再会

記憶は頼りない。それが想像だったのか事実だったのか。
 幼いながらに、誰にも口にすることなく彩りをもった記憶には、確かに感情があった。

 今日で高校三年目を迎えた自分にとって、この校舎は忌々しいものだ。馴染めない人間関係は息苦しい。
 新入生を歓迎する装飾で校舎が色とりどりに華やかになり、新しい三年生の教室はカビ臭い。床は軋む音を立てるし、何もかもが古びているが、一人でいる時の校舎の雰囲気は好ましかった。
 教室の窓の外を見れば新入生がちらほらと、浮きだった足で正門をくぐっている。ついこの間まで中学生だったあの子達は、少し大人びて見えた。
 窓ガラスに反射する自分はずっと子供で、可愛くなくて目を逸らす。そのまま机に突っ伏せば、教室に入ってくる元気のいい先生の声がした。
「おーい、そろそろ講堂の方に移動しろよー!」
 小さな私立の高校。しかも田舎とあってか生徒数は年々少数になっていき、入学式も全学年生徒参加のものとなった。進級と共に唯一会話をしていた友人とクラスが別れ、単独行動を余儀なくされるも、やけに身軽になった体を起こし教室を出た。
 廊下は騒がしく、この人混みから早く抜け出そうとやっとの一歩を踏み出す。けれどそんな勇気に一歩も虚しく、すぐに誰かしらの足に躓き体は大きく前へと傾く。思わず掴んだそれは、すぐに人の腕だと分かった。
「主?」
 聞いたことが無いはずなのに、その声は締め切っていた部屋の窓を随分と久しぶりに開けた時の風のように自分の中へと流れ込む。顔を上げれば、記憶の中にあったその顔が目を丸くしてこちらを見ている。
「ああ!いた!国重君!」
 目の前の男の体がぐらりと揺れる。彼を見つけたという女子生徒がその腕を引っ張ったからだ。同時に自分はその腕を離し、彼はその女子生徒から強制的に連行されて行く。
 彼はあの子だった。確かに自分を「そう」呼んだのだから。
 呆然と立ち尽くす自分を、たくさんの人が追い越していく。「突っ立ってんなよ」とどこからか聞こえた声は、今の私には刺さらない。
 確かに彼は自分を見ていた。彼に間違いなかった。
 彼を掴んだ手にひらをじっと見つめ、その温度を思い出す。あれが幻でないとしたら、もう一度会うことはできるのだろうか。そんな不安を一度考えだしたら止まらなくなるのが私の悪い癖だった。

 講堂は生徒や新入生の保護者で溢れかえっていた。とめどなく溢れる話し声に圧倒され、私は一歩、また一歩と後退る。しかし今は大きな目的があった。拳を握りしめ講堂に入り、視線をぐるぐると回す。
 三年の教室の廊下にいたということは、同学年の隣のクラスの生徒なのだろうか。しかし彼をこの二年間一度たりとも見たことは無かった。
 やっぱり先程の出来事は幻覚だったのではないかと自分を疑い出した時、背後からの声に呼吸が止まった。
「主、こちらへ」
 握られた手はそのままに、講堂の外へ引っ張れる。丸い、後頭部。自分よりもずっと身長が高いが、華奢な、線の細い体。
 駆け足で引っ張られるまま来たのは、焼却炉の見える狭い裏庭だった。すでに入学式がはじまっているからか、人気が無い。
 やっと振り返った彼は、少し困ったように彼女を見た。
「長谷部」
 そう呼ぶと、彼の目に大粒の涙が溢れた。先程は強引に自分をここまで引っ張り連れてきたくせに、今度は目の前の私に差し出そうとした手を引っ込める。けれどすぐに私はその手を掴み、両手で握ると目に涙が滲んだ。

 一番はじめに口を開いたのはどちらだったか。とにかく「転校生の長谷部国重」私がここにいた事にひどく驚いたらしい。まさかお互いの記憶があり、同じ時代に生まれ、今この場所にいる事は奇跡に近い。
「主はいつの時代も変わらない」
「長谷部も変わらないよ」
 変わらない事は素晴らしいことなのか、少なくとも目の前の男は微笑んでいる。
「でもまさか同い年とは思わなかった。あのときはほら、ややこしいけど皆かなり年上だったし」
 容姿は幼き少年や青年でも「審神者」だった自分よりもずっと非現実的に刀剣男士は年を重ねていた。
「長谷部がいるって事は他の皆もいるの?」
「会いたいですか?」
「もちろん。また会って、あの頃みたいに一緒に素麺を一から作って食べたり、大量のトマト収穫してトマトソースのパスタ食べたりさ。……したいなあ」
 戦いの合間にゆっくりと流れていたあの時間が愛おしい。ひとつの家族のようで、自分が必要とされた時間だったのだから。
「主、食べ物の事ばかりですよ、他にもっとあったのでは? その、例えば……」
 長谷部の手が頬に伸びる。その表情に影が落ち、慌てて私はその手を払った。
「……その、数名確認ができています」
「え、ほんと?」
 今度は長谷部が目を逸す。無かった事にしようとする私への腹いせのつもりだろうか。
「大倶利伽羅はこの高校へ入学しています」
「は…?じゃあ今入学式出てるんじゃ、」
「はい」
「それ先に言ってよ!保護者としては見に行かないと…」
 思わず立ち上がった私の腕を長谷部が掴む。
「主、あなたは今はもうあいつらの保護者でもありません」
 意地の悪い事を言う長谷部に押し黙る。そんな事は分かっている。けれど浮かれてしまったのだ。あまりにも嬉しくて。そんな私に頭から冷水をかけるような言葉を向けた長谷部に怒りが湧いた。あまりにも冷たい。
「会った早々そんな顔をしないでください。な、…懐かしい気もしますが。……何故俺が主を二人きりになったと?」
 私の腕を掴む長谷部の手に力がこもる。けれど「長谷部」と冷たく言い放てば、はっとしたような顔で長谷部はその手を緩めた。だけど離そうともしないのだ。
 こんなやり取りは久しぶりと言うにはおかしいのだけれど、懐かしかった。長谷部のどこかおかしな執着ははっきり言って心地良い。故に今はその「おかしさ」が浮き彫りになる。
「この時代に生まれてからずっと、あなたを思わなかった日はありません」
 他人が聞いたら卒倒しそうな言葉も、今は痛く胸に刺さる。
「今の私は審神者じゃないから、長谷部の期待には応えられないよ。さっき長谷部もそう言ってたでしょ」
 私はもう長谷部の主じゃない。だったら私は彼の何になれるのだろうか。

「おい。邪魔して悪いがそろそろ入学式終わるぞ」
 その声に振り返ると、懐かしいぶっきらぼうな顔の彼がそこにいた。
「伽羅ちゃん!」
「久しぶりだな」
 彼が刀剣だった頃も学生服のような戦闘服だったものだから、あまり変わらないように見えた。しかしよく見ると少し幼い顔立ちに心が和む。
「入学式は?」
「抜けてきた。…くにし…、長谷部が戻ってこないから、何かやらかしているのかと思ってな」
「……何もしていない」
 つん、と唇を尖らせて拗ねてみせる長谷部に大倶利伽羅が鼻で笑う。
「助かったよ、ありがとう」
「だろうな」
「主まで、」
 昔のような、会話。違うのは立場だけ。
「伽羅ちゃん、入学おめでとう」
「ああ、…その、…俺も……」
 そこで口を噤んだ大倶利伽羅に、やっぱり彼は彼なんだと嬉しく思う。
「うん。私も会えて嬉しい」
 春の始まり、私達は長い年月を超えて再会した。