二月十四日。日は落ちてしまったが、それでも綺羅びやかにネオンが彩る繁華街は今日も賑やかだ。繁華街の入り口にある全国的に有名なチョコレートショップは前日よりも客は少ない。というのも、私は昨日もここに訪れたわけで、結局目的を果たせず自分のおやつを手に帰宅した。
繁華街は好きじゃない。私みたいな地味な一般人が来るような所では無いのだ。それでも今日は成し遂げるべき目的を、いよいよ達成せねばと、少し濃いめのメイクをしてやって来たわけだ。
ショーウィンドウに飾られている甘いそれは、物によっては如何にも[義理]で[本命]。私はぐるぐるとバレンタインの相手の顔を思い浮かべ、相手の反応のシミュレーションをする。きっと渡しても喜んではくれないその相手に、何をそこまで悩んでいるのだと自分に言い聞かせた。
女なんて選び放題。連日ほぼ本命のチョコレートやお菓子を大量に受け取っている。
ショッピングカゴの中には、私のおやつ。真っ黒のパッケージに、同色のリボンが結ばれている商品を見て、あいつみたいだと手にとった。
「今日席に案内してくれたのミズキだったんだけど俺のチョコは?って言われちゃって、金剛さんに渡そうとしてたのあげちゃった」
「なにそれかわいい」
「イベントでチョコの数競ってるから、営業だって分かってんだけどあの顔で見られると……」
店内に入ってきた女の子達はスターレスの帰りだろう。店の時計を見ると、もうそんな時間になっていた。
営業、その言葉を聞いて手に持っていた黒の箱を棚に戻す。昨日と同じように自分のおやつだけを購入し店を出た。
********
衣装から着替え終えた鷹見が、自販機前の白い煙に苦笑いを浮かべる。灰皿にはいつも以上の煙草が突き刺さり、ここは雀荘かと一人突っ込んだ。
「黒曜」
声をかければ大変機嫌の悪い黒曜が手元のスマホから顔を上げる。
「何か用事があったんだよ」
「何の事だ」
スマホに表示されているだろう連絡相手を鷹見はよく知っていた。最近の黒曜の「お気に入り」だ。どこまでの関係かは知らないが、黒曜が選んだ相手にしては地味で、普通の子。少し気の強そうな子で、スターレスに黒曜を見に来ているはずなのに、あまり会話をしたがらず、数日前には口喧嘩を裏口でしているのを見かけた。
そんな彼女が、バレンタインイベントが始まってから一度も顔を出さないので、流石の黒曜も気にはなっているのだろう。
(ここまでとは思わなかったけど)
カチカチとライターが思うように点かず、舌打ちをする黒曜の隣に座った鷹見は火を渡す。
「ここだけの話……もしかして付き合ってたりする?」
「あ?」
「あの子だよ。分かってるだろ」
同じように鷹見も自分の煙草に火を点けると深く吸い込んだ。
「連絡つかないのか?」
「…………電話も取らねえ」
マナー違反だと知りながら、黒曜のスマホをちらりと覗いた鷹見。チャットには黒曜の威圧的な短い言葉が並んでいる。媚びない所がある意味黒曜らしいが、これは、と鷹見は小さく笑った。
「黒曜とあの子がどういう関係かよくは分からないけど、客とキャストの関係だったんならいつかは突然離れていくものだし、それ以上の関係だったとしたら素直に話さないとね」
「ンな事できたらとっくにあいつはここにいる」
黒曜の過去を全て知っているわけでは無い鷹見だったが、きっとあの子みたいなタイプはどう接したらいいのか分からないのだろうと勝手に想像する。黒曜の事だから、突き放しても相手が夢中になっている以上こういった事にはならなかっただろうし、相手が年上の場合なんかは、きっと上手く黒曜と付き合える。ある意味似たもの同士なのだ。
「か、帰ります!」
「まあまあ、せっかく来たんだから会って行ってよ」
入るつもりはなかった。家に帰る前にスターレスの近くを通ってみたのが運の尽き。店の前の看板を中へと入れようとしていた真珠君と鉢合わせてしまったのだ。黒曜と比較的仲の良い客という認識があったのか、あれよあれよと中に連れ込まれてしまった。
店内の綺羅びやかさなど、幻想だったのだと思うほどバックステージは古びている。ここに入る前にバレンタインイベントのランキングが表に掲載されていたのを見たのだけれど、案の定、あいつが一位。これが現実なのだと、足取りが重たい。
「あ、黒曜……!」
自販機前の休憩スペースは私の苦手な煙草の煙で充満していた。白い煙の中でうっすらと見えた大きな体がこちらへとやってくる。真珠君の声と共にやって来た黒曜は、私の頬を掴むと唇に噛み付いた。
バレンタインにファーストキス。シチュエーションだけは素敵なはずなのに、現実は煙草の苦いにおいと、怒りの籠もった瞳だけがそこにあった。
「、っな、に」
黒曜の大きな体に叶うはずもなかったが、反抗だけはやめず、目の前の胸板を叩く。離された唇が血の味がした。
「何で来なかった」
「…は、はあ? わ、私にも用事があるの。……お金だってないし、毎日ここに来れるわけないでしょ」
突然の事で手に持っていた、先程購入したおやつの入った紙袋が床に散乱している。拾おうとするが、涙がいつのまにか滲んでいて前が見えない。
「これ、そこのチョコレートショップの?」
頭上からの声は鷹見だ。一緒に拾ってくれようとしたが、私は「大丈夫です」と最後のひとつを拾う。
「おい、それ…」
「、そこの、ショップのお菓子が美味しいって聞いたから買いに来ただけ」
「……そうかよ」
傷つく前に自分を守る。それがどうやら私のくせらしい。自信過剰な物言いをする自分に呆れる。明らかに気まずそうな真珠君と目が合って「ごめんね」と小さく言うと、私の隣で舌打ちをした黒曜。
「なんで怒ってんの」
「怒ってねえ」
「怒ってる」
「キレてんのはお前だろうが」
あからさまに口調に怒気のある黒曜。もちろん黒曜の言う通り私は怒っていた。でもその自分の怒りでさえお門違いのようで、私には黒曜に言う言葉が見つからない。それでももう、この日常を終わらせる必要はあって、
「私……っ、色恋営業とか免疫ないし、黒曜に優しくされたら調子に乗ってその気になる。黒曜相手に思い上がったように浮かれて、……でも今回のバレンタインイベントで分かったよ、私はあんたのただの客の一人。一々緊張してプレゼント選ぶのも馬鹿らしくなった」
私の声は思いのほか響いていたようだった。言い終わり、黒曜や真珠君達の顔も見れなくなって、私はその場をあとにしようとする。
「来い、バカ女」
深く長いため息を吐く黒曜が私の首を後ろから掴む。
「黒曜、乱暴だぞ」
どこかへ私を連れて行こうとする黒曜に鷹見が声をかけるも、実際に止める意思は無いようで、私は引き摺られるように、香水と煙草、そしてシトラスの香りがやけに濃く充満する場所に連れて来られた。ここはきっとロッカールームなのだろう。奥にちらりと見えたシャワー室からも人気がしない。
舌打ちをした黒曜がベンチに座り煙草に火をつけた。シャワー室の奥で水の落ちる音がやけに響く。
そんな黒曜の仕草を見ると、ああやっぱりかっこいい、と恋に落ちる。
「俺が…」
静寂の中で低い声が私を縛る。しかしその続きは無く、黒曜が私を見上げるなり、ため息を吐く。
「なに」
「……俺が、何言ったってお前には響かねえんだろうが、………お前を、客としては見てねえ。惚れてる」
私から目を逸らし、ロマンチックのかけらもないその言葉に、私は動けずにいた。黒曜の言葉を頭の中で何度も繰り返す。
誰が誰に惚れてるって?
じゃあ、だったら、目を見て言ってよ。
「こんな私が……黒曜に好かれるわけが無いでしょ。バカにしないでよ。営業かけんのもショーの中だけにして…っ」
黒曜が怖い。怒っているのが分かる。煙草を床に落とし、足で揉み消す黒曜。
私が好きでは無い人間にキスはできるのだと知ったのは、幼い頃に見た海外の映画だった。今思えばあれは娼婦で、相手の汚い目つきをした男は客だったのだろう。
恋は見ているだけがいい。その先なんていらないのだ。相手の心なんて見えないのだから。
「ん、うっ、…っ、」
煙草は嫌いだ。思い出すのはいつも目の前の男の事ばかり。
「バカにしてんのはてめえだろうが」
「じゃ、じゃあちゃんと言って。私は黒曜の特別だって。私としかキスできないって言ってよ…っ」
私を強く抱きしめる黒曜に、泣き叫ぶように口を開く私は何処のメンヘラ女だろう。
「てめえが特別。てめえとしかンな事できねえ。……これでいいか?つーか本当にいい加減にしねえとキレるぞ」
怒っているのに抱き締められている腕が優しい。そう感じるのはフィルターとやつなのか。物騒な事しか言っていないのに。
「本当に……黒曜、私が好きなの?」
―――素直じゃない私たちは、キスをした。触れるだけのそれが一番気持ちよかったなんて、黒曜には言わない。