02

 ポーンという軽く高い音と共に上へと動いていた箱が止まる。ESビルの十八階、美雪はそこで降りて魂の片割れを探した。オフィスにはパソコンに向かう社員たちがズラリと並んでおり、美雪がその横を通ると、社員たち全員が彼女を目で追った。艶やかな髪と甘い匂い、品のある佇まい。そこに居るだけで華がある彼女はアイドルのための国における姫のようにも見えるが、そうではない。ESに所属する誰もが作曲家の彼女をアイドルだと見間違う。

 ESビルでは制服で行動することは推奨されていない。あんずはまだ高校生のため夢ノ咲学院に通わなければいけないが、ESビル内ではスーツを着用している。美雪もそれに倣い、ESに訪れる際は私服に着替えていた。淡い色のシフォンブラウスに、歩く度に揺れるフレアスカート。彼女自身は無頓着だが家の者が用意するものを身に着けているため、靴から鞄に至るまでの全てがそんじょそこらで買えるような代物ではない。

 ガラス張りで中の様子がまる見えの部屋に辿り着くと、美雪はひょこっと顔を出してお目当ての人物を探す。中ではデスクにパソコンを置き、その前で額を押さえて目を瞑る茨の姿があった。彼も多忙な身。ここ数日真面に眠れておらず疲れが溜まっていたため、意図せず意識を飛ばしている状況だった。

 美雪はそーっと音を立てないように部屋に滑り込むと、床にぺたんと座って茨を見上げた。父親──ゴッドファーザー──の面影が残る彼の傍にいると、美雪は不思議と安らいだ。凪砂とくっついているときとは別の安心感だ。
 辺りを見渡してみると、茨以外のEdenのメンバーは居ないことに気が付く。美雪は彼等のマネージャーやプロデューサーではないため、スケジュールを把握しているわけではない。新曲を渡すついでに凪砂と交流できることを期待していたのだが、彼の姿はここにはないため美雪はちょっぴり落胆していた。

 疲れている茨を起こすのは忍びないと思った美雪は、新たな楽譜の入っている鞄を漁って小さなぬいぐるみを出すとデスクの上にそっと乗せた。三月末の沖縄旅行から、美雪はこういう手のひらサイズのぬいぐるみが出てくるガチャガチャに密かにはまっていた。この趣味は同い年の翠とも通じるものがあり、美雪がゆるキャラのぬいぐるみストラップを着けているのを発見した翠は「えっ、美雪ちゃん……ゆるキャラ、好きなの?」と親近感を抱いた。以前は近寄りがたいと言って一定の距離を置いて遠慮がちに接していた翠だったが、最近は彼から声をかけることも増えてきている。

 鞄に入っているぬいぐるみを並べ終え、次に茨から貰ったシル*ニアファミリーの赤ちゃんのフィギュアを添えていると後ろで物音。美雪が振り返ると、そこには茨と同じくEdenに所属している漣ジュンが部屋に入って来たところだった。ジュンは机の上のメルヘン状態に(どういう状況だ?)と停止し、茨はジュンがやってきた気配で目を覚まし、ぬいぐるみとシル*ニアファミリーのつぶらな瞳に囲まれているのに気づいて固まった。

「……えー、美雪さん?」
「……はい」

 呼ばれた美雪はデスクからひょこっと顔を出して茨に姿を見せた。

「これは一体」
「……七種さん、寝てたから。遊んでました、いつ起きるかなって」
「さ、左様で……起こしていただいて良かったんですよ?」
「……でも、眠れるときに、眠るべきです」
「そうですよ〜、茨は働きすぎです。fineの方たちみたいに作りましょっか、『英智デー』ならぬ『茨デー』ってのを」

 Edenと同じビッグ3であるfineがテンペストで英智を労うための日を設けたことを小耳に挟んでいたジュンは半分冗談で提案してみる。茨は眼鏡をかけ直して肩を竦めた。英智と同じような立場にある茨としては、年上でやり手の彼と比較されるのはあまり気持ちの良いものではなかった。

「不要です。休息は充分取ってますから」
「さっきまで美雪さんがすぐ近くに居るってのに眠りこけてたヤツが何言ってんすかね〜」
「……美雪さんは閣下と気配が似ているので。無意識に油断してしまうんだと思います」

 ジュンに突かれた茨は苦い顔で言い訳をした。凪砂の渾名が出て来たことで美雪がぴくりと反応する。

「……なぁくん、今日は来ませんか?」
「此処にですか? 今日は午前中に雑誌記事のインタビューがありますが、午後はフリーのはずです。星奏館で自由時間を過ごされるかと思いますので、呼び出したら来てくれると思いますよ」
「ナギ先輩に用事ですかぁ?」

 ジュンは何故か床に座り込んでいる美雪に合わせてしゃがんだ。美雪はじっとジュンを見つめ、こてんと首を傾げる。その仕草にジュンはドキリと心臓を鳴らした。

「……用事。……用事がないと、会っちゃ駄目ですか?」
「え、いや、そういうわけじゃないですけど……」
「フン、ジュンはまだまだお二人のことが理解できていないようですねぇ。閣下と美雪さんは定期的にくっつかないと落ち着かなくなってしまうんですよ」
「はぁ……まあ、そういうもんだって思ってないとやってらんないんでしょうけど、茨も麻痺し過ぎないでくださいねぇ。アンタが制御してないとやべーところまで行きそうですから、ナギ先輩」

 ワンダーゲームでの凪砂の暴走を思い出したジュンはくたびれた様子で「よっこいしょ」と立ち上がった。デスクの上に並べられているぬいぐるみが恐竜であることに気づき、「成る程」と納得する。

「ナギ先輩に見せたかったんすね。トリケラトプスとプテラノドンと……こいつはなんだっけ」
「……ステゴサウルスです」
「ああ、それだ。……んん? これは何です?」
「……ティラノサウルス、らしいです。説明書に書いてありました」
「え、Tレックス? 随分デフォルメされてますねぇ、原型があんま無いっていうか」
「……私も、そう思いました」
「ですよねぇ。Tレックスは何つーか、もっと前のめりで……」

 恐竜トークを繰り広げる二人を置いて、茨はぬいぐるみとフィギュアを一か所に集め美雪の鞄に仕舞おうとする。中にある楽譜の存在に笑みを深め、「美雪さーん、こちら預かりますね」と声を掛け抜き取り、ぬいぐるみたちをポイポイと片付けた。

 美雪は凪砂がやってくるまで待つことに決めた。オフィスを遊び場にされるのは困ったものだが、自分の目の届かないところに行かれるよりはマシだと茨は諦める。ガラス張りの此処では合流した凪砂がイチャつく様子を第三者に見られる可能性があるため、茨は美雪に声を掛けて場所を変えることにした。その後ろに着いてくるジュンに、茨は訝しげな視線を投げた。

「というかジュンは何しに来たんですか」
「いや普通に暇だったんで。何か手伝うことあるかなーって思ったんですけど」
「休日くらい自分の好きなことをしたらどうです?」
「アンタに倒れられたら困るんですよぉ。頭使うのは苦手っすけど、力仕事くらいなら出来ますからねぇ」
「ふん……では、美雪さんの相手を頼みます」

 場所を変えた茨はソファに座ってパソコンを開き作業を続けようとしたが、自分をじっと見つめる美雪に動きを止めざるを得ない。

「どうしました? ジュンと遊んでて良いですよ?」
「……」
「ああ、ジュンは嫌ですか?」
「え」

 何故か勝ち誇った顔でフフンと笑う茨の台詞にジュンはショックを受ける。慌てて美雪を窺うとふるふると首を振ったため、ジュンは彼女に嫌われていないことにほっとした。

「……どうして、私の周りは、寝ない人が多いんだろうって、思ってました」
「はい?」
「……人は、人生の三分の一を寝て過ごすと言います。……それは、生きていく上で必要なこと。……でも、七種さんはたぶん、四分の一になってる。……寝ないと、病気になったり、具合が悪くなったりするから、七種さんも、寝ないと駄目」
「ああ、自分の心配をしてくださっているのですね、なんてお優しい! 流石、閣下の妹君ですねぇ。ですが問題ありませんよ、自分は適切な栄養を取り、眠りにもついていますから」
「嘘ですよ美雪さん。コイツ、放っておくと平気で徹夜しますから」
「ジュン」
「事実でしょ〜? ってか若い内は良いですけどね、ぜってぇ年食ってからガタが来ますよ。よく徹夜なんてできますねぇ、オレは寝ないとやってらんねぇってのに」

 茨は美雪に告げ口したジュンを睨むが、彼は平気な顔をして遠回しに文句を言ってくる。

「ぶっちゃけ、休んでいる暇なんて無いんですよね。寝る時間があるくらいなら他の事務所よりも一手先に出たいんですよ。……ああ、美雪さんがコズプロに所属してくださると言うのなら、自分もここまで苦労する必要はないかもしれませんねぇ。毎日健全な睡眠時間を得ることができるかもしれません」

 ニタリと不敵な笑みを浮かべた茨に、ジュンは思わず「うわ、きったねぇ」と発してしまう。
 四大事務所はアイドルだけでなく作曲家を抱えている場所もある。以前サミットでは、名波哥夏という作曲家をどの事務所に所属させるか、という議題でちょっとした論争になった。茨は美雪を得るためにValkyrieに声を掛けたといっても過言ではない。美雪はValkyrieを贔屓している作曲家であり、乱凪砂と幼少期を共にしてきた特別な少女だ。ValkyrieとEdenが居れば、四大事務所を並べられたとき彼女は真っ先にコズミック・プロダクションを取るだろう。

 そんな茨の思惑を誰よりも素早く察知していた英智はコズプロの抜け駆けを主張しスタプロへの所属を提案、いつもサミットでだんまりを決め込んでいるリズリン代表補佐の零がそれに猛反対、ニューディは「月永が居るんだから良いだろ」と叩かれ散々な目に遭いつつも司が反論し、結局「埒が明かない」とP機関が仲裁に入り、サミットで名波哥夏の名前を出すのはタブーと化した。

 美雪が自分から「コズプロに入る」と言えば他の事務所も反対は出来まい。茨は彼女の善意を利用して彼女の口から言わせようという作戦に出た、言質を取ろうとこっそり忍ばせたボイスレコーダーを起動させている。ジュンは居た堪れない表情で美雪を見守る。

「……パパ、病気で居なくなっちゃったから」
「へ?」
「……七種さんも、居なくなっちゃうかも」

 ゴッドファーザーは長命だった。死因が老衰か病気かまではわからないが、人はいつまでも生きて居られない、命は永遠ではない。ゴッドファーザーもいずれ居なくなる結末だったのだ、と残酷に告げることは茨には出来なかった。茨があまり良い感情を持っていない例の人物と重ねられているとはいえ、自分を純粋に気にかけている健気な少女に。

「……わかりましたよ。ちゃんと休みますから」
「……じゃあ、お昼寝ね」
「はい?」

 ふわっと表情を和らげた美雪は茨の隣に腰掛けた。

「……ふふ。この間、斎宮先輩のことも寝かしつけてあげたの。……お世話をするって、楽しいですね。相手が可愛く見えて、自分の方が、優位に立っているみたいで。自分が居ないと、何もできない子みたいで」
「なんかちょっと可愛くない理由ですね?」
「……そう?」

 そうは言うものの、茨は理解できないわけでもなかった。幼子のような凪砂と接していると似たような感情を抱くような気がしなくもない。
 美雪がぽんぽんと自分の太ももを叩いた。茨はピシリと固まる。

「ええっと?」
「……膝枕、してあげます」
「遠慮させていただきます。美雪さんの太ももをお借りするなんて、閣下にばれたら殺されてしまいますから」
「……なぁくんは優しいから、きっと許してくれます。……ね?」
「…………それ計算してやってますか」
「……計算?」
「……ハァ〜〜」

 ソファに手をついて距離を詰めてくる彼女に、茨の中でいけない感情が湧き上がる。ぐっと堪えた茨の顔は険しい。これで計算ではなく無意識に男を誘っているというのだから末恐ろしい女だ、と茨は頭を抱えた。

「……私じゃ、嫌?」
「い、いえ、そんなことは」
「……漣さんの方が良いですか?」
「いえ全然。まったく。ジュンの太ももは筋肉でガッチガチなので寝心地が悪いです」
「味わったこともないのに断言すんな。別にオレは良いですよぉ? 茨を膝枕で寝かしつけてあげても」
「結構」
「じゃあ美雪さんの太ももで寝るんすねぇ」
「……」
「え、マジですか?」

 茨は無言で美雪に近寄り、そっと頭を預けた。凪砂に見つかれば彼の機嫌が急降下し制御できなくなるだろう。茨はそうなるのを何としてでも回避すると思っていたジュンは彼の行動に面食らった。頬に当たるフレアスカートの滑らかさとその奥にある柔らかさに、茨は意識と理性を持っていかれそうになる。美雪は微笑み、自分の膝で眠ろうとする茨の頭を撫でた。じゅわぁ……と自分の内側から邪気が消えて浄化されていくのを感じた茨は今にも天に召されそうな表情でジュンに語る。

「……ジュン」
「は、はい? 何です?」
「…………後は頼みます」
「は?」
「自分はもう駄目です。ここから一生離れたくない」
「うわ。人を駄目にする膝枕」
「極楽浄土は本当にあったんだ」
「『ラピ*タは本当にあったんだ』みたいに言わないでください」

 茨は油断すればフッと持っていかれそうになるのをジュンと会話することで繋いでいた。眼鏡を抜き取った美雪はパソコンの横にそれを置き、茨の瞼の上に手を置いた。ひんやりした手のひらに茨の熱が伝わり、じわりじわりとあたたかくなる。

「……ねんね、ねんね」

 ころんころんと鈴が転がる。今度こそ意識を絡めとられた茨は深い眠りに落ちた。一瞬の出来事にジュンは唖然としている。

(死ぬみたいに寝やがった)
「……漣さん」
「あ、はい?」
「……私の鞄に、本があるので、取っていただけますか?」
「ああ、了解です」

 ジュンは頼まれた通り、美雪の鞄から本を取り出して渡した。膝に茨がいるため動けない美雪は静かにページを捲り始める。茨に美雪の相手を頼まれたはずのジュンだが、手持ち無沙汰になってしまった。とはいえこの状況で茨と美雪を放置して何処かに行くのも悩ましいところだ。
 そう思ったタイミングで丁度ジュンのスマートフォンが主張を始めた。ジュンは画面に表示された名前を確認してから耳が痛くならないよう適切な距離を保って電話に出る。

「あ、ジュンくん! 仕事が終わったから迎えに来てね」
「オレは車じゃないんですけど〜?」
「でも君はぼくの荷物持ちだね! ショッピングしたいから付き合えって言ってるんだけど! 今日はフリーのはずでしょ? ぼくを労う権利を与えてあげる……☆」

 電話をかけてきたのは巴日和だ。ジュンが暇をしていることをわかっていて呼び出しているらしい。ジュンはチラリと本を読んでいる美雪を見遣った。

「あー……すんません、今は無理っすね」
「えっ、今断った⁉ ジュンくんの癖に⁉ ジュンくんは何だかんだ言いながらぼくの手となり足となるのがお決まりのはずでしょ⁉」

 ジュンは部屋の隅に寄って小声で伝えようとした。そんなことをしても、美雪の耳には全て聞こえているのだが。

「……今ちょっと美雪さんと茨がイチャイチャしてるんすよ」
「ああ、いつものこ……ハ? 待って、今『茨』って言った? 凪砂くんじゃなくて?」

 彼なりに言葉を考えた結果だが、ジュンの伝え方には些か語弊があった。『美雪さんが茨に添い寝してるんですよ』ではそちらの方が誤解を招く。『一緒に寝ている』という表現もアウトだ、そもそも美雪は寝ていない。故に『イチャイチャ』と称したのだが、日和の頭の中では茨が美雪を組み敷いて無理矢理迫っている光景が浮かび上がっている。

「す、すぐに駆けつけるから! ジュンくんは茨を食い止めておくんだね!」
「ん?」
「切るね!」
「あ、ちょ」

 一方的に切られたジュンは日和が勘違いしていることを察してかけ直すが、向こうに出る気配がないと諦め、美雪の向かいのソファに腰を下ろしてスマホゲームをやり始めた。
 暫く静かな空間が流れたかと思うと、外からダバダバダバと誰かが慌ただしく走ってくる音がする。美雪とジュンは顔を上げて外に目を向けるとバン、と扉が開く。

「美雪ちゃん! 無事だね⁉」
「……しー」
「早かったっすね、おひいさん」

 平然としている二人に、想像していたよりもほのぼのとした状況に日和はぱちくりと瞬きをして動揺のあまり自慢のふわふわの髪を掴む。

「え、あれっ? 茨、寝てるの?」
「……ええ。おねんねしてます」
「お、おねんね……」

 一気に気が抜けた日和は入口でしゃがみ込んだ。家族であり親友であり相棒である凪砂の愛しい彼女に何かあってはいけないと思い、息せき切って登場したら本人はけろっとしている。

「まあ、無事なら良かったね……というか! こんな状況、凪砂くんに見られたらどうなるかって思わないの? 絶対不機嫌になって手をつけられなくなって、美雪ちゃんを離さなくなるねっ」
「ナギ先輩が来るってなったら起こしますよぉ、コイツには休息が必要ですから。……まさか本気で美雪さんの膝で寝るとは思いませんでしたけど」
「……むむむ。こんなに毒気のない寝顔を見せられたら起こし辛いねっ」

 茨に近寄って今まで見たこともない彼の寝顔を見下ろした日和は頬を膨らませた。日和という巨大な太陽が近くに来たことで気配を察知したのか、茨はカッと目を開いて起き上がり、「今何時です⁉」と怒鳴った。

「今っすか? もうすぐ十一時っすけど」
「くそ、寝過ぎた……! それもこれも美雪さんが気持ち良すぎるせいですからね⁉」
「この子のどこに触ったの、すけべ!」
「太ももです! 楽園でした!」
「潔いね⁉」

 ソファから立ち上がった茨は素早くパソコンを閉じて支度を整えると部屋を出て行こうとする。日和とジュン、美雪は彼の予定を知らないが、いつも忙しくしているのをわかっていたため別件があるのだろう、と見届けた。一度出て行ったかと思えば、茨は何故かすぐに引き返して来る。

「言い忘れていました、美雪さん。コズプロに新しいユニットが出来たんですけど、くれぐれも彼らには近寄らないようにしてください」
「……?」
「良いですか、言いましたからね? 特に曲を作るのだけはしないでください。彼らには既にこちらから用意した楽曲を渡しておりますので。絶対ですよ」

 一方的に言うと茨は姿を消した。茨が居なくなったことでスペースの空いたソファに、日和が腰を下ろして足を組んだ。

「新しいユニットって……ああ、例の彼ら」
「……どんな人たちですか?」
「気になるの?」
「……近寄るなって言われても、見た目がわからないと、避けることが出来ません」
「確かにそうだね」
「抜けてますね〜、茨も。寝起きで頭回ってなかったんじゃないっすか?」

 日和はホールハンズを開くと例のユニットのデータ資料を表示して美雪に見せた。映っているのは紅色の髪の男。燃えるような色だ。瞳は空。

「ユニット名はCrazy:B。彼はリーダーの天城燐音という男だね。いけ好かないし不思議な喋り方をするし、ぼくとしても美雪ちゃんに寄せ付けたくないタイプの男だよ」
「……不思議な喋り方、ですか?」
「うん、何て言うんだっけ、ああいうの。江戸っ子?」
「ああ、なんか独特な話し方ですよねぇ」
「コイツと次の男にも注意しておけば良いと思うね。後の二人はそこまで毒気はないから」

 美雪を挟むようにして座ったEveは天城燐音の印象を語る。日和が画面をスライドさせると今度は別の男が出て来た。

「彼はHiMERU、本名は十条要。頭も回るし何を考えてるのかわからないから気をつけてね」
「あいつ、去年はもうちょっとアホっぽかったはずなんですけど……最近避けられててそこら辺がよく分かってないんですよねぇ」
「…………」
「で、次に桜河こはく。ジュンくんの同室の子だよね」
「はい、玲明の寮で一緒です。若干世間知らずなだけで悪いヤツではないですよ」
「…………」
「最後が」
「……椎名さん」
「え、知ってるの?」

 それまでは無反応で画像を見つめていた美雪が最後の男に反応を示したことに日和もジュンも目を丸くする。美雪はこくんと頷いた。

「……椎名さん、お料理が上手な人です。……いつも、私が食べられるものを出してくれます」
「んん……仲良しさんが居たんだね、それは気の毒だね」
「……気の毒?」
「ああ、いや、気にしなくていいね。知らなくて良い事も世の中にはあるから」

 日和はかぶりを振ってスマートフォンを仕舞った。彼らが解雇される身であること、茨の策略で利用され、やがて蜥蜴の尻尾切りのように捨てられる事実を美雪の前で明かすことは日和にはできない。日和は話題を逸らそうと時計を確認した。

「そろそろ凪砂くんのお仕事が終わった頃じゃないかな。電話してみたらどう?」
「……はい」

 促された美雪は素直に凪砂に連絡を取った。電話を取った凪砂は「じゃあお外に行こう」と土いじりを提案し、美雪はそれに従ってそのままの格好で出て行こうとした。呆れた日和が「美雪ちゃん、お着替えがないしスカートだから。外で遊ぶにしてもショッピングにするんだね」と助言し、凪砂が納得すると待ち合わせ場所はビルの外になった。美雪はEveの二人に別れを告げ、凪砂に会うためにエレベーターに向かった。

 エレベーターの中には美雪しか居ない。彼女が目指す先はロビーだが、辿り着く前に停止する。場所は十階。誰かがボタンを押していたのだろう。ドアが開くとその主が立っていた。スマートフォンを弄っていた手を止めて顔を上げた彼と美雪の視線が絡む。紅色の彼は豆鉄砲を喰らったような表情になったかと思えば、ニィと笑みを浮かべて颯爽と乗り込んだ。

 天城燐音だ。茨と日和に忠告されたばかり、美雪は一歩下がって彼と距離を取ろうとした。ところが燐音は美雪の真隣にやってきて、箱の壁に背中を預けた。

「よォ」
「……」
「お嬢チャン、作曲家の子だろ。知ってるぜェ? それにしても可愛いねェ♪ いやマジで。なんでアイドルやってないのって感じ」
「……」
「無視は良くないなァ? おにーさん悲し〜」

 わざとらしく「オイオイ」と嘘泣きして見せる燐音に、美雪は申し訳ない気持ちになる。挨拶程度なら良いだろう、と口を利いた。

「……こんにちは」
「きゃはっ、素直だねェ〜……そりゃあ色んなヤツに守られてるわけだよ。ガード固そうだと思ってたけど、こんなところでご対面できるなんて、やっぱり俺っちはツイてる! 運命だと思わねェ?」
「……? ……?」

 突然、腰に手を回して距離を詰めて来た燐音に美雪は困惑した表情で縮こまる。フッと笑った燐音は美雪の耳元に口を寄せた。エレベーターは防犯カメラが設置されている場所だ、燐音は音声を拾われるのを警戒した。

「──あのさァ、ガチな話。俺っち困ってるんだけど、力貸してくんね?」

 燐音はそう言うと、美雪の行き先である一階のボタンを二回押した。ランプが点いていたはずのそこは光を失い、息を飲んだ美雪は燐音の横顔を見つめる。

「こうするとキャンセルできるんだぜ、知ってた?」

 得気に眉を上下に動かした燐音は再び一階のボタンを押した。今の行動に何の意味があったのか理解ができない美雪は、ただ燐音を見上げることしかできない。

 そのまま一階で止まった。先に降りた燐音は「じゃあな〜」と手を振って出て行く。美雪は茫然と彼の背中を見送り、自分もエレベーターを降りたところで、スカートのポケットにある違和感に気が付いた。手を差し込むと紙が出てくる、名刺だ。先ほど密着したときに燐音が入れたものだった。あそこは防犯カメラの死角になっており、その様子は映像に残っていない。名刺には名前とホールハンズのIDが書かれていて、彼の見た目や性格と裏腹にシンプルなデザインだった。

 美雪は歩きながら名刺を見つめ、再びポケットに仕舞おうとして動きを止める。裏面に文字が書かれていた。

(……電話番号?)

 顔を上げると、燐音がビルの外に出て行くのが見えた。美雪も凪砂との待ち合わせ場所に向かうため、意図せず彼の後を追うことになる。燐音は右へ曲がっていくが、美雪は左だ。

 凪砂はまだ到着していないようで、美雪は名刺の裏面の電話番号を確認した。スマートフォンを取り出してタップし、耳に当てる。呼び出し音を聞きながら彼の消えた方に目を向けると、もう燐音の後ろ姿は見えなかった。電子音が途切れ、空気の音が鳴る。

「……もしもし」
「ハハッ、マジか。マジで掛けて来ちゃう?」
「……天城さん、困ってるんですか」
「そうだって言ったら助けてくれるのかい? 氷室美雪ちゃん?」

 ESから支給されたものでは盗聴されている恐れがあると、燐音が使い捨てで用意した携帯だった。

「……貴方たちに興味があります」
「ほう? そいつぁ光栄だねェ、なんでまた?」
「……お顔が好みでした」
「ハ?」
「あ……すみません、切ります。都合が良いときに連絡ください。夜遅いと出られないので、気をつけて」
「いや、ちょ」

 美雪は燐音の声も聞かずに一方的に切った。ザリ、と靴と砂の擦れる音。

「……誰と電話してたの?」
「……お家の人」

 待ち合わせ場所にやってきた凪砂に、美雪ははじめて嘘を吐いた。

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