01

「マスター、夕餉の時間です」

控え目に声を掛けてきた仮面の青年、蘭陵王に名前は生返事を返す。
もう少しでインスピレーションが降りてきそうな気配があるのだ。
赤と黄色、それが散らばったキャンパスを前に唸る名前の肩に青年が手を置く。

「一度食事を摂り、頭をリセットするのも大切ですよ」
「う"……分かったよ……」

渋々といった様子で名前は立ち上がる。その様子に仕方無い、と蘭陵王は子供を見るような暖かな視線を向けた。
血縁もなく、ましてや赤の他人。更には本物の人ですらない蘭陵王と、ずぼらさ漂う美大生の名前、この奇妙な二人の生活の始まりは数日前に遡る。

***

名前はある日、同じ大学の友人から『魔方陣』と『呪文』が描かれた紙を貰った。よくあるオカルティックなそれは妖しい魅力を持っていた。美大に通うものとして、惹かれてしまうのは仕形がない。眉唾物だと分かっていたが、名前はついつい手を出してしまったのだ。

「素に銀と鉄……」

言い慣れない呪文を噛まないようにしながら、言葉を紡ぐ。
紡いだ言葉は意味を持ち、うねりそして宙に溶ける。それと引き換えのように身体からは力が抜けていく。
名前自身、その言葉がどんな意味を持つのか理解しているわけではないが、『言霊』という言葉が存在するため、何かしらの意味、或いは力を持つのだろうと想定はしていた。何か彼女の理解しきれない力が働いているのか、または暗示か、力が抜けていく理由までは分からない。けれど取り付かれたように、名前は言葉を紡ぐ。淡々と、その声が暗闇の中へと溶ける。そうして最後の一文を読み上げる。
ここで、終わるはずだった。一人暮らし、1LDKの部屋に奇妙な魔法陣が描かれ、それを写真に納めて終わるはずだった。だが、一拍、間を置いて風が室内に巻き起こる。あまりの強さに目を閉じ、収まるのを名前は待った。
そして、はらはらと壁に貼られていた写真が舞い散る中、ゆっくりと目を見開く。

「……え」

彼女の目の前、つまりは魔法陣の中央。そこに片膝を着いた、中華風の衣装を身に纏った青年がいた。顔の大半は面に隠されており確認することは叶わないが、白く透き通った肌や髪から美しさが滲み出ている。
青年が顔を上げる。

「『セイバー』蘭陵王。召喚に応じ馳せ参じました」

面の向こうの藤色の瞳が名前をまっすぐに見据える。

「問おう、貴女が私のマスターか?」

青年の問い掛けに、名前は咄嗟にスマホを手に取った。
そして、青年に向かい、

「すみません、誰かと間違えてないですか?ウチはバーなんて開業してませんよ?」

不信感バリバリの返答を返した。手元のスマホには110と打ち、あとは通話ボタンを押せば警察に電話できる準備までしている。
魔法陣を描いたところでまさか本当に何かが起こるとは思っていなかったのだ。彼女の頭の中は混乱しきっており、正常な思考がままならない。
そんな答えが返ってくるとは思わなかったのだろう、青年も困惑したように口元を引き吊らせた。

「え、あの……え?」
「いや、あの……うん、ええっと……」

コミュニケーション能力の欠落した若者、その言葉が名前の脳裏に浮かび上がる。

「ええと、マスターでは……無いと?」
「あの、はい。お店開いてないです……」

増田でもないです、と付け加え名前は一歩、蘭陵王から距離をとった。
不信感の籠められた視線に、蘭陵王は思わず顔を伏せる。

「面を着けたままでの参上、疑うのも致し方ありません。ですが、どうか……」

圧し殺した感情に気付いたのは、元より備わっていた観察眼からだろう。お互いに状況が分からないことには変わり無いのだ。名前はすぐに蘭陵王と同じ視線になるようにしゃがみこんだ。

「ごめん、分からないのは君もだよね」

謝罪を口にした名前に蘭陵王が少し目を見開く。仮面越しではあったが、表情が滲み出ている。意外と分かりやすいんだな、とクスリと笑みを溢す。

「とりあえず、情報交換しないかい?ええと、なんて呼べば良いかな……」

言い詰まる彼女に蘭陵王がゆっくりと口を開いた。

「ならば、『セイバー』とお呼びください。マスター」