01

 じわっと額に滲んだ汗を拭い、尻尾をぴょこんと跳ねさせた少年は息を吐いた。これでもかというくらいに巨大なドアの前に立つと、それはセンサーで彼を感知して自動的に開いていく。ここまで豪勢にする必要はあったのか問いたくなるレベルの見た目は、彼の友人がこのビルとその周辺を含んだ『アイドルの国』の権威を主張するために必要なのだろう。

 隙間から一気に冷気が流れ込んできた。これからの季節はどんどん気温が上がり、ただ涼みたいが為にコンビニエンスストアへ足を踏み入れることになる。

 レオは海外に向かった泉を追いかけて勝手に部屋に上がり込んでは自分も作曲活動をしつつ、時折泉のために仕事を持ってくるという生活を送っていた。それ故に、今年度に入ってからここESに彼が現れるのは珍しい光景だった。

 特にこれといった用事はない。これもまた珍しいことに、Knightsに新たな曲を作って持ってきたというわけでもなかった。というのも、彼は夏に入ってからスランプ気味だったのだ。彼に新たな刺激を与えてくれる存在が少ない。泉は海外で自分の価値が見出されないことにやきもきしているようで、いつも以上にピリついた空気を醸し出し、王位を譲った司はKnightsに新入りを大量に抱え込み何かを企てている。レオとしては、自分は王座から離れた人間のため司の好きにすればいいとは思うが、ESになってからというものの何か得体の知れない数々の陰謀が交錯しているように感じられていた。

 一先ず事務所にでも顔を出そう、誰かいるかもしれない、と思ったレオはエレベーターホールの前で矢印の上ボタンを押してランプが点灯するのを見上げた。尻ポケットに仕舞ってある偶に何処かへ落としてきてしまうスマートフォンを取り出して時刻を確認すると、午前十時を少し過ぎた時間だった。

「──ん?」

 突然、後ろに影が差す。レオが振り返ると、そこには真っ黒なスーツを着て真っ黒なサングラスをかけた強面の男たちがズラリと並んでいた。レオがヒクリと口角を引き攣らせると同時に、黒服たちが一気にレオに飛び掛かった。

「ちょっ、何だ何だ! お前ら何、誰⁉ スパイか⁉ テンシのSPとかいうヤツか⁉」

 肩を押さえつけられたレオはバタバタと足を動かし抵抗する。一人の男がレオの背中に圧し掛かり、一人の男が薬品を染みこませたハンカチでレオの鼻と口を押さえた。本格的に不味いと悟ったレオの頭で警報が鳴り渡るが、呼吸はいつまでも止めて居られるものではない。何かもわからない気体を吸ってしまったレオは意識を闇の中へと沈めていく。

「ターゲット捕縛完了」

 大人しくなったレオの上で機械のように平淡な声が響いた。気絶したレオは黒服たちに担ぎ上げられ、何処かへと運ばれていく。


 一方、パリ。時刻は深夜三時半だ。とうの昔にベッドに横になっている宗はけたたましいスマートフォンのバイブレーションに叩き起こされた。寂しさに耐えかねたみかが呼んでいるのかと思って宗が画面を確認すると、そこには何故か忌々しい男の名前が表示されている。ブチン。宗の血管が一気に三本は切れた。鳴り止んだはずのスマートフォンが再び手の中で揺れ始める。思いっきり舌打ちをした宗は乱暴に画面を叩いた。

「何だと言うのだね、さっきから何度も何度も! こっちは深夜なのだけれど⁉ 時差のことすらすっぽ抜けるくらいに落ちぶれたということかな⁉ これは傑作! 高笑いでもしてやりたいけど眠りを妨げられた僕にはそんな余裕すらもないね、こうして電話に出てやったことを感謝して欲しいくらいだよ! 僕と貴様は互いに互いの急用に駆け付けてあげるような仲ではないこと、お忘れなのかな⁉ 僕に何をしたのか忘れたんだとしたら、とんだ間抜け者の愚か者だね、天祥院!」
「寝起きなのに元気だねぇ」

 早口で一気に捲し立てられた英智は電話口で感心した。それがまた宗を煽る。

「邪魔をして茶化すためだけに電話をしてきたというのなら切るよ」
「そんなわけないだろう。何の用も無しに連絡するほど僕は暇じゃないし、これでも君たちに気を遣ってるつもりだからね」
「今までの行動でよくもまあ気を遣っているなどと言えるね」

 重たい腰を上げてベッドから降りた宗は、一先ず窓辺の椅子に座った。パリの空はまだ暗い。日が昇るにはあと数時間は必要だ。

「さて。世間話をするために電話をしたんじゃないんだよ、斎宮くん。ちょっとしたトラブルがあってね、急だけど今から戻ってきてくれる?」
「い・ま・か・らぁ〜? こちらの時刻を教えてあげようか、深夜三時三十三分だよ」
「三ばっかだね」
「始発も動いてないというのに」
「ジェット機を出すから、それで来てよ」

 天祥院英智という男と電話をしている状況だけで、宗を苛つかせるには十分だ。先程から舌打ちが止まらない宗は目頭を揉んだ。

「まずは事情を説明すべきだろう。『ちょっとしたトラブル』という言葉が事実ならば、君一人で対処すべきだとは思わないのかね」
「部下に仕事を振るのも上司の仕事だよ」

 宗の手に力が入る。

「……僕が君の部下だと?」
「はは、事務所も違うのにこう言うのは見当違いかな。でもまあ、今回に関しては君が適任だと思って、恐らく当事者だからね。あの子があんな行動に出たのは君の軽率な行動のせいだろう。僕としてはこのまま放置した方が面白そうな気がしなくもないんだけど。君達の仲が悪くなってくれたら万々歳だ♪」

 英智も宗という男にどういった言葉を避けるべきなのはわかっていて、わかりつつも敢えて煽るようなことを言う。そもそも相手が英智なだけで宗の機嫌は更にマイナスなのだが。

「回りくどい。さっさと説明しろ」
「うん。端的に話すと、月永くんが拉致されたんだよね」
「は?」
「今はESのある一室で軽く拘束されてるらしいんだけど、一種の拷問みたいなのを受けてるみたいなんだ」

 あまりにも冷静に説明する英智に宗は言葉を失う。背もたれに落ち着けていた上半身を起こし、悲惨な状況になってはいないか英智に問うた。

「……月永は無事なのか」
「ちゃんと無事は確認されてるよ。拷問してる側も生死を問うようなことは……たぶんしないと思う」
「何だその『たぶん』というのは……というか、それなら連絡する相手が違うだろう。青葉でも呼び出せ、やつはニューディの責任者だろう。まさかかつての仲間と連絡を取りづらいなんて言うんじゃないだろうね」

 痛いところを突く。とはいえ今回はそういう事情ではない、と英智は平静に返す。

「さっき言ったろう? 君は当事者だって」
「……?」
「月永くんを拷問してるの、美雪ちゃんなんだよね」
「──……え?」

***

 息苦しさで目を覚ましたレオはぼやける視界で辺りを見渡した。見覚えのない部屋だ、すぐ目の前に机がある。ESの一室ではあるが、レオが立ち入ったことのない場所だった。ESビルの広さ故に、まだビルの全体像や何処に何があるかを把握しきれていないアイドルはレオ以外にも存在する。

 後ろで手首を縛られ、椅子に胴体と足を固定されていた。気絶する前に吸い込んだ気体はもう体内には残っていないはずだが、レオは思わず咳き込んでしまう。

「……起きました?」

 甘い香りと華憐な声にレオの五感が研ぎ澄まされる。クリアになった視界に飛び込んできたのは、彼の二つ年下──レオは誕生日を迎え十九になったため、今は三歳差だ──の乙女だ。同じ作曲家の名波哥夏こと氷室美雪。銀のトレーを持っている彼女は、レオの前に設置された机にそれを置いた。トレーの中には煌めく何かが大量に入っている。

「名波……? あ、もしかしてあの黒服、テンシじゃなくてお前のところのか⁉」
「……ええ」
「なんだよ、これ。あちこち痛いんだけどっ」
「…………」
「……え、な、何?」

 美雪はトレーの中に指を滑らせ、表面を撫でたかと思うと細長いものを摘まんだ。それを持ったまま、美雪は静かにレオに近づく。

「こ、こわ……いんだけど。真顔やめろよ……あ、コイツいつも真顔か」
「…………」
「な、何とか言えよな⁉ ……え、ちょ、待って? それ、針か? ま、まさかおれに刺すつもり……──ひぐっ⁉」

 美雪の指にあるものが針だと理解したレオが青ざめた瞬間、美雪に下から顎を掴まれた。強制的に顔を上げさせられ息が詰まったレオは震えながら美雪を見る。

「さあ、口を開けて」
「ひっ……」

 美しい乙女の顔が目前に迫る。いつもなら赤面しているところだが、彼女の手にある針の切っ先が怪しく光っていて、レオはそれどころではなかった。固定された状態で必死に首を振る。

「……開けるのよ」
「う、んむぅ」
「……ほら」
「んぐ、ぐ、ぐ」
「……開けなさい」
「う……お、おれ……何かしましたか」

 口を開ければ針を突っ込まれると思ったレオは顔を背け、できるだけ開かないよう腹話術のように話す。

「……針千本飲ますって言いました」
「え?」
「……約束、破ったから。月永先輩は針を飲まなければいけません」

 レオはぐるぐると目を回しながら頭を高速で回転させていた。彼女とした約束といえば、去年の十一月頃に臨時ユニットで衝突した際の「負けたらValkyrieに曲を押し付けない」というものだ。

「──あ」

 思い当たる節があったレオはチラリと美雪を見上げた。レオは先日、専用衣装作成を宗に依頼し、宗はその見返りにと展示会で使用する楽曲をレオに頼んだ。それが彼女の耳に入ったということだろう。

「私を差し置いて宗様に曲を作った理由をお聞かせくださいまし。弁解の余地ぐらいは与えましょう」
「い、いや、あれはだって、Valkyrieの歌じゃないし──うぐっ」
「……ふぅん?」

 美雪はレオの顎を掴み直して言い訳の続きを促した。レオは涙を浮かべる。

「て、展示会で使う曲だからシュウが歌うわけじゃなくて、会場に垂れ流してるだけのヤツで……」
「……それで?」
「う、うぅぅ……」

 こんなことなら断っておくべきだった、と今更思っても仕方がない。レオは宗に見返りを求められた時点で、「それ名波じゃなくて良いのか?」という疑問が浮かび、彼自身に尋ねたのだ。宗は「僕が歌うわけではないからね、これはValkyrieの曲ではないのだよ」と返し、それなら良いのか、とレオも納得した。美雪がValkyrieだけでなく『斎宮宗』に拘っていることを、宗もレオも理解できていなかったということだ。
 ぎゅっと目を瞑ったレオは次の言葉を放った。

「おれが作りたいって言ったんじゃなくて、アイツが自分からおれに頼んできて」
「──え?」
「……あ」

 レオの顎を掴む細い指から力がフッと抜けた。美雪は先程まで不機嫌そうに細めていた瞳に戸惑いの色を見せている。レオは自分が失言したことに気づき、自分から離れていく彼女の指先が震えているのを見下ろした。

「……あ、えっと、名波」
「…………」
「あ、あんま気にすんな? シュウは別に、お前の曲をもう使わないとか、そういうつもりじゃないはずだし、お前に飽きたとかじゃなくて、えっと、個人名義だったし……まあ、お前は拘るのかもしれないけど……」
「…………」
「えっ……と。……悪かったよ、これからはちゃんと断るから……な?」
「………………ぐすっ」
「⁉ ま、まって? 泣いてんの……?」

 小さな啜り泣きが聴こえたレオが覗き込もうとする前に美雪は顔を背け、彼に背を向けた。美雪は部屋の扉に向かって歩いていき、ドアノブを下ろした。慌てて彼女を追いかけようにもレオの体は椅子に縛り付けられている状態だ。ガタンとミリ単位で動いた程度。

「え、ちょちょ、おいっ、名波⁉ おれのこと置いてくつもりかっ、この状態で⁉」

 彼の必死の訴えすら美雪の耳には届かなかったようだ。振り返ることなく部屋を出て行き、椅子と同化しているレオはポツンと一人取り残された。茫然と見渡し、「マジで?」という呟きが静まった空間に吐き出された。

***

 パリから日本までの時差は夏だとおよそ七時間、飛行機での移動時間は十二・三時間ほどかかる。宗は天祥院財閥が用意したジェット機に乗り込んだが、どれだけ急いでもそれだけの時間を要するということ。宗が日本に到着した時刻は日本時間の真夜中。美雪はお昼寝をすれば就寝時間も早いという生活リズムのため、会えるような時間帯ではなかった。

 再び英智と話すのが癪だった宗は、拉致され拷問まがいを受けたというレオに連絡を取った。散々な目に遭ったレオだったが、美雪が出て行った後に執事がやってきて、きちんと解放されたらしい。レオから美雪の突然の奇行とその理由について聞き出すことが出来た宗は、自らの行いを後悔した。

 レオから預かった曲は、宗の展示会に相応う素晴らしいものだった。レオが臨時ユニット抗争の際に美雪を煽るために発言したとおり、レオの作曲の才能は宗も認めている。その一件で宗は美雪に「月永から曲を押し付けられても突っ返す。君がValkyrieの作曲家だ」と告げた。その言葉を違えようという意思は宗には全くない。
 今回の問題は、宗が個人名義だからレオの曲を使用しても構わないだろう、と判断したことで起きた。宗が彼女の曲に飽きたとか、彼女にやきもちを妬かせようとしてやったのではない。ただ、彼女を愛していると言っておきながら、彼女が自分に向けている思いの重さに気づいていなかっただけの話。

 なかなか帰ることのない星奏館の自室に顔を出すと、宗の幼馴染が目を丸くした。宗が事情を説明すると彼は「お前らさぁ……いや、やっぱいーや」と呆れ顔で布団に潜ってしまった。

 翌朝、ジェット機の中で眠ったことや美雪への心配でなかなか寝付けなかった宗は彼女に会って弁解をするために夢ノ咲学院に向かった。今はみかに任せている手芸部室に足を運び、扉をノックすると内側からドカンと殴られ、宗はぎょっと飛び退く。

「帰ってや!」
「……影片? 入るよ?」
「帰れ言うてんねや阿呆! 顔も見たないわ! 失望したで、美雪ちゃん以外の曲使うなんて……! 信じられへんわ。フランスでもパリでも何処へでも帰ればええねん、嘘つきっ、浮気者!」
「う、浮気……」

 ドアノブを握って回しても突っかかりがあって開くことができない。みかが鍵をかけているようだ。自分を拒絶するみかに戸惑いつつ、宗は再度ノックして開けるよう訴えかけた。

「氷室はそこに居るかね?」
「おるよ、おるけど会わせまへんっ」
「なっ……君に何の権威があって僕と氷室を引き裂いているというのかな⁉」
「美雪ちゃんを傷つけて泣かせるような人に美雪ちゃんを任せておけまへん!」

 彼女を傷つけ泣かせている。グサリと突き刺された宗は「うぐっ」と唸った。

「何のためにおれが一歩引いて二人の世界を邪魔しないでおいたと思ってんねん……悪いけどなぁ、お師さん。アンタが居なくなったお陰でおれは毎日毎日美雪ちゃんと楽しく過ごさせてもらてますぅ、今となってはおれと美雪ちゃんの方が仲ええですぅ、おれの方が美雪ちゃんの気持ち理解してますぅ。残念でしたぁ〜」
「き、君ねぇ……!」
「お師さんがそのつもりなら、おれだって遠慮せんからな!」

 みかが何を言っているのか皆目見当もつかない宗は手芸部室から聞こえてくる音に耳を澄ます。

「……ん、美雪ちゃん。大丈夫やでぇ、おれが守ったる。ほら、ぬいぐるみさんと遊んでてな? ……んああ、大丈夫やって。泣かんといて? な? ……ん、ん。辛かったなぁ」
「ぐ、ぐぬぬ……おのれ影片ァ……僕を差し置いて氷室と懇ろに……」

 ギリギリと手芸部室の扉に爪を立てる帝王という名の夢ノ咲学院OBの背中を、廊下を歩く生徒が引きながら見ていた。

「氷室……聞いてくれるかい?」

 宗は扉越しに語り掛ける。みかからも彼女からも返答はなかったが、宗は静かになった内側に届くよう話す。

「……すまなかった。君が僕個人のことも気にかけてくれていることを、僕は愚かにも見落としていた。Valkyrieではなく僕名義の展示会の曲だからと、君の許しを得る必要はないと判断してしまったんだ。月永の曲を使うことがここまで君を傷つけてしまうとは思わなくて……本当に、すまない。何を言っても言い訳にしかならないね、無様だ」
「ほんまにな」
「おい影片、君は黙っていたまえよ!」
「おれもう人形ちゃうもん。お師さんの言うことは従いまへ〜ん」
「ああ言えばこう言う……!」

 宗が反抗的なみかに怒りを覚えていると、中から「えっ、開けたいん? まあ、美雪ちゃんがそうしたいならええけど……」という声が聞こえてくる。ガチャンと鍵が開く音と共に扉が開き、中から美雪が顔を覗かせた。宗はほっと胸を撫で下ろす。

「氷室……愚かな僕を許してくれる?」
「……貴方が今後、私以外の曲を使わないと言うのなら」
「ああ、誓うよ」
「……私も、ごめんなさい。……月永先輩との約束を、どこからが駄目で、どこまでは良いのか、しっかり定めて誓約書を残しておくべきでした」

 許しを得て部屋の中へと促された宗は約三か月ぶりの部室を見渡した。先程まで美雪以上に宗に反抗していたみかだったが、宗がいた痕跡を消したくないのだろう。宗がいたときから殆ど何も変わっていないようだった。
 人数分の紅茶を用意したみかは椅子に腰を落ち着かせた。

「も〜、今の二人は遠距離なんやから、ちょっとしたゴタつきがあるとすぐに付け入られるで? この間もお師さんが炎上したせいで、三毛縞先輩とか天祥院……先輩とかが美雪ちゃんに近づいて来たし」
「は? 何故そんなことになるのかね」
「さあ? お師さんが炎上すると、美雪ちゃんの中でのお師さんの株が落ちるって思ってるんやない? 如何にも善人な顔して近寄ってくるから、おれも寄せ付けないようにするのが大変やったんよ〜」

 みかは宗の代わりに美雪を守るために奔走しているようだ。二人を残して遠くの国に旅立つのは不安だったが、宗はみかだけでも美雪の傍に居てくれてよかったと、今では思っている。

「まあ、美雪ちゃんも大分おれ達の炎上に慣れてきたから揺るがないんやけどね♪ 最初なんて、おれが『お師さんが炎上した〜』言うたらビックリしてバケツいっぱいに水汲んできたり、消防士まで呼ぼうとしてたのにな」
「……貴方たちは些か燃え過ぎだと思いますけど、確かに耐性はついた気がします」

 ES体制になり、はじめて炎上したときの話だ。所謂ネット民が荒れる『炎上』のことを知らなかった美雪は、言葉のとおり宗が物理的に燃えているのだと勘違いし、バケツに水を汲んで宗に向かって思い切りぶちまけた。宗は突然美雪から水を被せられ放心状態。宗が火傷していないかペタペタ触って確認する美雪とびちょ濡れで立ち尽くす宗という、ちょっとしたカオス空間が拡がった。

「お師さん、クマ酷いで?」
「む……そうかもね、慌てて飛んできたものだから」
「すぐ戻るん?」
「ああ、そのつもりだよ」
「そっかぁ……ん? 美雪ちゃん?」

 立ち上がった美雪は、去年宗が彼女のために用意した簡易ベッドにてってと駆け寄っていく。今も有難く使っているそれに腰掛けたかと思えば、ぽんぽんとベッドの上を叩いて見せた。これを使って寝ろ、と宗に言いたいらしい。

「……寝ましょう」
「ううむ……けど、これは君のために用意したもので……」
「…………寝るの」
「……わかったよ」

 じとりと見つめられた宗は折れてベッドに向かった。みかはにっこり笑って追いかける。

「おれが添い寝してあげよか♪」
「赤ん坊ではないのだけれど?」
「……じゃあ、私もします、添い寝」
「ししししなくて良いよ⁉ 君は! 意味合いが変わってくるからね⁉ このベッドは定員一名だから、二人も三人も寝られないのだよ!」

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