「おい!」

 背後で大きな声が聞こえ、びくりと肩を揺らす。恐る恐る振り返ると目に飛び込んできたのはピカリと反射する坊主頭で、思わず出かかったハゲの二文字をぐっと飲み込んだ。

「なんでしょうか…」
「阿近はいるか?」

 ハゲ、もとい斑目副隊長の口から出た想い人の名に先程とは別の意味で肩を揺らす。この人が阿近さんを呼ぶ時は、用件は大抵欠損部位の修復だ。以前にも何度か訪れてきたのを見たから、というか阿近さんを見てたら斑目副隊長がちょこちょこ現れたから覚えてしまった。

「阿近さんは……いるにはいるんですけど」
「あ?」
「今ちょっと、集中してるみたいで」

 今日は朝からずっと機械と睨み合っていた阿近さん。さっき覗いた時もガリガリとペンを走らせていたから、恐らく今は立て込んでいるのだろう。そんなときに声をかけるのは正直気が引ける。ちら、と斑目副隊長を見上げると、察してくれたのか頭をガシガシ掻いて気まずそうな顔をした。けれど、このまま帰すのはさすがに失礼というもの。

「あの、私でよければ」
「よくねえ」
「あ、阿近さん!」

 私でよければ造りましょうか、と言いかけたところで、後ろからポンと頭を掴まれた。大きなその手は先程まで研究室にこもっていた阿近さんのもので。煙草を咥えた阿近さんは、紫煙を吐き出しながら私と斑目副隊長の間に体を滑り込ませた。

「今度は何ぶっ壊したんだ」
「歯」
「またか。今回はどこ折ったんだよ」

 斑目副隊長の答えに、呆れたように溜め息を吐く阿近さん。大口を開けて折った部位を示す斑目副隊長の口内は、もう実歯と義歯どちらが多いかわかったもんじゃない。戦い好きの十一番隊だから戦闘で歯を折るのは仕方ないことなのだろうが。

「つーかいいのかよ?忙しかったんだろ」
「あ?あー……まあな」
「俺は別にそっちの女にやってもらっても構わねえぜ」

 斑目副隊長が顎で私を指す。実際私だって義歯くらい作れるし、本人がこう言ってるのだから忙しい阿近さんに無理にやらせる必要はない。引き受けるため返事をしようとすると、それよりも早く阿近さんが口を開いた。

「あー、こいつはいいんだよ。それにテメーの歯造る余裕くらいはある」
「え、私がやりますよ阿近さん」
「いいっつってんだろうが」

 額に手刀をお見舞いされ、やんわりと斑目副隊長から遠ざけられる。なんだか厄介者にされてるみたいで、理由もわからないしちょっと悲しいんですけど。不満を込めた目で阿近さんを見上げるも此方になんて一瞬も視線を寄越してくれなくて、なんだか存在から否定されてる気分。む、と頬を膨らませていると、ははァん、と斑目副隊長の得意気な声が聞こえてきた。それに対する、阿近さんの小さな舌打ちも。

「なんだ阿近、そういうことか」
「違ェよ。下手な勘繰りはよせ」

 二人の間で進んでいく話に置いてきぼりを食らう。なに、そういうことってどういうことだ。阿近さん越しに私を見つめにやりと口角を上げる斑目副隊長に、どう反応していいのかわからず首を傾げる。

「テメェ、名前は」
「九条紫乃、です」
「ホォ…九条ね」

 阿近さんと私を交互に見つめてはにやにや笑う斑目副隊長。えっと……これはもしかして、私たちの仲を誤解してるのだろうか。先程のそういうことかとは多分、阿近さんが私に特別な感情を抱いてると思ってる、ってことだよね?

「紫乃、埒が明かねえから下がっていいぞ」
「まァそう言うなよ阿近、遠ざけてえ気持ちもわかるがな」
「義歯造ってやんねえぞ」

 相手にすることすら面倒なのか、元の話題に軌道を修正する阿近さん。少しも取り乱さないこの余裕から、斑目副隊長の予想は見事に大外れだということがわかる。ちょっとくらい動揺してくれたら嬉しいのに、なんて贅沢な考えを浮かべつつ、斑目副隊長と話を進める阿近さんの背中を見つめた。

「んじゃ、出来上がったら連絡くれ」
「あァ、代金忘れんなよ」
「わかってらァ。邪魔したな」
「おう」
「あ、あと九条。阿近のことよろしくな」

 突然呼ばれ驚きつつも、とりあえずはいとだけ返事をしておく。ううん……よろしく、と言われましても。呆れ顔の阿近さんににやりと笑みを向け、斑目副隊長は技術開発局をあとにした。途端に大きな溜め息を吐いた阿近さんは、面倒そうにゆっくりと私に視線を向ける。

「悪ィな。あのバカの言うことは無視していいぞ」
「あ、はい……」

 ったく、と小さく溢しながら、阿近さんは研究室に戻っていった。本当に、全く動じないその姿勢に少しへこむのも事実だ。今すぐには無理かもしれないけど、いつか斑目副隊長の的外れな予想が的外れでなくなる日がくるといいな。