エピローグ

 宗は騒がしい場所は嫌いだ。この数週間だけで何度も空港を訪れることになり、あちこちからアナウンスが響いている環境にも嫌でも慣れてしまった。
三月末に美雪とレオと共に沖縄に向かい、その後にフランスへと飛んだ。これから自分の部屋になるパリの一室に生活用品を運び込み、漸く落ち着いて巡れるかと思ったところで第二回DDDの開催を言い渡される。

「まったく……感動の別れをしたと言うのに、あっという間に再会してしまっては水の泡ではないか」
「んあっ? おれはお師さんが帰ってきてくれて嬉しいで〜♪ その調子でいっぱい帰ってきてや」
「大学が始まったらそうも言っていられないのだけどねぇ……」

 宗はそのために一度帰国し、空港で送り出してくれた美雪とみかとあっさり対面してしまった。結局第二回DDDで優勝することは出来ず、ESのお披露目ライブは別のユニットが担当することとなった。宗は再びフランスに経ち、今度こそ芸術の都の大学で修行をする予定だ。

「ところで、何を見ているんだ?」

 時間まで椅子に腰掛けて待機している宗は、横でイヤホンを繋いでスマートフォンの画面を見つめているみかを覗き込んだ。みかは宗の会話を聞き逃さないように片耳だけイヤホンを装着している。みかはイヤホンを外して宗を見上げた。

「ん、これ? えへへ、この間お師さん沖縄に行ってライブしたんやろ?」
「ああ……あんなぶっつけ本番の舞台、納得の行かない部分も多々あったんだけどね。氷室が一緒に歌ってくれた……それだけで、あの舞台には価値があったよ。あの華憐な歌声を俗物に聴かせるのは勿体ないけれど、独り占めしたいものだけれど……ああ、矛盾しているね。見せびらかしたい僕もいるんだ」
「やっぱ美雪ちゃんなんやね⁉ 簾の奥ん方にいる女の子っ」
「? 何故知っている?」
「動画がSNSで回ってきたんよ。地元の人が撮影したんかな?」
「何っ? 動画?」

 宗は慌ててみかのスマートフォンを奪ってまじまじと画面を見つめた。三角のボタンを押すと停止していた動画が動き出す。数週間前、沖縄でやった小さなライブの光景が表示されている。

「撮影は禁止していなかったか……くそ」
「え、あかんやつ?」
「いや……顔は隠れているし、覗き込む輩が居ないとは限らないと思って、一応お面もさせていたから平気だろう。ただねぇ……いくら店を繁盛させることが目的とはいえ、氷室の歌をこんな小さな電子機器で、しかも無料で聞かせるなんて……」

 ぶつぶつと文句を言う宗にみかは苦笑するばかりだった。みかのスマートフォンは、レオが元気よく歌っているシーンを映し出している。

「ええなぁ、おれも美雪ちゃんと……」
「ふふん。君は僕を差し置いて氷室の臨時ユニットに出たのだから、お相子だよ」
「んあ〜っ、そんな意地悪言わんといて〜」

 電子機器に慣れておらずSNSも不慣れな宗は把握していなかったが、沖縄でのライブの様子は動画として撮影され、それなりに拡散されているようだった。夢ノ咲学院の斎宮宗と月永レオ、更には簾の奥にいる謎の乙女も注目を集める原因となった。

「あ、美雪ちゃんお帰り〜。ジュース買えた? 迷わんかった?」
「……はい」

 宗とみかの位置から自販機まではそこまで離れていない。美雪は小銭を握りしめて初めてのおつかいに臨んでおり、戻ってきた彼女の手の中には小さな林檎ジュースのペットボトル。みかはほっと胸を下ろし、自分と宗の間の席に促した。キャップを開けた美雪はちびちびとジュースを飲んでいく。みかは愛らしさに頬を緩めた。

「……あーん」
「へっ⁉」

 みかの視線に気づいた美雪がペットボトルを傾けて差し出した。みかは美雪が口をつけていた飲み口を凝視し、顔を真っ赤にしていく。後ろで宗が般若のように顔を歪めるのを見て今度は真っ青になった。

「い、いや、美雪ちゃん。飲み物を『あーん』するのは難しいで?」
「……しないんですか?」
「んああっ、そ、そんなシュンとせんで⁉」
「氷室、お腹がいっぱいなら僕が飲んであげるよ」
「……飲ませてあげたいんです」
「の、飲ませてあげたい? ……哺乳瓶でも買ってこようか。そして僕に飲ませてくれ、聖母のようにね」
「中身林檎ジュースやけど」

 そうこうしている内に、宗が乗る飛行機のアナウンスが流れた。宗は忌々しそうに眉間に皺を寄せ、大きなため息を吐いた。

「もう時間か……名残惜しいけれど、行かなければね」

 キャリーケースの取っ手を握った宗は椅子から立ち上がる。みかと美雪もそれを追いかけるようにして腰を上げ、見送りのために宗の後を追った。

「……ふふ、この光景は二度目だね。思った以上に早い再会になってしまって拍子抜けしてしまったけれど……当分は、会えなくなると思うよ」

 立ち止まり振り返った宗が寂しそうに笑った。みかもきゅっと口を窄め、美雪はゆっくりと瞬きをする。

「次いつ帰ってくるん? 明日? 明後日?」
「そんなに頻繁に戻れるわけがないだろう」
「一日会えないだけで切ないんよぉ〜……」
「……電話をするから。我慢したまえ」

 素直に寂しさを伝えるみかの頭を撫でた宗は、隣で黙りこくっている美雪を見下ろした。

「ああ、今度こそ君を置いて離れ離れになってしまう。何かあったら時差なんて気にせずに電話をするんだよ。……兄上のことも、勿論忘れていないからね。安心して。僕は必ず君の元に帰るから、『ただいま』と言うから。どうか笑って『おかえり』と言ってくれ」

 美雪の頬を指で撫でた宗は名残惜しそうに目を細め、やがて離れる。美雪は一度口を開きかけ、宗を見上げて噤んだ。目を伏せ、もう一度宗を見つめる。

「……いってらっしゃい」
「……ああ。行ってくるよ」
「お師さん! 元気でなぁ! わぁあああああんっ!」
「ああもう、喧しいね君は。情趣が台無しだよ……一生の別れじゃないんだから」

 苦言を呈した宗だったが、僅かに瞳を潤ませて二人の肩に手を置いて決心したように頷いた。

「ふぅ、よし。……では、君達もお元気でね」

 キャリーケースを掴んだ宗は緩やかに手を振って二人に背を向けた。

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