これの阿近と采絵の話
たまには食事でも、と珍しく誘われ、指定された飯屋に足を運ぶ。半個室の座席に通され、先に来ていた采絵の向かいに腰を下ろした。
「久しぶりね、阿近と食事なんて」
「あ?行ったことあったか?」
「あったわよ失礼ね」
随分昔だけどね、と付け加える采絵は失礼だなんだと言う割には全く怒っていない様子だ。誰かと飯屋に来るなんて、紫乃以外とはここ数十年なかったような気がするが。仕事に集中するあまり食わねえことも多い上、持ち前の仏頂面のせいか誘ってくる奴もそういねえ。適当に酒と料理を注文し煙草に火を点ける。
「相変わらず紫乃以外の女に興味ないのね」
「なんでそういう話になるんだよ」
茶々を入れてくる采絵は随分と楽しそうだ。紫乃のことを思い浮かべていたのは事実なので否定も肯定もせずに流すことしかできない。突然飯に誘ってくる時点で大方察しはついていたが、やはり今日は紫乃とのことを探る気満々らしい。それにしたって酒入ってからにしろよ。
紫乃への感情は公言こそしていないものの、あいつへの態度と他の奴への態度の差を見れば答えは一目瞭然だそうだ。自分のことは偏屈な奴だと思っていたが、存外単純明快な質らしい。どこかのハゲといい松本といいこいつといい、探りを入れてくる余計な世話焼きが多すぎるような気もするが。
「いい加減付き合ってあげたらいいのに」
「……そう簡単な話でもねえんだよ」
口を尖らせながら零す采絵に、溜め息混じりに紫煙を吐き出す。俺だって別に意固地になって紫乃の気持ちに応えないわけじゃねえ。同じ気持ちでいることに気づいていながらその気持ちに蓋をしているのは、一応ちゃんとした理由がある。
あいつが貴族じゃなかったら、きっと今頃俺と紫乃は恋人同士だっただろう。だがあいつは下級貴族で、貴族は家を守る責務がある。俺なんかじゃなく、同じ貴族と結ばれることがあいつにとっての、九条家にとっての幸せのはずだ。
「……家のこと難しく考えてるんでしょ、どうせ」
「あ?」
「なんとなく知ってるのよね、あの子の出自」
采絵の言葉に顔を上げる。紫乃の家のことはごく一部の死神しか知らないはずだが、どうやらこの女は知っていたらしい。それなら尚更、俺の考えを理解してもらいてえもんなんだが。
下級貴族である九条家は力も弱い。以前貴族間の勢力争いに死神を向かわせて鎮圧していたことも記憶に新しいはずだ。九条家の一人娘である紫乃はお世辞にも当主を務められるとは思えねえし、それなら他の貴族と結婚するしか力を保つ方法はない。
「家のことは付き合ってから考えたっていいじゃない」
「そいつは無理だ」
「どうして?」
「一度手に入れちまったら、もう手放せる気がしねえ」
短くなった煙草を灰皿に押し付ける。小っ恥ずかしいことを言った自覚はあるが、これは紛れもなく本心だ。一度付き合ってから両親に結婚を反対されたら、俺は紫乃と別れてやれる自信はねえ。それなら最初から恋人ではなく上司として、紫乃のことを守っていこうと決めた。紫乃には俺への感情をただの憧れへと昇華して、結ばれるべき相手とそうなって欲しいと思っている。俺の返答が想定外だったのか目を丸くした采絵は、大きな溜め息を吐きながら届いたばかりの酒を口にした。
「あんた頭良い癖に肝心なところでバカね」
「あ?」
意図が読めず采絵に視線を遣る。こっちは大真面目に考えて大真面目に話してたつもりなんだが。呆れた、とでも言いたげな表情を浮かべた采絵は俺の事などお構いなしに料理に手をつけ始めた。
「だいたい阿近は十二番隊副隊長よ?そんな優秀な男が婿に来てくれれば紫乃の両親だって反対するはずないじゃない」
「……俺が婿入りすんのか」
「好きな女に政略結婚させるくらいならあんたが九条家に入りなさいよ」
婿入りなんて考えたことがなかった。俺の出自はともかく、今現在副隊長を任されていることは確かだ。まあ俺が婿入りなんてすることを九条家が望むかは一旦思考から外しておいて、そういう選択肢があると思いつきもしなかった。
そもそも、紫乃と食事に行ったあの日から自分の感情が制御できなくなっているのは気づいていた。今までの俺であれば、考え無しに紫乃を抱きしめることなどしない。努めて普段通りに振る舞うようにしたが、それが紫乃を混乱させていることも、傷つけていることも自覚していた。紫乃を自分のものにすることもできず、かといって突き放すこともできず。雁字搦めになり、身動きが取れなくなっていたのだ。
「現世だと恋愛中は知能がチンパンジー並になるって研究結果があるらしいわよ」
「うるせえ」
煽ってくる采絵を一蹴し、運ばれてきた飯に手をつける。確かに俺は、色々なことを難しく考え過ぎていたのかもしれない。考えて自分を律したところで、結局は紫乃が好きだという感情には勝てないのだ。
腹を満たして酒も飲みつつ、仕事の話や紫乃の話をしていたら気づけば日を跨ぐ手前だった。そろそろお開きの空気となり、財布も出さずに外へ向かう采絵の背中を軽く睨んでおく。まあどうせ俺が払うことになるのはわかっていたため素直に会計して店を出ると、そこには先程まで話題の中心であった紫乃の姿があった。采絵に笑顔を向けていた紫乃は、俺の姿を捉えるなりみるみる青い顔になっていって。しまいにゃ目に薄ら涙を浮かべながら、逃げ出すように走り去ってしまった。……おい、面倒臭ェことになってねえか、これ。
「今の絶対誤解してるわよね」
「そうだな」
あの様子を見るに、あいつは十中八九采絵との仲を誤解したのだろう。まあ確かに俺が誰かと外食することなんてそうねえし、時間帯的にも誤解を与えてもおかしくないかもしれないが。というかなんでわざわざそんな現場に鉢合わせるんだあいつは。後頭部を掻きながら小さく溜め息を吐く。
「さっさと追いかけなさいよ」
「言われなくてもそのつもりだ」
采絵は送ってやらなくても勝手に帰るだろう。今は紫乃のことが最優先だ。時間も時間で、適度に酒も回ってる。勢いで余計なことを口走るかもしれねえが、好きな女に誤解されたままでいるよりマシだ。鈍臭ェ紫乃のことだ、どうせスタミナ切れですぐ立ち止まるに違いない。あいつの走っていった方へ向かい、俺の足も動き出した。
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