部屋まで送る、という阿近さんの言葉に、まず感じたのは動揺だった。それからとても嬉しくなって、けれど同時に遠慮も浮かんで。一人で帰れますと控えめに告げると、こういう時は素直に頷け、と諭されてしまい首を縦に振る他なかった。

「あの、阿近さん」
「何だ」
「……料理、どうでしたか」
「あァ、まあ旨かったな」
「今日は羽を伸ばせましたでしょうか」
「伸ばせたんじゃねえか」
「ほんとですか!よかった!」
「急に声張るなうるせえ」

 面倒そうな顔をしながら、それでも無視することなく私の問い掛けに答えてくれる阿近さん。こういうなんだかんだ優しいところが、私は本当に大好きで。話してる内容も普段と変わらないし、私たちの関係は依然上司と部下のままだけど、なんだか阿近さんに少しだけ近づけたような気になる。頭のなかは阿近さんでいっぱいで、鼓膜を揺らす阿近さんの声が心地よくて。遠い店だと歩かせちゃうしなと思って近いところを選んだけれど、今はそれを少しだけ後悔した。ほんのちょっとでいい、僅かの間でいいから、少しでも長く阿近さんと一緒にいたい。本心に比例して遅くなる足取りに、それとなく歩幅を合わせてくれる阿近さんにまた好きな気持ちが大きくなって。

「あの、阿近さん」
「あ?」
「……なんでもないです」

 好きだと、言いそうになってしまった。慌てて噤んだ口に更に手を添えて、余計なことを言わないよう押さえる。……言いたくないわけじゃない。むしろ言ってしまいたい。けれど、フラれてしまったら。そう考えるとどうしても、口にも気持ちにもブレーキがかかるのだ。私が悲しいだけならまだいい。けれど、阿近さんも気を遣うだろうしそれを感じ取った技局のみんなも気を割くことになるだろう。そんなにたくさんの人を巻き込んでまで、伝えるべきではないと思うのだ。

――阿近とどうにかなりたいって気持ちないワケ?
――そんなんで満足していいのは子どものうちだけよ

 乱菊さんの言葉が木霊する。ついこの前まで今はこのままでいいだなんて思ってたくせに、阿近さんが同じ気持ちになってくれたらいいのになんて考えている自分がいる。
 私の歩幅に合わせて隣を歩く阿近さんは、手を伸ばせばすぐに届く距離にいて。このまま手のひらを握ることも、頬に触れることも出来るのに。それが出来ないのは、私たちの関係が恋人ではないから。なんて、もどかしいんだろう。

「紫乃」
「は、はい」
「どうした、着いたぞ」

 阿近さんの声に我に返ると、私の部屋はもう目の前にあって。考え事をしている間に、貴重な二人の時間はもう終わりを迎えてしまったらしい。なんてもったいないことをしてしまったんだと肩を落とす。まだ、一緒にいたい。
 所詮部下でしかない私は、阿近さんの体に触れることは叶わない。けれど、どうしても離れたくなくて。自然と動いてしまった指は、阿近さんの死覇装の袖を弱く握った。

「……紫乃」
「あ、す、すみません」

 大好きな声に名前を呼ばれ、ハッとして慌てて手を離した。や、やばい、なんて大胆なことを……!急に恥ずかしくなってじんわりと手に汗が滲む。穴があったら入りたいとはこのことだ。もう部屋に逃げ込んでしまおうと、阿近さんの隣から一歩を踏み出したその時。

「……え」

 ぐいっと腕を引かれ、阿近さんの胸に閉じ込められた。何が起きたのかわからなくて頭に疑問符がたくさん浮かぶ。状況を理解できたのは、阿近さんの死覇装に染み付いた薬品の匂いを私の嗅覚が認識しはじめた時だった。

「じゃあな」

 阿近さんに抱き締められていると理解した次の瞬間には、阿近さんの体は離れていて。ポン、といつものように私の頭に手を置くと、すぐさま踵を返して阿近さんは去っていってしまった。

「なにいまの……」

 予想外の出来事に呆けてしまった私は、暫く部屋に入ることも忘れ立ち尽くしていた。