──次は……駅。降りるお客様は……。
電車のアナウンスを聞いて、それまで読んでいた本に栞を挟んで閉じた。窓の外を見れば、赤い夕陽に照らされ、黒い影が形を成した街並みがゆっくり流れる。それがまた窓越しに夏の暑さを滲ませ、少しばかり溜め息を吐きたくなった。
それを誤魔化すために本を指でなぞる。表紙の科学者と目が合った。ベロを出した白髪の老人だった。横に書かれたタイトルは『相対性理論について』。よく名前は聞く理論だが、キチンと理解していないと思ったので祖父の書庫から引っ張り出してきた一冊だった。
何故そんなものを読もうとを思ったのか。理由は至って簡単。違う時代からやってくる子ども、そして『私』の記憶について考える時の参考になると踏んだからだ。ソースはSF小説。もうまともな論文は当てにならんと分かった。超常現象には空想で対抗すんだよ!理論だ。
ところが、六年生の二人が来て以降何も起きていない。朝方にも、夕方にも誰も。二度あることは三度ある。三度あることは四度ある。と、身構えていたが拍子抜けするほど何も起こらなかった。
これでは検証もなにもあったものじゃない。
しかし、そもそも始まりが突然だったのだから、終わりだって突然であってもおかしくない。
それにキーになる祠とやらが向こうでは壊れたのかもしれない。何も分からないまま終わるのは後味が悪いが、大変なことが起こる前に、事象自体が起こらなくなるならそれはそれでいいのだろう。
きっと読んだ本も無駄にはならない。知識は力。いずれどこかで役に立つ。
電車は目的地に向かって緩やかに減速し始めた。
荷物を下ろす人、移動する人、立つ人と入れ替わって座る人。人、人、人。人の流れに合わせて私は斜め掛けのバックに本をしまい、ベルベット地の椅子から腰を上げた。
完全に電車が停まる。空気を吐くような音を立てドアが開いた。
人の中に紛れて冷たい空気から熱気の中へ降りると、丁度少し前に頭をぶつけて倒れた場所だった。推定私が頭をぶつけただろう、所々錆びて塗装が剥げた鉄骨に視線を奪われつつ、流れのまま改札に向かいICカードを翳して開けた駅前に出る。パッと人が捌けたせいか幾分熱気が和らいだ気がした。
しかしあくまで、マシになった程度。ジワジワ額に汗が噴き出してくる。
……早く買い物をして帰ろう。
一人トボトボ歩きながら商店街に向かう。夕方のこの時刻は主婦たちのゴールデンタイム。アーケード内の人は比較的多かった。
八百屋で野菜を見比べていると、隣りに居た主婦の声が耳に入った。
「ねぇ、最近泥棒が増えているらしいわよ」
「あら怖いわねぇ……警察の見回りが増えてるのはそのせいかしら……」
「多分そうよ。確か✕✕辺りの家が何軒か被害にあったとか聞いたわ」
泥棒、なんとも物騒なことだ。私も一人暮らしだし、言われてる辺りに住んでる。アル◯ックは入ってないんだけど、入るべきなのかな。家を守るためだし。でも、忍者案件が完全に片付いたと分かるまでは下手に入れないほうがいいのだろうか。
噂話に耳を傾けつつ、キャベツの重さ比べをしていると、電子煙草を咥えた時計屋の親父さんが声を掛けてきた。
「おう、孫じゃないか!バイトの帰りか?」
「バイトじゃなくて、今日はジジイのところ行ってたんですよ」
簡潔に伝えれば、時計屋の親父さんは片眉を上げた。「アイツは元気だったか?」と問われ何度も頷いておく。それくらい生命力だけはピカイチの血縁者が祖父だった。
親父さんが深く息を吐き出すと、特徴的な臭いがキツくなる。それに少しばかり顔を顰める。電子タバコだから副流煙に問題はない、と言われてもどうにもこの臭いは得意じゃなかった。
そんなこちらにスマンと片手を上げ、親父さんは徐ろに売り場にあった飴の袋を掴んでからマジックテープ財布を取り出す。そして会計担当のおばさんに小銭をいくつか渡し、私に飴の袋を押し付けた。勢いが強くて目をパシパシと瞬くと、親父さんは子どもは飴でも食っとけ、とニカッと笑った。
「いいですよ、そんな!それに飴って、そんな年齢じゃないですよ!?」
「いいから貰っとけ!そんでこないだのチビたちにも分けてやれ!」
あ、と口を開けてから、ゆっくり引き結ぶ。親父さんの言葉に、私は顔を作るしかできなかった。
と、なんだかいつぞやかのように、ブルー寄りな気持ちで居たわけだが、どうしてか私は玄関を目前に全ての憂いが、遥か彼方45℃南東辺りに吹き飛んで空を見上げることになっていた。
丸く切り取られた空は半分深い紺碧に。残り半分は紅。アホーアホーとカラスも鳴いている。
拝啓、祖父へ。
しりとりバトルで「み」攻めした罰でしょうか?それとも「ンジャメナ」があるとかこねくり回したせいでしょうか。でも「ん」から始まる言葉は世の中に存在するのです。日本語の並びに中々無いだけであって。
話がズレましたが、多分その辺の因果か何かで貴方の可愛い可愛い孫は落とし穴の底にいます。助けろください。
そんなことを思いながら深々と溜め息を吐く。
手を伸ばして穴の縁に届くか試したが、悔しいことにギリギリ届かない。この女子の中ではちょっと身長高めの私が、だ。
何故そこに落とし穴。Why japanese people。
たった数秒前だった。元気を出そうとトッカータとフーガニ短調のメロディーを鼻歌で歌っていたら地面が消失した。世間一般で知られている歌詞で言えば「鼻から牛乳」の「にゅ」の音のタイミングだった。
いや、正しくは途中までは地面は存在していたのだ。存在していたから私は一歩に体重を乗せていたのだから。右足一歩踏み出し、左足を上げ、そして。
「あポッペぷっポゥッッッ!?」
と、見事にホール・イン・ワンした。
踏み出した先の地面がフェイクだなんて誰が思うだろうか。いや思うまい。玄関数メートル手前に落とし穴が掘られているなんて。
そもそも日常生活の中で落とし穴が存在するなんて、連休のスペシャル番組の中くらいしかないだろう。
何故落とし穴?あれか?犬か?犬なのか?それともタヌキ?ホンドタヌキ??野良ホンドタヌキなの??尾てい骨を擦りながら考える。
しかし、野生動物産の穴だとしたら可笑しすぎる。まず、落とし穴の底に座布団が入っている。次に私がしっかり落ちる深さがあること。
ここから推測されるのは、メイビーきっと熊。熊駆除に嫌がらせ電話するタイプの熊と見た。そうとしか思えない。私が家を出てから帰ってくるまでの時間でこんな手の込んだことをする友人はいないから……いや居たな。一人いた。やはり前言撤回。友人お前か。アラスカからいつ帰ってきた。連絡くらいしろ。ホール・イン・ワン請求するぞ。(※ゴルフではホール・イン・ワンの時に入れた人が周りのプレイヤーやキャディさんに色々振る舞うことがあります)
友人にスタンプ爆弾でもしてやろうかと、いつものようにお尻のポケットに入れていたスマホに手を伸ばす。幸いにも今の衝撃で画面がヒビ割れたなんてことにはなっていない。パパっとパスワードを打ち込んでロックを解除した。
ふと、頭上が暗くなる。
「おやまぁ」
降ってきたのは気の抜けるような声だった。
顔を上げれば猫のように丸い目が二つ、ぱちくりと瞬く。声と同じくフワフワとした髪の少年が、こちらを驚いた顔で覗き込んでいた。その頬には土が付いている。
「……ちゃんと天女さんが落ちてる」
しみじみとした物言いに、Why japanese 落とし穴なんて馬鹿の構文を浮かべながら、私の頭は言葉を捻り出した。
「この落とし穴掘ったのは貴様かブルータス!!!!」
「違います。トシちゃん6号です」
「トシちゃんis誰ェ!?号is何ッ?!」
「この落とし穴のことですよ」
会話はキャッチボールだと知っているか君。剛速球を当て続けるのは一方的ピッチングマシンなんだが。
するとドアが開く音がした。誰も居ないはずなのに、だ。
つまるところ、また誰かがこちらに来てて、この落とし穴の犯人(推定)である猫目くんは、向こうの忍者のたまごなのだろう。
軽やかな足音が穴の近くで止まった。
「あれ〜?綾部先輩どうしたんですか?」
はにゃあ、と間延びした特徴的な喋り方には覚えがある。一年は組の喜三太くんだ。
「ああ、ご覧。天女さんだよ」
「なんか他人事感凄くないか君?」
大声でツッコんでも猫目くんは聞く様子はない。マイペースにも程がある。
一方、その横からひょこっと顔を覗かせた喜三太くんは、目が合うとパッと顔を明るくした。
「あ、天女さんだ!おかえりなさーい!」
「……うん、ただいま」
「でも、なんで落とし穴に落ちてるんですか〜?」
そこに落とし穴があったから、という至極当たり前の理由以外あるのだろうか。いやあるまい。
けれど、人を落とし穴に落としときながら、観察する猫目くんに負けましたと言うのは癪だ。私にもなけなしのプライドというものがある。かと言って事実は事実だし、と言い方に悩んでいるとまたドアが開く音がして、少し重い足音が聞こえた。
「喜三太どうしたの〜?」
また間延びした声だ。これも知っている。しんべヱくんの声だ。彼も来ているらしい。
「あ」
ゴツン、と音がした。次いで転がる振動が鼓膜を揺らす。わーん、としんべヱくんの半泣きな声も聞こえる。一体上で何が起きているんだ。
「おっと」
ひょい、と綾部くんが喜三太くんの首根っこを掴んで穴の縁から消える。
同時に勢い良く頭上に現れる黒い塊。
それは重力に従って、瞬く間に落ちてくる。
「へ」
そこそ良い動体視力で見えたのは、迫りくるしんべヱくんの顔。
「は?」
ごっちーん、と音を最後に私の視界は暗転した。
※※※
歌が聴こえた。楽しそうな歌だ。
ゆっくりと目を開ける。そして、目に入ったものに思わず顔を顰めた。
なんせ、豆腐に手足が生えている。デフォルメされた棒みたいな足だ。口と目は無い。プルプルと白い身体に手足が付いている。
それが4体、私の周りをグルグル歌いながら回っていた。口もないのに。
──いけにえはだれだー!
──つぎはおまえだー!
──にげられるとおもうなー!
絵面は一応日本昔話なのに、歌が全く可愛くない。
なんなんだ。生贄とか怖い話は止めようか!やめろ歌うな回るな迫るなこっち来るな!泣くぞ!私は人怖系はどうにかできてもガチホラーは駄目なんだ!泣いてやろうか全力で!19歳の全力を見せてやろうか!?
けれど逃げたいのに足は動かないし、声も出ない。動ける範囲で小さく身体を縮こませていると、ポンと背中を叩かれる。
ダラダラと冷や汗が夢の中なのに流れる。
振り向きたく無い。振り向いたら最後だと、分からないのに理解している。なのに意思に反して身体はそちらへと動く。ゆっくり、確実に。
いつの間にか、歌は止まっていた。
はくはくと声に出ない声でやめろと叫ぶ。
それでも止まらない。
すっかり反対方向に向くと、一体の豆腐がいた。4体同様、手足が生えている。それだけならまだ耐えられた。あの4体の脅迫ドナドナに耐えられたから。
「───!?!?」
後ろにいたその豆腐、キングオブ豆腐とでもいうべきそいつは、両手に山のような豆腐を持ち、こちらへと差し出してきた。絹豆腐なのか木綿豆腐なのかは知らないが、視界が全て白い豆腐に埋め尽くされる。首を横に振ろうが「さぁ!」と迫りくる豆腐。なるほどこれが豆腐ハザード。なんなんだこれ。
一歩下がろうとすれば、いつの間にか後ろに回っていた4体の豆腐が逃げないように押さえつけてくる。
前門の豆腐、後門の豆腐。渡る世間は豆腐ばかり。
堪らず私は叫んだ。
「絹より木綿より甘くないタイプの茶碗蒸しぃィィイーーーー?!!!!」
「あ!起きた!───せんぱーい!!」
軽い足音が遠ざかる。
明かりが眩しくて何度かまたたく。やっと目が慣れた時、見覚えのある場所にいたことに気付いた。家の客間だ。しかも、ご丁寧に布団に寝かされていたらしい。上半身を起こして左右を見ると、見知らぬ井竹模様の子としんべヱくんがそれぞれ、少し離れた正面辺りには穴の底から見上げていた猫目くん。彼は何故か室内なのにスコップを抱えている。
「と、豆腐ハザードは……豆腐キングは……」
「だいじょ……え?」
見知らぬ井竹模様の子は困惑した顔でこちらを見た。それはそうだろう。何なんだ豆腐ハザード。何なんだあの夢。夢は無意識での願望が出てくるとか言うが、それだとすると私は偏執的に豆腐を求める狂人ということになってしまう。それは嫌だ。何かの間違いであってくれ。
そう願って頭に手を当て軽く振る。
すると。
「えーん!!天女さーん!!!ごめんなさぁーい!!」
「あべシッ!?」
半べそをかきながら飛んできたしんべヱくんの突撃を全身で受け止める。まろび出そうな内臓は根性で押さえ込む。でなければ、間違いなく色々出ていた。主に痰臓とか胃とかその辺り。
「ぼく、天女さんの声がして、外に出たら石に躓いちゃってぇ、そしたら転んでゴロゴロ〜って……!!」
グスグスと鼻を鳴らしながら、しんべヱくんは言った。
意識を失う直前に降ってきたソレは、どうやらしんべヱくん自身だったらしい。確かに触ると頭頂部の辺りにタンコブができている。
「あー、よしよし、大丈夫だいじょーぶ。それよりしんべヱくんこそ怪我は?どこも痛くない?」
「ばい"!!」
鼻水が豪快に服に付いたがもう仕方ない。しばらくしんべヱくんが落ち着くまでこうしておこう。
片手で丸い頭を撫でながら、残る2人へ視線を移す。
「ええと、それで君たちも忍術学園の子……だよね」
しんべヱくんのの勢いに呆然としていた見知らぬ井竹模様の子はハッと居住まいを直した。
「一年い組、黒門伝七です!」
「おお、しっかりしてる」
「はい!は組と違って優秀ない組なので!」
「あれ!?初っ端から喧嘩売ってくスタイル!?」
まぁ、この態度から考えるとい組、ろ組、は組というのは成績順なのかもしれない。自信満々なのは悪いとは思わない。この年のくらいなら、ちょっとおませさんくらいはよくあることだし。
……謎の女装への自信だけ持たなければ。
「あの天女さん!」
「うん?」
伝七くんは口をへの字にしながら、泣きついているしんべヱくんをギロリと睨んだ。
「しんべヱは石頭だから、甘やかさなくとも大丈夫です!」
「いやでも、そのままってのはできないし……」
「第一、被害者は天女さんでしょう!ちゃんと怒るべきです!しんべヱが転んで落ちなければ、貴方は気を失ったりしなかってんですから!」
「それはそうだけど、わざとじゃないしなぁ……」
本人もしっかり反省してるし、転けてしまったのは仕方ないし、怒るべきところは何処にもない。そもそも落とし穴を掘ったであろう犯人の方が追い詰められるべきであり、しんべヱくん自身も被害者の一人と言えなくもない。
しかしそこには気付いていないのかふん、と腕を組んで全身で不満を訴えてくる伝七くん。おませさんにしては他への当たりがキツイ。
なるほどこれが反抗期。だからこそ言葉選びに気を付けないとメンタルツイストしちゃうんだよな。
落ち着いてきたしんべヱくんの鼻をかみ、ティッシュをゴミ箱に投げ捨てると更に伝七くんは視線を鋭くした。
「それに天女さんは一年い組で先生見習いだって務めたことがあるんですから!は組じゃなくて、い組のことを気にしてくださいよ!!ほら、何か思い出したりしませんか!?」
「ん……?」
なんか、違う方面だったりする?伝七くん?
と、同時に気付いてしまった。今、変な情報増えなかった?
「え、私が先生、見習い……?」
「そうです!この優秀な一年い組で!先生見習いしてたんですよ!」
ちなみに、私の大学及び所属する学部でも教員免許は取れるが、今のところ私は選択していない。そのための講義も何も取っていない。
第一、全くもって教師向きの性格ではない自覚が大いにある。面倒見が良いわけでもないし、丁寧な性格でもない。そんな人間が、教員見習い?
「……伝七くん、それ大丈夫?なんか生き恥から逃げる授業だったりしない?」
「えっ……!?ええと、」
ぱっと思いつく教えられそうな内容はそれしかない。生き恥晒して19年。逃げ方、話の反らし方はお手の物だ。
それはもう真剣に訊ねると、部屋の外からくつくつと笑い声がした。
「天女さーん!立花先輩連れてきましたー!」
たたっと部屋に駆け込んできた喜三太くんは、満面の笑みでこちらへ容赦なくダイブしてくる。私頭ぶつけて倒れたんだが、と思いつつ片手で受け止めて頭をぽんぽんと撫でておく。
「あ、アホのは組は話を遮るなぁー!!!天女さんから離れろ!!!」
「こらこら伝七くん、アホは駄目だよ。アホは。そういうのは安易に言わないこと。変な口癖になっちゃうよ。あと二人も一旦離れようか。しんべヱくんは落ち着いた?」
「うん!」
すび、と鼻をすすりながらしんべヱくんが離れた。喜三太くんも元気よく返事をすると、しんべヱくんの隣に座る。
掛け布団にべったりついたしんべヱくんの鼻水についてはノーコメントで。どうせこのあと、私が洗って干すことになるので。
二人が離れたタイミングで部屋にお盆を手に入ってきたのは、先日の二人と同じ色の装束を着た生徒だった。つまり六年生ということだろう。
線が細いせいで一瞬女の子かと思ったが、笑う声は存外低く男子生徒だと分かった。
「三人共、余り天女さんを困らせないように」
そう言って『立花先輩』と呼ばれた男子生徒は私の近くに腰を下ろすと湯呑みを渡してきた。流れで受け取り覗き込むと、中身は麦茶だった。ゆるりと揺らし映る光を眺めてから口を付ける。まだ冷たい。多分作り置きのものを入れてきてくれたんだろう。場所は席を外していた喜三太くんが、彼に教えたのかもしれない。冷蔵庫に関しては前回見ているだろうし。
「お加減は如何ですか?」
「……体調は問題無いよ。頭もしっかりしてるし」
「それは良かった。私達としても、先のことは想定外の事故でしたので」
立花くんは、「喜八郎」と猫目くんを呼びつける。はぁい、と間延びした声で猫目くん、もとい喜八郎くんは立花くんの隣に座った。
「お前、一言くらい天女さんに謝ったのか?」
問い詰める物言いに、言われた当人は斜め上に視線を移し「まだでーす」と答えた。しんべヱくんと違いまったく反省の色が見えない。なんというクソガキムーブメント。毒気が抜かれる、いうか呆れるというか。
「申し訳ありません。喜八郎には私から後程しっかり言っておきます」
「あー、うん。それはお願いしたい。さすがに家の周り中落とし穴だらけは困るから」
頭を抑え頷く立花くんに、私は引き攣った笑みを返した。どうやら彼も中々に苦労しているらしい。しんべヱくんと喜三太くんも「大丈夫ですか?」と心配そうにしているが、彼はお前たちもだ!と低く呟いた。二人は可愛らしくキョトンと首を傾げているが、なんとなく事情は察せられた。
生温かい目を送ると、立花くんはコホンと一つ咳払いをして顔を取り繕った。空気も少し、引き締まる。私も真面目な空気に、上半身だけ起こした体勢から正座に姿勢を直した。
「……では、改めて自己紹介を。私は六年い組、立花仙蔵。こちらは四年い組、綾部喜八郎。先程既に名乗ってますが、一年い組、黒門伝七。そして一年は組山村喜三太、福富しんべヱ。以上5名、此度は天女さんに助力を乞うべく参りました」
「助力……?」
「はい。詳しくは此方を」
立花くんが懐から出したのは、時代劇で見るような手紙だった。宛名にはミミズの這ったような字で『天女殿』と書かれた紙で包まれている。
それを受け取り裏返すと、『大川平次渦正』と記載されている。
また記憶に無い人だ。首を傾げるとしんべヱくんが「学園長先生ですよ」と教えてくれた。
ということは、先程の助力云々は学園から直々にという話だろう。責任重大そうな話でもあるということだ。一応この場で開けていいか訊ねれば、当たり前だと頷かれた。見ーたーなー!!!ぎゃー!!!なんていうZ級映画案件にならないのならいいけどな、と思いながら外を覆っている和紙を広げる。勿論そんな展開は起きなかった。
「……うーん」
並んだ文字を眺める。
内容を簡単にまとめると、忍術学園でもこの現象について調べようとしていること、そしてこちらへの協力を要請したいことが記されている。幸いにも向こうも行き来する道は閉ざしたいらしいので、こちらとしてもありがたい。
が、こんなミミズの這ったような字なのにスラスラ読める。読める、読めるぞォ!!!とラピュタの王の気持ちが分かってしまった。
しかし、全く嬉しくないどころかちょっと気味悪い。考えて欲しい。私はまったく書の心得も何も持たないタイプの大学生だ。最近の忍者騒動で歴史について調べているが、まだ昔の文字なんてちっとも読めやしない。どこからどこまでが一文字なんです?え、それで一文字?嘘だろ?となっている方だ。
それが何故か簡単に読めている。
目を閉じて眉間を揉んでから再度読んでみても同じだった。
「天女さん、どうしましたか?」
不思議そうにしんべヱくんが手元を覗き込む。その隣から密書見た〜いと喜三太くんは言った後、ハッと顔を上げた。
「あ!もし忍者文字のお手紙なら、ぼくたちお手伝いしますよ!」
「はぁ!?アんぐッ……は組はできやしないだろ!天女さん、そういうことなら僕に任せてください!」
「実戦経験の少ないい組に言われたくないですぅ!」
「ええ……忍者文字is何……ていうか落ち着け君たち。そしてもって記憶に無い言葉が増えてくよぉ……」
読めてるから大丈夫だよ、と二人を宥め立花くんに向き直る。
「立花くんはこの内容は聞いている?」
「ええ。貴方がもし手紙を読めなかった際に備えて説明されています」
「そう。なら話が早くていいね。返事は『勿論』。できる限りの協力は惜しまない……って、何かちゃんとした返信を用意した方がいいかな」
「そうですね。物の授受が可能かどうかを確かめるためにも、一筆いただければありがたいてす」
「そうだね……」
今のところ袖だけはそちらの時代に行っていることは身を持って分かっている。ところが服なんかは綺麗にこちらのものは残され、向こうの着物は消えている。そこの違いは良くわからない。なら、ここは協力しながら解き明かすしかない問題だろう。
自室の引き出しにレターセットがあった気がするので、後程それで返事を書こうと考えつつポケットに入れていたスマホに手を伸ばす。時間を見ようとしたのだが、そこには何もない。他のポケットを叩いてもそれらしき感触は無い。
サッと背筋が寒くなる。
すると、あ、と綾部くんが言った。
「天女さんが、尻に入れてる焙烙火矢ならここに」
その手には私のスマホが燦然と輝いていた。
しかもロックが解除されている。なんで!?どうして!?と慌てる私を余所に立花くんが言った。
「爆発すると危険ですので」
「爆発しないよ!!?!?」
※※※
取り敢えず夕飯の準備してくる、と言って立ち上がった天女の背を一年生達が追い掛ける。
仙蔵と喜八郎はそれを見送ると互いに頷いた。
「喜八郎、分かってい」
『うわちょっ!?そこは開けない!!カトラリー入って……ってなんで!?なんでナイフとフォークが飛び出し、あぶなッ!?!!』
『わぁ!天女さんすごぉーい!』
『す、スゴイじゃないだろ!!お前たち天女さんの手間を増やすな!』
『あっっっぶな……!?え、私の指付いてる??伝七くん、私の指5本全部付いてる???4本になってない???』
『付いてます!付いてますから落ち着いて!?』
『あ、みてみて!キャベツにりっぱなナメクジさん!』
『分かった!なんとなく分かったからおちつ……ぬぇ!?!』
「あれ、放っておいて大丈夫なんですか?」
「……」
ドンガラガッシャン、どっしんばったん、と料理をしているとは思えない音に仙蔵は無言で頭を抱えた。
伝七だけならまだしも、喜三太としんべヱが来た時点で、落ち着いてことが進められるわけが無かった。これまでだってそうだった。二人揃って問題を起こす。
ぎゃー!にゃー!あぱー!!!と巻き込まれているであろう天女と伝七の悲鳴が上がる度に、仙蔵のこめかみがピクピクと引き攣る。
「……二人をこちらに戻してくれ」
絞り出した彼の答えは、これ以上被害が出ないようにすることだけだった。
「りよーかいです」
綾部は手短に答えた。
淡々と、抑揚なく。表情は変わらず視線だけは音の方へ。
いつもと変わらない様子に、仙蔵引っ掛かりを覚えた。が、段々ヒートアップする騒ぎをどうにかするほうが先だと踏んだ。恐らくこのままだと天女がケガをする。そういう場面は山程見てきた。
「……頼んだぞ」
「はぁい」