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 見慣れた改札を抜け、階段を軽やかに上った先にはビル街が並んでいる。空は青く、雲は点々と存在していた。今日は快晴に値する日だろう。
 近くに鳩が数羽止まっているのを見た薫はスマートフォンを取りだして時刻を確認した。待ち合わせの十分前。約束した人物は既に到着しているかもしれない、と薫が集合場所に目をやると、案の定他人にも自分にも厳しい男が立っていた。

「やっほ〜、せなっち♪」
「ああ、羽風」
「もりっちは?」
「まだだね」

 もう一人の同行者である千秋はまだ到着していないらしい。泉は薫に目を向けると弄っていたスマートフォンをポケットに戻したが、そこでバイブレーションが起こり、再び取り出すことになった彼は眉間に皺を寄せて舌を打った。薫はそこまで彼が怒る理由がわからず目を丸くする。

「誰?」
「王さま……あー、もう王さまじゃないんだった」
「ああ、そっちも返礼祭で色々あったんだもんね」
「逆に問題が起きなかったユニットの方が珍しいけどねぇ」

 返礼祭でこれといったトラブルに見舞われなかったユニットと言えば、ソロユニットのMaMか、同い年のみで構成されているTrickstarと2winkくらいだった。
 画面を確認した泉は「はぁ〜?」とメンチを切るヤンキーのように口を開けた。アイドルの面影がまるでない。

「月永くんがどうしたって?」
「さっきからいちいち五月蠅いんだよねぇ……沖縄旅行してるみたいなんだけどさぁ」
「へぇ、誰と?」
「斎宮と美雪」
「……ハァッ⁉ 美雪ちゃんと⁉ 羨ましいんだけど! 俺も今から行こうかなぁっ⁉」
「いや、今日帰ってくるらしいから意味ないよ」

 歯軋りをしながら泉のスマートフォンを覗き込んだ薫の目に飛び込んできたのは、クマノミのぬいぐるみを抱えた美雪だった。どうやらバカンス中の芸術家たちは水族館に来ているらしい。海に囲まれた沖縄ならではの場所だ。お土産コーナーで見つけたぬいぐるみをもふもふしている所を、レオに撮られたのだろう。

「ううう、私服の美雪ちゃんも可愛い……俺のヴィーナス……沖縄じゃなくてこっちの水族館でも良いじゃん! 俺も美雪ちゃんとデートしたいよおおおっ!」
「デートじゃなくて旅行ね、卒業旅行」
「美雪ちゃんは卒業しないじゃん! ずるいずるい! 斎宮くんはまだ美雪ちゃんと距離が近いからわかるけど、月永くんは寧ろ美雪ちゃんとあんま仲良くない方なんじゃないの⁉」
「へぇ、外から見るとそういう感じなんだ? 俺からすると、『喧嘩するほど仲が良い』ってヤツに見えるんだけど……あ、ちょっと⁉」

 薫は泉のスマートフォンを取り上げて画像をスクロールしていく。泉は「勝手に取るなって!」と青筋を立てた。

「え、え、何これ……ホテルにプールついてるじゃん! ま、まさかとは思うけど、美雪ちゃんの、み、み、水着姿とかっ……」
「ないよ、プール入ってないらしいから。まだ寒いしね。その写真はホテル自慢したかったれおくんが送ってきただけだよぉ。まあこのホテル、美雪の家の傘下らしいけど。れおくんにも至れり尽くせりって感じらしいよぉ、メイドさんに囲まれてお世話された〜って言ってたし」

 広々としたプールの画像が流れて来た薫は顔面蒼白になる。旅行中の画像を見尽くした薫は泉のスマートフォンを握りつぶす勢いで泉に迫った。

「流石に部屋は別々だよね⁉」
「そりゃあまあ、別じゃない? 普通は。そこまでは聞いてないけど」
「い、一緒だったらどうしよう……」
「まさか。美雪の家のヤツらも着いてきてるって話だし、そんなわけないでしょ」

 使用人がいるのだから同室にするはずもない。一人で十分に使い切れない程の広さの部屋をそれぞれに与えられているはずだ、と泉は否定する。ところが薫は人差し指を立てて「ちっちっ」と振った。

「甘いよ、せなっち。美雪ちゃんにおねだりされたことあるでしょ。あの破壊力は爆弾並みだよ……何にでも好奇心旺盛な美雪ちゃんが『お泊り』に興味を示し、斎宮くんと月永くんを同じ部屋に誘って、二人もはじめは拒否するけど美雪ちゃんに上目遣いでお願いされて拒めなくなって……使用人も美雪ちゃんの願いを叶えようと三人を一つの部屋に……ッキャーーーーーー! やだやだやだっ、考えたくもない!」
「妄想力豊かだねぇ」

 またブーッとスマートフォンが揺れた。薫が確認すると、レオのトーク画面に新たな画像が追加されていた。先程のお土産コーナーで買ったと思われる海のいきもののぬいぐるみに囲まれた美雪が車の中で眠っている写真だった。美雪の隣に腰掛けている宗の体も写り込んでいる。

「うわぁぁああああんっ! みんな俺が一番初めに美雪ちゃんと会ったって忘れてないっ⁉ 入学したばっかりの初々しい美雪ちゃんとはじめてご対面したアイドルは俺なんだけど⁉」
「恋愛に順序とか時間とか関係ないから♪」

 泉は薫から自分のスマートフォンを取り戻して笑顔で言った。薫は自分が一番に美雪を見つけ、彼女を『ヴィーナスちゃん』と呼んだことを昨日のことのように覚えていた。美雪と一番に出会ったことが、いつからか薫のプライドとなっていた。

「ハッ。月永くんにリードされておいて、よく余裕ぶっこいてられるね?」
「はぁ〜? れおくんにリードされてるぅ? あのツンデレ魔人が俺より美雪と近いなんて有り得ないんだけど」
「だって現にせなっちは今から俺ともりっちと一緒に男三人でご飯食べに行くじゃん。対して月永くんは斎宮くんもいるとは言え、美雪ちゃんと旅行だよ? 十メートルくらい先に行かれてない?」
「…………」

 薫に例えられた泉は口を噤んで考えてみる。現状だけで言えば、レオはかなり美雪に近づいているように感じられた。数か月前まで喧嘩吹っ掛けたり素直になれずに当たり散らしたりしていたというのに。そこから考えると、レオは明らかに大きな一歩を踏み出している。

「──確かに!」
「気づいてなかったの? これだけ写真送られてきてるのに」
「いや、最初は『何抜け駆けしてんの〜?』って思ったけど……アイツが美雪に素直になれるわけないから平気かなって思っちゃってた」
「慢心だね、せなっち。兎と亀で例えたら俺達が兎で月永くんが亀だよ。地道でもゆっくり頑張って、油断した兎を置いてゴールイン……やだやだやだやだっ!」
「自分で地雷踏んでんじゃないよ」

 泉は薫の頭をスパーンと綺麗に叩いた。

***

 午前中の水族館を楽しんだ御一行は次の目的地に辿り着いた。水族館で購入したぬいぐるみに囲まれた美雪は左右の先輩に起こされ、目を擦りながら車外に降りた。店の入り口に立て掛けられた旗が靡いている。美雪はそれに書かれた文字を読んだ。

「……かき氷」
「ああ。夏頃にお祭りに行ったとき、君が食べられる数少ないものの一つだっただろう。昨今は祭りや海で用意される簡易的なかき氷ではなく、一種の芸術のように器に盛られた大きなかき氷というのが流行っているらしくてね。なぁに、大きいとは言っても所詮は氷、すなわち水だ。食べきれない心配もないだろう。最悪月永に食わせれば良い」
「おい。おれを残飯処理班にすんな」

 中に入り手作りと思わしきメニューを拡げて三人で囲む。四人用の席で片側にレオ、もう片側に美雪と宗が座った。南国らしい鮮やかな色どりのかき氷の写真が並んでおり、レオは悩んだ末に店員を呼びつけた。

「マンゴーとシークワーサーをひとつずつ。シュウは?」
「まさか氷室の分を勝手に決めたんじゃないだろうね?」
「だってコイツよくわかってないだろ、あんま食わないから」

 馬鹿にされたように感じた美雪は小さく抗議をする。

「……マンゴーは知ってます」
「ふーん、じゃお前シークワーサーな。一口貰うぞ」
「……酸っぱいですか?」
「何だよ、苦手?」
「……あまり食べない味なので、興味があります」
「おっ。じゃあ良いじゃん、そうだそうだ、どんどん食え。新しい味は刺激、すなわち霊感に繋がる!」
「……それは同意見です」

 眉間に皺を寄せた宗は「ふんっ」と腕を組んで顔を背けた。いつものレオは美雪にちょっかいを出してはスルーされているというのに、今回の旅では偉く仲が良さそうに見える。このバカンスが決定したときは美雪とレオの関係が気がかりだった宗は、この状況に静穏に旅をすることができると安心するのではなく、寧ろ苛立ちを積もらせていた。

「何してんだよ、決めてないのか? おばちゃん待ってるぞ」
「む、ああ……では、ドラゴンフルーツで」

 腰がやや曲がっている高齢の女性は三つのかき氷のオーダーを取ると微笑んでお辞儀をし、キッチンへ引っ込んで行った。

「ドラゴンフルーツってあんま味しなくね?」
「……そうなんですか?」
「見た目は派手なのに地味〜な感じだったと思うけど」
「繊細な味と言いたまえ。輸入の際に日持ちするよう、成熟していない内に収穫されるから味が薄いと言われるらしいよ」
「じゃあ置いとけば甘くなるのか? バナナみたいに」
「いや、追熟はしないから収穫後はそのままだ。完熟したドラゴンフルーツが食べたいのなら、本場に行くしかないだろうね」
「こっちでも採れんじゃないの?」
「今は時期じゃないだろう。沖縄で食べたいなら夏に来るしかない」

 宗の解説を聞いたレオは「ふぅん」と頬杖をついてメニューの横に置いてある鮮やかな花を指先でくすぐった。
 暫くするとかき氷が順に登場した。時間経過と共に溶けてしまうため、同時に出すのは難しいのだ。レオが美雪に向かって「あ」と口を開けて一口求めたのを、宗が遮ってキャンセルした。

「何すんだよ」
「氷室に『あーん』を求めるなど百年早いわ」
「はぁ〜? いーじゃん別に。どうせ途中で『食べきれない』って言うんだから」
「氷室が『要らない』と言ってから僕たちの出番だ」
「コイツがちんたら食ってたら水になっちゃうだろ〜?」
「氷室が一度口をつけた水だぞ? それだけで価値があるのだよ」
「きも」
「何だと?」
「変態」
「それは誉め言葉なのだよ」
「は?」

 二人がバチバチと火花を散らしている間に、美雪は黄色いシロップのかかった氷をしゃくって口に入れた。ひんやり広がっていく甘味はすっと喉を通っていく。

「おお……氷室がこんなに絶え間なくスプーンを口に運んでいる様は初めて見た気がするな」
「屋台とかのかき氷と違って柔らかいからじゃん?」
「確かにね。荒削りなものに比べれば舌触りが遥かに良い。……口に合ったかい?」
「……ん」
「そうかい。それは良かったよ」

 こくんと頷いた美雪に宗は頬を緩めて横顔を眺めた。面白くなさそうなレオに「溶けるぞ」と指摘されてスプーンを取ったが、視線は変わらず美雪に向けられていた。

 いくら美雪がかき氷を気に入って食べるスピードが上がったとしても、氷の溶ける速度には敵わなかった。レオの言った通り、器の中はほぼ水になってしまった。シークワーサーの味が辛うじてするそれを美雪がスプーンで掬ってちびちびと飲んでいると、見かねた高齢の女性店員がストローを持ってきた。屋台などで食べる価格の低いかき氷にはストローで作った先が丸くなっているスプーンを用いる。確かにあれには水と化したシロップ氷を吸う機能があったものだ、とレオは改めて用途を確認した。

「少し冷えて来たね」
「まあ氷食ったわけだしな」
「氷室、寒くはないかい? 君はあまり体温が高い方ではなかっただろう?」

 レオが(コイツ、名波の平熱まで把握してんのか……?)と引き気味に宗を見ると、彼は美雪の手を取って「ああ、こんなに冷たくなって……」と嘆いた。
 そうなることを見越していたのか、美雪の執事が三人分のブランケットを持って現れた。受け取った三人はそれぞれブランケットを羽織り、暖をとった。

 ガラガラ、と店の扉が開いた。春休みシーズンだと言うのに客は少なく、店内には宗たち以外居なかった。やってきたのは若い娘で、「おばぁ〜」と店員の女性を呼んでいる。どうやら孫のようだ、膨れ上がった重そうなビニール袋を二つ抱えていた。

「ありがとね、ばんない買ってきてくれて(ありがとうね、たくさん買ってきてくれて)」
「いーけど、あんしお客さんも来ねーんのに、くんぐとぅ買ってもいみくじねーん……(いいけど、あんまりお客さんも来ないのに、こんなに買っても意味ない……)」

 祖母と孫の会話は、標準語で話している三人にとっては難解なものだった。海外を旅した経験のあるレオも眉間に皺を寄せて(なんて言ってるんだ?)と首を傾げる。
 孫娘はレオの視線に気づいたらしい、バチッと目が合うと口をポカンと開けてビニール袋を落とした。中からゴロゴロとフルーツが転がり落ちてくる。

「れ、れれ、レオくん⁉」
「? 知り合いかね、月永」
「うわっ、斎宮宗⁉」
「む?」

 レオに尋ねた宗までもが名前を呼ばれた。宗は孫の顔をじっと見るが覚えがない。レオは「んん? 見覚えあるような……」と呟いて若干の距離がある位置に立ち尽くしている孫に問いかけた。

「もしかしてKnightsのライブに来たことある?」
「えっ⁉ は、はいっ! すみません!」
「はは。なんで謝るんだよ、嬉しいよ」

 アイドルモードになったレオに、孫娘は「ヒェ……」と蠢いた。朗らかに笑ったレオは席を立って彼女に近づき、地面に転がった果物を拾って集め始めた。孫娘は「あの月永レオに拾わせてしまった」と大慌てでペコリペコリと何度もお辞儀をし、恐る恐る「あの……プライベートですか?」と質問した。

「うん、一応。卒業旅行的な」
「へ、へぇ……あの、斎宮さんとは仲良いんですか?」
「まあまあ? 一緒に旅行くるくらいには」
「じゃ、じゃああの……隣にいる子は?」
「あ」

 なんと答えたものか、とレオが振り返って美雪を確認すると、彼女はブランケットにくるまって顔は目元だけしか出していなかった。レオが席に置いて行ったブランケットは、宗が勝手に取って美雪の体に巻いたらしい。蓑虫のような状態の彼女にレオは思わず鼻で笑ってしまう。はっとしてファンの女の子に向き合い、「えっと〜」と言葉を濁す。

「後輩。別の学科の」
「後輩……彼女とかじゃ、ないんですね」

 レオの言葉に孫娘はほっと息を吐いた。所謂「ガチ恋」というヤツだろうか、とレオは頭を悩ませた。それだけ愛して貰えているのは有難いことだが、彼女が近くにいると言動に気をつけなければならない。飽くまでプライベートであり、友人である宗や「ただの後輩」とは言い難い美雪との会話を聞かれるのは好ましくない。最近は「カッコいいレオ様(王さま)」ではなく「可愛らしいレオくん」という姿もファンに受け入れられているように感じてはいるが、奇行が目立つからと幻滅される可能性もある。

「サイン要る?」
「はい! 是非!」
「シュウ〜、サイン欲しいって」
「僕も? 必要か? 君のファンだろう」
「ファンサービスくらいしろよな、お前も。書いてやれよ」

 宗は仕方がないとため息を吐き、横に座る美雪に「少し外すよ」と声を掛けて腰を上げ、レオと孫の元に歩み寄った。祖母が持ってきた色紙にサインをすると、孫は店の何処に飾ろうかと小躍りした。

「くりがあいば、お客さんうふくなゆんかね(これがあれば、お客さん増えるかね)」
「そうだといーけど、むちかさんと思うよ。まず人が来ねーんだから(そうだと良いけど、難しいと思うよ。まず人が来ないんだから)」

 はしゃぐ孫娘を見た祖母は二人のサインが余程凄いものなのだと思ったらしいが、孫娘は自分が好きなアイドルでも、そのサインだけで客が増えるとは思えなかった。ここは沖縄の中でも観光客が少ない場所にあるせいか、売り上げが芳しくなかった。

「んっと……?」
「あ、ごめんなさい。えっと、うち、あんまお客さんが来ないんですよ。だから有名人が来たってなったら、増えるかなーって話してたんですけど……」

 孫娘は標準語にしてレオにわかるよう話した。苦笑いを浮かべた彼女はキッチンに回って果物を取り出しながら言う。

「そもそも立地が良くないんだろうなーって。観光地から離れちゃってますし、見つけにくいでしょう? よく来てくれましたね?」
「ああ、シュウが人多いところ苦手だからさ」

 美雪が居ることも理由の一つだ。夢ノ咲でアイドルとして活動している二人がいるだけでも華があり、注目を集めてしまう。美雪自身も目を奪われる見目をしているため、この旅は人の少ない場所を選んでいた。

「おれ達にとっては人が少ないから有難くこの店に入ったわけだけど、お店の人からしたら売り上げが伸びないのは良い気持ちはしないのかもなぁ。美味しかったよ、おばあちゃん」
「あんら、ありがとう」

 レオに褒められた祖母は嬉しそうに頬を緩めた。

「そうだ」

 ピコーンと閃いたレオは席に戻って美雪の前に腰掛けた。美雪はブランケットに包まれたまま不思議そうにレオを見つめる。

「名波、曲作るぞ」
「……? ……何のです?」
「今の話聞いてただろ? ダイナーライブみたいにさ、店を盛り上げるための曲を作るんだ」
「……誰が歌うんですか?」
「おれとシュウとお前」
「…………私?」

 二人の会話が聞こえていた宗がすぐさま近寄ってくる。ぎゅっと眉間に皺を寄せていた。

「おい、月永」
「なんだよ」
「……この子は人前には出られないのだよ」

 声のトーンを落とし、わざわざ名前を言わずに「この子」と誤魔化した宗を見上げたレオは、店の奥に掛けられている簾を見つける。

「おばちゃーん! この簾、借りてもいい〜?」
「いーよ〜」

 許可を得たレオはニッと笑って宗にアイコンタクトをした。宗は痛む頭を押さえる。

「まさか……この子に簾の奥で歌え、と?」
「うん」
「馬鹿なことを」
「馬鹿かなぁ? おれとお前で歌ったら主張が激しすぎて喧嘩しちゃうだろ。ぶっちゃけ声質的に相性あんま良くないぞ。こいつが入ったら調和してくれる」
「そこじゃない。人前に出すのが問題なんだ」
「簾あるじゃん」
「簾は中を明るくしたら見えてしまうのだよ。照明を入れたら丸見えだ」
「誰かわかるくらいに透けるわけじゃないだろ?」
「リスクが高いと言っている」
「じゃあ二重にしたら? 三重でも良いけど」
「……それなら、まあ……ってそうじゃないのだよ!」

 声を荒げた宗はコホンと咳払いして腰掛けた。美雪の事情を知らないレオにどう説明したものか、と宗は指を組んだ。

「顔を見せるのが駄目なのか? 授与式に来ないのも舞台に立たないのも、そういう理由?」
「……」

 宗を無視したレオは美雪に問うた。宗の気持ちではなく、美雪に話し彼女の気持ちを聞き出す方が良いと思った。

「声だけでも良いからさ」
「……でも、私はアイドルではありません」
「良いじゃん。アイドルじゃなきゃ歌っちゃ駄目なのか? 聞かせろよ、お前の綺麗な声を。閉じこもってちゃ勿体ない。おれとシュウじゃごちゃごちゃするって、お前もわかるだろ? お前が必要だ」

 目元しか出していない美雪は、レオから視線を逸らせずにいた。宗が口を挟む。

「そもそも、僕はこの店のために歌うと納得したわけではないよ。大体、会場はどうするつもりだ? この狭い店でやれと? 衣装は? 日数は?」
「あ〜もうごちゃごちゃ五月蠅いな、お前は。会場は外! 衣装はどうにかする! 滞在は一日くらい伸ばせるだろ! ……あ〜あ、薄情だなぁシュウは。うまいもん食べさせてくれた店が困ってるんだぞ? 何とかしてやりたいって思わない?」
「君ねぇ……卑怯な言い方をするんじゃあないよ」

 そんな風に言われてはまるで悪者ではないか、と宗はゆるりと頭を振った。美雪はブランケットを握り、ちらっとレオを見た。

「……曲は、作りましょう。琉球音階で作ったことはないので、興味があります」
「おっ、乗り気になった? 歌う?」

 机に乗り出したレオの質問攻めに美雪は縮こまる。簾があるとはいえ、美雪の判断だけで舞台に上がることはできない。

「……歌うかどうかは、お家の人と相談します」
「お前はどうなんだよ」
「…………わからない。昔のことは、よく覚えていないから。……ただ、なぁくんと歌うのは、楽しかった。パパも、喜んでくれた」
「ふぅん。なんか知らないヤツらばっかだけど、楽しかったなら良いじゃん」

 レオは再び腰を落ちつけると、キッチンにいる祖母に向かって「お水くださーい!」と声を掛けた。祖母は微笑んで「あったかいお茶にしよーか?」と返す。かき氷を食べたばかりの三人の気を遣ってくれたようだ。レオは「ありがとう! じゃあそっちで!」と頼んだ。

「……皆さんの要望を聞いたことはあっても、作曲家の誰かと一緒に作ったことはありません。……こういうときは、どうするもの?」
「普通はどっちかが作曲して、どっちかが編曲じゃね? 相談しながら両方するって面倒臭そうだし、時間がないからな」
「……じゃあ、私が作曲します」
「先に取りやがったコイツ……わかったよ、おれが編曲してやる」
「……自分の作った曲を、誰かに調整されるのは、どんな気分になるかと思って」
「どうなっても文句言うなよ」
「……可笑しくなったら、文句は言います」
「あ?」
「こんなところに来て喧嘩をするんじゃないよ」

 お茶を受け取った三人は人の少ない店に長時間居座り、作曲や衣装の談義を交わした。

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