「「「わぁぁぁあっ!!!!」」」
勢い良く、襖を開くと同時に傘を開いて叫んだ。
必殺初手威嚇。これ基本也。脳内の祖父もにっこりサムズアップしている。エリマキトカゲは偉大だと。
が、そこで動きを止めざるを得なかった。
「え、子ども……?」
部屋の中央にいたのは3人の子ども。
しかも随分奇妙な格好だ。着物ではあるけれど、今よく見るような着物じゃなくて、なんかちょっと違う気がする。
わー!と身を寄せ合っている姿に、流石の私も困惑を隠せない。
「えーん!!僕達売っても高くないですよぉ!!!」
「勝手にお供え物食べてごめんなさーい!!」
「身代金はゼッッッタイ払わねぇぞー!!!」
約2名言っている台詞がなんだかおかしい気がするが、子どもを脅す趣味はまったく無い。
傘を下ろし、目線を合わせるためにしゃがみ込む。
すると今度は子どもたちが目を丸くした。
「え?」
「あれ?」
「へっ!?」
三者三様驚いた顔でこちらをマジマジと見てくる。
信じられないと言った様子だ。
何なんだ一体、と思った瞬間だった。
「「「えええっ!?!天女さん!?」」」
「……はい?」
なにそれ知らんこわ……。
※※※
どうぞ、とお茶の入った湯呑みを出すと、ありがとうございますー!と、大変元気の良いお返事が3人から返ってきた。
私も自分の分に口を付けてから軽く息を吐きだす。
「ええと、そのぅ……君達の話を纏めると、私はそちらの時代で『天女』として突然やってきて、突然帰った、と……?」
「「「そうでーす!」」」
これまた元気の良い肯定に、私は頭を抱えた。
どうやら彼ら曰く、私はタイムスリップしたことがあるらしい。しかも今の見た目のまま。
そして彼らの通う忍術学園で働いていたのだと言う。驚くことに1日どころじゃなく、6年も居たのだと。
いやー全くもって記憶に無い。1ナノミクロンも。
小説でそういう話は読んだりするが、当事者だと突然言われると大変困惑する。
ちらりと横目で子ども達を見る。
お茶菓子として出した羊羹ときなこ棒でキャッキャと喜んでいる。
眼鏡の子は乱太郎、ポニーテールの子はきり丸、一等ふくよかな子はしんべヱと言うらしい。
しかし、当然ながら彼らの名前は記憶に無い。
嘘を付いているかと問われれば、先程の反応を見る限りそれは無いだろう。けど完全に信じられるかというと、考えものだ。もしかすると、同じ顔の別人かもしれないのだから。
どうしようかなぁと考えていると、ぱちりときり丸くんと目が合った。彼は少しだけ唇を尖らせた。
「もう!本当なんで帰っちゃったんですかぁ!!次の休みは僕のアルバイトを手伝ってもらうつもりだったのに!!」
「ええ……」
「天女さんに男装してもらうと売上良いから、いっつもお願いしてたんですよぉ!」
「へ!?」
と少し驚いたものの、考えると納得はできる。
昔の日本人の平均身長はそう高くない。その中で170cmある私は女というより男の形の方が自然に見えるだろう。考えたな私、と知らない私にひっそり賛辞を送る。
「そうそう!口説くか口説かないかの境目みたいな言葉掛けたりして、固定ファンが付くくらい人気でしたからね!女性から取り合われてたりしてもう、すっごかったんですよ!」
前言撤回。
もしかすると、私はタイムスリップ先で生き恥を晒してたのかもしれない。何してくれてるんだ私。気不味いだろ、子どもの前だぞ??生き恥………!!!!圧倒的生き恥……!!!
それでも彼らの記憶は、綺麗に消えてくれないだろうから、私はいっそ話題をずらそうと思った。これ以上は、生き恥と並走したくない。迫る生き恥、逃げる私。ピストルは既に鳴っている。逸らせば私の勝ち。ゴールテープは目の前だ。
「んん“ん“!と、ところで君達はどうしてここに来ちゃったかは覚えてる?」
「なんか天女さん、無理矢理話逸らそうとしてません?」
「ソンナコトナイヨ」
ジト目のきり丸くんに、口の端を無理に引っ張った笑みを向ける。
許し給え許し給え、私の生き恥を許し給え。
そんな彼とは真逆に、しんべヱくんは流されてくれたらしく「それはねぇ」とニコニコしていた。
「ボク達、きり丸のバイトの帰り道に天女さんが帰った時に使った祠に立ち寄ったんですー!」
生き恥バトル完……!私の勝利だ……!ファンファーレが脳内で鳴り響く。
横できり丸くんが「何か変なこと考えてんなぁ」と見ているが、気にしない。
ゆっくりしたしんべヱ君の言葉はそこで途切れた。すると乱太郎とねー、と可愛く顔を合わせ、流れを続きを引き継ぐように、今度は乱太郎が口を開いた。
「その時に私、天女さんが話してたのを思い出したんです!」
「私が、話してた……?」
「はい!天女さん『引きこもったやつがいれば、その部屋の前でズンドコ踊ってれば出てくる。ヒジキにもそう書いてる』って言ってたので、私達祠の前で踊ってみたんです!」
生き恥、リターン。どうしてまともに私は伝えなかったのか。さっきゴールテープの後ろに置いてきた生き恥が加速して追いかけてきた。しかも切ったはずのゴールテープも繋がって、同時に前に進んでいる。
たぶん内容を適当に分かりやすく噛み砕いて言ったからあんな風になっただけで、恐らく本の名前は間違えてないはずだ……!3人の内、あと2人のどちらかが間違わなければ、その証明になる!
ジリジリ背中を妙な汗が伝う。
さすがに超絶有名史料を間違えたなんて、ご先祖達の遺影の前で晒せるわけがない。
頼むぜ、ときり丸くんを見る。
が。
「なぁ、それ確かおはじきじゃなかったか?」
まさかのアンサー。それはガラス製の遊び道具だ。
こうなったらぽやんとしてるしんべヱくんに託すしか無い。
が。
「えーメカジキだよー」
と、しんべヱくん。違うそうじゃない。それは揚げてもなにしても美味しいやつだ。
どこからか「お前たち違うだろー!!」と叫ぶ、胃の痛そうな声が聞こえた気がする。多分見えちゃいけない何かか空耳。
いやまぁ、このくらいの歳なら聞き間違いも仕方ない。よくあるよくある。だからこれ以上生き恥よ、加速するな、迫るな。ジェットパック背負うな。
「もしかして古事記かな……?」
引き攣る頬をなるべく動かさないように答えを返すと、彼らは、ぱちくりと目を瞬かせてから、にっこり笑った。
「「「あ、それだぁ!!」」」
どうやら記憶違いなだけで、間違って教えてなかったようだ。後方の生き恥、失速。もしかすると生き延びた。
けど本当に間違えて教えて無くて良かった。私は隠れて安堵の息を吐いた。
乱太郎くんがえへへ、と笑った。
「それからですね、僕たち、祠に向かってこう言ったんです!『天女様出てきててください!かちこみかちこみもうしまーす!』って!」
「カチこんじゃだめだよねッ!?」
何を祀っているか知らないが、あまりにも可哀想すぎる。その神が何をしたというのか。それももしかして生き恥案件なのか??生き恥なの??ねぇ??
わーっと叫びたい気持ちを抑えて、私はお茶を啜った。そうするしかなかった。
なんせ、気付いたらお茶請けのお菓子が全てしんべヱくんのお腹に収まっていたのだから。
そんなことをしている内に、空はもう真っ暗になっていた。今まで電気を付けずにいたので、かなり部屋の中は暗い。
ちょっと待ってね、と断ってから電灯から吊り下げる紐を引けば、灯りが着いた。
そこであっと私は焦りを覚えた。
電灯があった時代の子どもじゃないんだから、怖がらせてしまったかもしれない、と。
けれど、そんな心配とは裏腹に彼等は目を輝かせた。
「もしかして、天女さん!ついに妖術が使えるようになったんですか!?」
スッテンコロリン。
そう効果音が付くくらい、乱太郎くんの言葉に綺麗に私はズッコケた。
「『ついに』って何!?『ついに』って!?違うからね!?これは電気って言って……その、まぁ、なんか色々できるパワーで光ってるんだよ!?」
詳しい原理を噛み砕いて言える程の頭が無いので、かなりアバウトに伝えたのだが、彼等はそこまで深掘りすることなく「へー」と、不思議そうな面持ちで電灯を眺めながら言った。
そんな様子に、彼等が『タイムスリップしてきた子ども』という事実がより真実味を帯びて私に伸し掛かってくる。
──どうやったらこの子達を帰せるんだろうか。
まだ今は未知の世界に喜んでいるけれど、そのうち差異に恐れを抱いてくるかもしれない。それに、彼らの家族や仲間だって心配しているはずだ。
色々と考え出すと頭が痛くなってきた。うんうん唸っていると、象とマントヒヒの鳴き声を足して2で割ったみたいな大きな音が鳴り響いた。
「えへへ、お腹空いちゃいましたぁ」
音の出所のしんべヱくんが、お腹を擦りながら言った。
「ウソだろ君!?え、ダイソンの申し子なの!!?」
出した大半のお菓子は彼の胃袋に収まったというのに!?恐るべし成長期!!と驚愕の表情を浮かべると、三人が突然ポカンと口を開けて固まった。
それから、こしょこしょと内緒話をしてからまたこちらを見る。
え、何?と思う間もなく、乱太郎くん、きり丸くん、しんべえくんがちょっとだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
一先ず、3人には勝手に家の外に出ないことと、無闇矢鱈に電化製品に触らないことを話した。
それからお風呂にも入ってもらった。私も一緒に入れば良いのかもしれないが、流石にそれは法律的に引っかかるだろう。彼等にどれが何か説明してから、脱衣所の外で見守りに徹した。
着替えには、家にあった私のお古のTシャツを出した。彼等には少し長めのワンピースみたいになったが、まぁ気にしてなさそうだったのでヨシとする。
その後、夕飯として素麺をたっぷり茹でた。丁度、お中元で貰ったものがたくさんあったので助かった。毎年地獄の素麺ライフなので。勿論、育ち盛りの子どもには、それだけでは栄養が偏るので、ナスとピーマンの味噌炒めと、鶏を甘辛い焼きも作る。偶々、冷凍庫に鶏肉があってよかった。
いつもより、ずっと量が多いのに、不思議と大変だとは思わなかった。
乱太郎くんも、きり丸くんも、しんべヱくんも、料理している間や食事の間、ずっと学園の話を聞かせてくれた。
先生の話、同級生の話、先輩達の話、どれも彼等には大事なことらしく目を輝かせて話してくれる。
多分、どれが一つでも引っかかればいいと思ってるかもしれない。けれど、やはり私にはどれも覚えが無い。
卓袱台の山のような素麺が無くなる頃には、3人とも船を漕いでいた。やはり疲れが出たんだろう。
宙を搔く乱太郎くんのお箸を手から抜き取って、机に置いた。
「まだ食べれますよぉ」
乱太郎くんはむにゃむにゃと目をこする。
「君ね、そんなんだと変なところに詰まらせちゃうから駄目だよ」
これは片付けより先に布団かなぁ、と立ち上がるとぐっと裾が掴まれた。
「どこいっちゃうんですかぁ」
犯人はきり丸くんだった。彼も今にも目蓋と目蓋がくっついてしまいそうだ。頭もグラグラと揺れている。
「お布団を敷きに行くだけだよ。すぐ戻るから」
「ダメですよぅ……オレもいきますからぁ」
「ああ、ほら無理に立ったら危ないって」
足元だって覚束無いのに、無理をしたきり丸くんは倒れそうになる。咄嗟に膝をついてその身体を受け止めると、安心したように彼は力を抜いた。
「へへ、やっぱてんにょさんだ……」
丸くて柔い頭が、ぐりぐりと押し付けられる。鎖骨にダイレクトアタックされているのは少々痛い。
けれどそれを退けるのはどうしても憚られた。
勿論、相手がまだ子どもだから、という気持ちもある。成り行きで、知らない場所に来てしまって心細いかもという同情もある。
寧ろ、そうでしかない筈だ。でないとこの感情に説明がつかない。
だって、私には記憶が無い。彼等と過ごした日々の。だから彼等の言う『天女』という保証は無いのだ。
くうくう、と小さや寝息がすぐ近くで聴こえる。
「なんでなんだろうなぁ」
よいしょ、ときり丸くんの小さな身体を抱えた。
私に兄弟はいない。私より歳下の従兄弟もいない。誰かをこうして運ぶなんて、まともに無いはずなのに、この重みが懐かしいような気がする。
こんな状態じゃ、来客用の布団なんて出せないので、ソっと自室のベッドに運んだ。起こさないように細心の注意を払って。同様に乱太郎くんとしんべくんもベッドに寝かせる。
それから寝冷えしないように、タオルケットを掛けておく。
「なんなんだろうなぁ、本当に」
ベッドの縁に腰を掛けて、3人の寝顔を眺める。
ふくふくとしていて、まん丸で、ちゃんと子どもらしい子どもだ。イタズラ心でその頬を突っついてみるとお餅のように柔らかかった。
ああ、確かにこうして触れられるのだから、彼等は此処にいるんだなぁ。
なんて、不思議な感慨を抱く。
今日はなんとも不思議な1日だった。朝起きて、いつも通りの1日になる筈だったのに、駅で貧血で倒れるし。健康優良児として近所でも名を馳せる私なので、それだけでも珍しいのに更にはタイムスリップ少年、忍者、古事記のズンドコ。今日は情報がお腹いっぱいすぎる。
ちりん、と窓に提げた風鈴が揺れる。
窓の外を見上げれば、真ん丸なお月様が浮かんでいた。
翌日、起きたら布団の中身は空っぽだった。家の中を探しても三人の姿は見当たらない。
もしかして、夏の暑さが見せた夢だったのかなと思いながら、居間に向かえば昨日片付け忘れた食器が残っていた。
まさかと台所に駆け込むと、素麺の入っていた箱が空になっていた。
「ほへぇ……」
一人台所で息を吐く。
事実は小説よりも奇なり。昨日の彼等が夢幻ではないなら、もしかすると、本当に私が向こうで過ごした事があるのかもしれない。
「けど、2度目は無いだろうなぁ」
そんな奇跡がホイホイ起こるわけ無い。
ほんの少し、彼等の残した跡が胸に鈍い痛みを知らせる。あの温かさを忘れたくないと、確かにあの瞬間思ったことはきっと神様が見せた夜露の輝きだったのだろうから。
変にその辺りはリアリストな頭が決断付ける。
───尚、人はそれをフラグという。