大人の話

赤葦あかあしサイド

佑月(Yuzuki Bokuto)
LUMINO 代表 / デザイナー
AURORA MANAGEMENT CEO
ジュエリーアーティスト / クリエイティブディレクター

 肩書きだけで、もう眩しい。でも俺は、その全部を“生活の中の佑月さん”として知っている。

“光と影の美しさ”をテーマにしたジュエリー。
スポーツ選手のブランディング。
木兎さんの専属サポート。

 そして、三人の絆を象徴する非売品「TRIO」。どれも遠い世界の話みたいなのに、俺にとっては、朝食の匂いと同じくらい身近なものだ。



 MSBYブラックジャッカルの試合会場は、いつ来ても熱気が渦を巻いている。その中心で跳ねる木兎光太郎は、相変わらず太陽みたいに明るい。

(……本当に、すごい人だ)

 そう思うのは何度目だろう。高校の頃に感じた“スター性”は、今でも揺らがない。

 でも今日、俺の視線はもう一人の“光”にも向いていた。

 会場の一角にあるLUMINOの特設ブース。そこに飾られた新作広告は、光と影のコントラストが静かに呼吸しているようだった。

(……全部、成功させたんだ)

 胸の奥がじんわり熱くなる。佑月さんは、学生時代に二つの会社を立ち上げ、どちらも軌道に乗せた。木兎さんのマネジメントも、ブランドの運営も、簡単なことじゃないはずなのに。

 家では、たまにコヅケンとゲーム配信をして、
木兎ツインズのオタクが世の中にどれだけいるのか驚かされる。まぁ、俺もその一人に数えられてしまうのだが。

(すごい……)

 尊敬とか、憧れとか、言葉にしようとすると、どれも少しずつ足りなかった。二人とも、前に進んでいる。その眩しさに、胸が少しざわつく。

 置いていかれたわけじゃない。でも、二人の光が強すぎて、自分の立ち位置が分からなくなる瞬間がある。



 試合後、木兎さんが駆け寄ってくる。

「あかーし!来てくれたのか!」

 その小指には、あの日と変わらずLUMINOのピンキーリングが光っていた。

「ええ。今日も良い試合でした」
「だろ?佑月の会社も絶好調だし、俺も絶好調!」

 太陽みたいな笑顔。その明るさに、胸のざわつきが少し和らぐ。

(……木兎さん、すごいな)

 そう思った瞬間。

「光太郎、先いくなって言っただろ」

 聞き慣れた声が、静かに空気を揺らした。佑月さんが、ゆっくりと歩いてくる。汗の光を反射する会場のライトの中で、その表情はどこか柔らかい。

「あ、佑月ーおせーぞ!」
「こっちは挨拶とか色々あるんだって……あっ」

 佑月さんの視線が、俺に触れた。

「佑月さん、お疲れ様です」
「ん。京治、お疲れ様。朝ぶり」

 その一言で、胸が跳ねる。朝ぶり、つまり、家を出る前に会っているということ。

 佑月さんに告白されてから数年後。俺は出版社に就職して、「職場に近いし、一緒に住まないか」と言われて、気づけば同棲していた。

 佑月さんはリモートワークも多いが、遠征や出張で家にいない日も多い。俺も仕事が忙しくて、会える時間は多くない。それでも悪くない。むしろ、日常が静かに満たされていく感じがある。

 佑月さんの成功も、木兎さんの活躍も、もう“遠い世界の光”じゃない。俺の生活の中で、確かに灯っている光だ。

 控室へ向かう廊下。

 木兎さんが先頭で歩き、その後ろを俺と佑月さんが並ぶ。

 ほんの数時間前まで、俺たちは家で朝食を食べていたのに、会場で並ぶと距離感がまるで違う。

 佑月さんは完全に“仕事の顔”をしていて、木兎さんの動きも、スタッフの流れも、全部を自然に把握している。

(……やっぱり、すごい人だ)

「わざわざ東京きたし、俺も今日、二人の家帰ろうかな」

 木兎さんが振り振り向かないで言う。その声はいつも通り明るいのに、どこか甘えるような響きが混ざっていた。

「光太郎は、いいホテル泊まるんだって俺に自慢してきただろ」

 佑月さんが、少しだけ肩をすくめる。言葉は軽いのに、声の奥にある柔らかさは隠せていない。

「そうだけどよー」
「俺たちはいつでも家いるから……あ、嘘。結構仕事で忙しくて家いない。二人とも」
「おい、あかーしー!佑月がいじめるよー!」

 そんなやり取りを聞きながら、俺はふと立ち止まって、二人の背中を見つめた。木兎さんの大きな肩越しに、佑月さんがほんの少しだけ笑っている。その笑みは、家族にだけ向ける、静かで深いものだった。その横顔に、胸がじんわりと温かくなる。

「ん?京治、どうした?」
「…あ、なんでも」
「寒い?」

 不意に佑月さんに声をかけられ、肩が跳ねる。

「え、あ……大丈夫です」
「そっか。今日は会場冷えてるからさ」

 今度は歩幅を合わせてくれる、そのさりげなさが、ずるいと思う。気を遣っているわけでも、意識しているわけでもない。ただ自然に、俺の歩く速度に寄り添ってくる。その自然さが、胸の奥を静かに撫でていく。

 前を歩く木兎さんが、ふいに振り返ってにやりと笑った。

「おーい、二人とも距離近くね?仲良しか?」
「木兎さん、前向いて歩いてください」
「へいへい」
「へい、は一回」

 軽口を叩きながら、木兎さんの肩を軽く叩く佑月さん。その仕草はいつも通りなのに、指先に光るリングだけが、ひどく静かに存在を主張していた。

 ライトを受けて、銀の輪が淡く揺れる。俺の小指にも、同じものがある。

(……三人でつけてるんだな)

 何年経っても、その事実はどこか現実味がなくて、でも確かにそこにあって、胸の奥をじんわり温めた。

 まるで、ここにいていいと二人に静かに肯定されているみたいだった。

「京治、今日の試合どうだった?」
「……木兎さん、すごかったです。でも、…佑月さんの仕事が、すごいと思いました」
「え?」
「広告も、ブースの構成も、全部……佑月さんの“光”だなって」

 佑月さんが少しだけ目を丸くして、照れたように笑う。

「……ありがと。京治にそう言われると、嬉しいな」

 その笑顔に、胸がまた跳ねた。ほんの一瞬、呼吸が遅れる。そのタイミングを見計らったように、スタッフが駆け寄ってきた。

「木兎選手!このあとLUMINOさんの“ネックレス発売記念お渡し会”、準備できてます!」
「あっ、そうだった!俺、イベントなんだよな!」

 木兎さんが胸を張る。さっきまで試合で全力だったとは思えないほど、太陽みたいに明るい。

「あかーしーっ、今日の取材よろしくな!」
「……はい。仕事なので」
「かてぇなぁ赤葦は!」

 木兎さんのその言葉に、佑月さんが小さく笑った。声に出すほどの笑いじゃない。でも、目元がほんの少しだけ緩んで、その柔らかさが胸の奥に静かに落ちていく。

 控室の扉を開けながら、木兎さんが叫ぶ。

「おーい!二人とも早く来いよー!」
「はいはい、今行く」

 佑月さんが軽く返事をして、そのあとで、俺の方をちらりと見る。ほんの一瞬。でも、その一瞬に全部が詰まっている。

「行こ、京治」
「……はい」

 その一言だけで、置いていかれていないと分かる。木兎さんの太陽の光と、佑月さんの静かな光のあいだで、俺はちゃんと歩けている。そう思え
た瞬間だった。



「なぁなぁ、赤葦」

 控室で着替えとセットをされている木兎さんが急に勢いよく振り返った。ライトが反射して、髪の毛がふわっと揺れる。

「木兎さん、急に動くと危ないですよ」
「…お前さ、肩書きどうする?」
「肩書き……?」
「だってお前、俺の相棒だろ?で、佑月の恋人だろ?」
「……はい?」
「だからさ、まとめると」

 胸を張って、誇らしげに言う。

「“木兎光太郎の相棒兼・佑月の恋人”!」
「……長いです。それにもう相棒じゃないですよ」
「ノリわりー!でも元だとしても事実だろ?」
「事実ですけど……」
「光太郎。京治が、困ってるだろ」

 佑月さんの声は、呆れているようで、どこか柔らかい。そのほんの少しの揺れが、胸の奥に静かに触れてくる。

「困ってねぇよな?な?」
「……困ってます」
「あかーし!そこは困ってないっていうところ!」

 控室のスタッフがクスクス笑う。その笑い声の向こうで、佑月さんは腕を組んだまま、眉を下げているのに、目だけがほんの少しだけ笑っていた。そのわずかな光が、俺の胸をそっと叩く。

「光太郎。その辺にしって」
「じゃあ佑月、正式名称つけて!」
「……」

 佑月さんは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。言葉を探すというより、胸の奥に触れる“正しい名前”を選んでいるような沈黙。

 そして、ゆっくりと俺を見る。まっすぐで、でもどこかためらいのある目。

「……俺たちの大事な人、とか?」
「っ……!」

 空気が止まった。誰も息をしていないみたいだった。佑月さん自身も、言ったあとでほんの少しだけ息を呑んだように見えた。照れているわけじゃない。
 でも、言葉の重さを自分で確かめているような、そんな静かな揺れがあった。その揺れが、胸の奥にゆっくりと広がっていく。

「それいいな!!!俺たちの大事な人!!!!」
「木兎さん、黙ってください」

 言いながら、顔が熱い。でも、嫌じゃない。むしろ、胸の奥がゆっくりと満たされていく。
 
 日常が静かに満ちていく音がした。


「木兎選手、今日お渡しするのは、こちらのネックレスのメインビジュアルのポストカードになります」
「おー!あのかっこいいやつな!」

 メイクをされながらイベントの説明を聞く木兎さんは、さっきまでの無邪気さとは違う、仕事の顔をしていた。目の奥に、プロとしての集中が宿っている。

 スタッフから渡されたポストカードを、木兎さんは嬉しそうにポストカードを手に取る。そこには、佑月さんが撮影・ディレクションした“初めてのネックレス”のビジュアルが印刷されていた。光を受けて揺れるトップ。影が静かに落ちる首元。LUMINOらしい、静かで強い世界観。

(……綺麗だ)

 胸の奥が、ひとつ脈打つ。

 思わず息を呑んだ瞬間、スタッフの声が現実へ引き戻す。

「木兎選手には、スタッフがポストカードを隣で準備しますので、そこにサインを書いていただいて……」

 説明が続く横で、佑月さんが、ふっと俺の方へ視線を寄せた。

「京治、今日の記事……このビジュアル中心で書いてくれると嬉しい」

 その声は、喧騒の中でも不思議とまっすぐ届く。

「もちろんです。“初めてのネックレス”という切り口で特集にします」

 そう答えると、佑月さんの目が、ほんのわずかに柔らかくなった。

「ありがと。……京治が書くなら安心だ。
 俺のブランドのこと……一番理解してくれてるし」
 
 その言葉は、胸の奥にそっと置かれた重みのようで、静かに沈んでいった。

 沈んで、それから、じんわりと広がっていく。まるで、心の底に落ちた光が、水面を揺らすみたいに。


 
 会場にはすでにファンが列を作っている。LUMINOの新作ネックレスのビジュアルが印刷されたポストカード。木兎さんがサインを入れ、笑顔で一人ひとりに手渡していく。

 列がゆっくりと進むたび、会場の空気が少しずつ色を変えていく。ライトの熱、ファンの期待、そして木兎光太郎の太陽みたいな声。

「はい!ありがとうなー!大事にしてくれよ!」

 笑顔でポストカードを手渡す木兎さんは、さっきまで控室で騒いでいた人と同じとは思えないほど、プロの光をまとっていた。その横で、佑月さんがスタッフと動線を確認している。

 声は落ち着いていて、目の動きは静かで、でもその存在だけで場の空気が整っていく。そんな時だった。

「あのっ……!」

 列の途中にいたファンの子が、震える声で佑月さんに話しかけた。

「佑月さんですよね……!あの、ネックレスのビジュアル、本当に素敵で……!」

 佑月さんは、驚いたように瞬きをして、すぐに柔らかく笑った。

「ありがとう。光太郎が一番綺麗に見えるように作ったから」

 その言葉に、ファンの子の頬が赤く染まる。

「兄弟仲いいんですね……!」

 佑月さんは、照れたように目を伏せた。その仕草が、胸の奥を静かに揺らす。

「まぁ……大事な弟だからね」

(……大事な弟、か)

 胸の奥がじんわり温かくなる。その時だった。

「あ、あのっ!」

 その瞬間、ファンの子の視線が、ふと俺の小指に落ちた。

「……あの……もしかして……TRIOの……“方”ですか……?」
「……え?」

 息が止まる。でも、佑月さんはまるで呼吸するみたいに自然に言った。

「うん。俺たちの大事な人」
「っ」

 その声は、俺だけにそっと置かれたみたいだった。ファンの子が「ひぇ……尊……」と小さく崩れ落ち、スタッフが慌てて支える。俺はというと、顔が熱くて仕方がない。

「ちょ、佑月さん……!」
「ん?事実だろ?」
「……そうですけど……こんな……公の場で……」
「だって聞かれたし」

 さらっと言うな。その時、木兎さんが遠くから叫んだ。

「おーい赤葦ー!ファンにバレたのかー!?」
「木兎さん黙ってください!!」

 会場が笑いに包まれるが、ファンの子が涙目でポストカードを抱きしめたまま、ふと、思い出したように口を開いた。

「あの……もうひとつだけ、言ってもいいですか」

 その声音は、さっきまでの興奮とは違っていた。少し震えていて、でも真っ直ぐで。

「わたし……パートナーがいて。でも、ペアの指輪を買いに行くの、ずっと躊躇してたんです」

 佑月さんが、静かに目を細める。

「……どうして?」
「はい。似合わなかったらどうしようとか、誰かに変に見られたら嫌だなとか……そんなことばかり考えてしまって」

 言葉を探すように、ファンの子は胸元をぎゅっと押さえた。

「でも……LUMINOの指輪を見て、なんか……気持ちが変わったんです。光と影が一緒にあるみたいで……こういうの、つけたいって思えたんです」

 胸の奥が、静かに揺れた。

「店舗に行ったら、店員さんもすごく優しくて……気づいたら、木兎ツインズの尊さを語り合ってました……」

 佑月さんが、ふっと笑う。その笑みは、ブランドの代表としてのものじゃなくて、ひとりの人間としての、柔らかい笑みだった。

「……嬉しいな。君の大事な人との時間に、うちの指輪が少しでも関われたなら」

 ファンの子は、涙をこらえるように頷いた。

「はい……。だから……TRIOの“方”を見つけた時、本当に……胸がいっぱいになって……」

 視線が、また俺の小指に落ちる。

「三人の絆が……本当にあるんだって思えて……なんか……救われた気がしたんです」

 胸の奥が、じんわり熱を帯びる。その瞬間、佑月さんが俺の横に立ち、まるで当たり前のように言った。

「…ありがとう」

 そう言いながら、佑月さんはほんの一瞬だけ、その子の勇気に触れたみたいな目をした。ファンの子は、また涙をこぼしそうになりながら、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます。今日、来てよかったです」

 そう言って、列へ戻っていった。残された空気は、さっきより少しだけ温かかった。

 ファンの子が去っていったあと、会場のざわめきがゆっくりと遠のいていく。

 木兎さんの笑い声だけが、太陽みたいに明るく響いているのに、その横の通路は不思議なほど静かだった。

 佑月さんが、俺の隣に立つ。肩が触れるか触れないかの距離で。

「……いい子だったね」

 その声は、さっきの喧騒とは違う、柔らかく沈んだ響きだった。

「はい。…まさか、あんな話を聞けるとは思いませんでした」

 パートナーとの指輪の話。躊躇していた気持ち。LUMINOの指輪が背中を押したこと。

そして、"TRIOの方ですか”と、俺の小指を見つけて震えた声。全部が胸の奥に残っている。

「京治」

 名前を呼ばれて、思わず顔を向ける。

 佑月さんは、さっきファンに向けていた笑顔とは違う、もっと静かで、深い表情をしていた。

「京治の事、好きになってよかった」
「え?」
「……嬉しいよな、ああいう言葉を、直接聞けるの」
「……佑月さんのブランドが、誰かの背中を押してるんですよ」
「うん。でも……」

 佑月さんは、俺の小指のリングにそっと視線を落とした。

「“三人の絆で、救われた気がした”って言われた時……なんか……胸がぎゅっとした」

 その言葉に、俺の胸も同じように締めつけられる。

「……俺もです」

 佑月さんが、ほんの少しだけ息を吐いた。

「京治が……この輪の中にいてくれてよかったって、改めて思った」

 その声は、告白でも、宣言でもないのに、それ以上の重さで胸に落ちてくる。ファンの子が残していった言葉が、二人の間にそっと降り積もっていく。温かくて、少しだけ切なくて、でも確かに“前へ進む光”だった。

「……そんなふうに言われたら、困ります」
「困る?」
「……嬉しすぎて」

 佑月さんが、ふっと笑った。木兎さんの太陽とは違う、静かに灯る光。

「じゃあ……もう少し困らせてもいい?」

 その声は、触れない距離で触れてくるみたいだった。

「……佑月さん」

 名前を呼んだだけなのに、胸の奥がまた跳ねる。佑月さんは、ほんの一瞬だけ目を細めた。

「…昨日のこと、思い出してさ、」

 佑月さんは、それ以上言わなかった。言葉の続きを飲み込むように、ほんのわずかに視線を落とす。

 その沈黙が、胸の奥を静かに締めつけた。距離は触れないほど近いのに、空気だけが熱を帯びていく。肩と肩のあいだにある、たった数センチの“触れなさ”が、逆に意識を奪っていく。

 息を吸う音すら聞こえそうな距離で、佑月さんがゆっくりと顔を上げた。

 目が合った瞬間、胸の奥が跳ねる。

「京治って……ほんと、すぐ顔に出るよね」

 声は低く、落ち着いていて、でもどこか揺れていた。触れていないのに、触れられたみたいに熱が走る。

「……そういうところ、好きだよ」

 その一言が落ちた瞬間、会場のざわめきもライトの熱も、全部が遠くに溶けていった。