※タイトル通りこの話では主人公が2人になります。
面倒を見てくれるのは主に幼馴染組。
遙主前提で進みますが、主人公が自分と対面してどぎまぎするシリーズです。
一番重要な点として、主人公×主人公なんていう特殊な描写が含まれますので、何でも許せるよ! という方のみお進みください。
随分と居心地の悪い夢を見たものだと思う。目覚めはいいとは言えなかった。
人はよく空を飛ぶ夢を見るなんて言うが、きっと嘘だ。
水希は水中にいた。そこでたまに息を止めてはぼこぼこ音をたて、泡を作っていた。
水中は遥か先まで見渡せてしかしひたすら何もなく視界はただただ真っ青だった。
水希は意識がおぼろげだった。夢の中で意識がはっきりしていたとかしていなかったとか奇妙な話ではあるが、彼は確かに水中にいて、意識は薄ぼんやりとあり、抗いもせずに沈んでいた。
不思議と苦しさはなく、反って心地の良い眠りに誘われるようだった。
眠っているのに眠るなんておかしな話ではあるがそれはさておき。息苦しさを感じない水中は雪の吹き荒れる雪山で下着を一枚身に着け「寒くない」とへらへら笑いながら言えるようなものだ。違和感ばかりがあった。
とにもかくにも一つだけ明瞭だったのはこのままいればいずれ死ぬということだ。
息がしたい。
ふと思ったとたん目は冴えた。冴えたと同時そいつは“リアルな水中”を映した。
ゴーグルを通さない水中。何もかもがふやけて見える水中。だがそんなことに驚いている間もなく今までは感じなかった息苦しさが唐突に水希を襲った。
勢いよく泡を吐き出してからは肺に戻るものがない。結果ありもしない息を吐き、四肢をでたらめに動かして解放を望んだ。だが水は重く体は鉛であった。いくらもがこうと皮肉るように沈下速度だけが増してみせた。
――たすけて
死を目前とし頼りない泡を浮かべた――そのとき暖かい手が、水希の腕を掴んだ。力強く、誰かが水希を引っ張り上げた。
滑らかな水が水希の頬をなでる。射し込んだ光の線はあまりにも鋭く、眩しく、手を引く誰かを白く焼き上げる。細めた目が水面の模様を捉え――水希は目を覚ました。
特別、魘されていたとか、飛び起きるとか。体中に冷や汗をかくとか。そういったものはなく、いつもの起床と同様、ゆっくりと瞼は持ち上がった。……が、気分だけは最悪だ。水希は夢の続きにいた。
秒針が滑らかに半円を描くのを見つめて、ため息をつく。右手で目にかかった髪を払おうとして――どきりとした。
確かな感触、血のあたたかさ。どうして初めに気付かなかったのか。横に誰かが眠っていてなおかつその人と手をつないでいる。
真琴の手ではない。すぐに察した。加えて蓮や蘭のものでもないだろう。2人にしては手が大きい。
水希はおそるおそる横を見――その状態のまま静止した。
横にいるのは男だ。無防備なことに顔は水希に傾けている。
水希の背後で音もなく、また秒針が半周した。
「――」
人間、度を越えて驚くと声が出ないらしい。はく、と一度口を動かしたが音はない。しかしつながった手から水希の緊張が伝わったのだろうか。男が小さく身じろぎし、ゆっくりと瞼を持ち上げ始めた。
何の予告もなく目の前の男が目を覚ますのだから水希は黙ってそれを見守るほかなかった。
薄い緑の目が水希を捉える。まだ冴えきっていないのだろう、ぼんやり、水の膜でも張っているようだ。
交わった目を逸らすことは許されなかった。
男の目が完全に開いた途端水希は己の目を見張る。わけがわからなかった。
「――おまえ」
男が目覚めたばかりの機嫌が悪いかすれた声をだす。
瞬間水希は何かにはじかれて――つながれた手を振り払い、ベッドから転がり下り、荒々しく部屋のドアを開け放つと、ずり落ちたハーフパンツも気にせずに、「真琴!!」とらしくもない大声で双子を呼んだ。
真琴の登場は早かった。
時刻は午前6時過ぎ。橘家にとってはいささか早朝である。
それでも水希の切羽詰った一声で真琴は飛び起き、慌てて廊下に出た。そしてすぐに自室前で顔を真っ青にした水希を見つけ、いったい何事かと駆け寄った。いきなりの起床にも関わらず真琴の目は冴えきっていた。
「どうしたの、水希?!」
呆然とする水希の肩を掴んでゆするも、水希は気が動転しているようで、部屋に、部屋に、とそればかりを繰り返す。
まだ冷静さの残る真琴は首を傾げた。部屋に、何があるというのだろう。
真琴の知る限り水希は部屋に虫が出たぐらいでパニックを起こすような男じゃない。俗に言う“G”が出たって静かにリビングに下りそこで新聞紙を刀にするか、ケトルでお湯を沸かすかして、また部屋に戻り何事もなかったかのように駆除し始め後処理までするようなやつだ。加えておばけなんかも気にしていない。割愛するがそういったものに関しては真琴とはえらく正反対だ。
そんな水希が気を動転させるものに真琴が耐えられる気はしなかったが、この目で確かめないことには何もわからない。彼は意を決し、水希の頭を2,3度撫でて、水希の部屋に入ろうと身をひるがえし――
「……人を見て化け物を見たみたいな顔、しないでくれる」
ドアを開け放ち腕を組み、相変わらず抑揚のない声を出す弟がそこにいた。
真琴は慌てて振り返る。
体を力ませ、自分以上に混乱している弟は、やはりそこにいる。
また前を見る。
不機嫌な面をした弟がますます眉間のしわを濃くした。
「……え? えっと……水希?」
「……はあ」
隠しもせずに吐き出されたため息は肯定だった。
一旦水希の部屋に戻ることになった。
水希はベッドに腰掛け、真琴と“水希”はカーペットの上に座る。真琴はどこかかしこまった座り方で“水希”は遠慮なくあぐらをかいている。
「……それで、どういうこと?」
切り出したのは真琴だ。
それには水希ももう一人の水希も視線を彼に向け、それから自分と同じ型をなす人間を見る。
水希は冷静さを取り戻した代わりに目の前の人物に対する猜疑心が頭をもたげ始めたのか、じぃっと半ば睨むように“水希”を見、“水希”は面倒くさそうに眉を顰め「おまえが溺れるからいけないんだろ」と目を細めた。
溺れるとはなんぞや。真琴が首をかしげる。
水希も怪訝な顔をしたがふと自身が見た居心地の悪い夢を思い出した。
溺れる、というよりも底のない水中に沈む夢。誰かが自身の腕を引っ張ってくれて、あと少しで呼吸ができるというところで覚めた夢。……が今朝のあれがこの奇怪な現象とどう関係するのかがさっぱりわからない。どちらも超現実的であるという点では等しいのだろうが。
「夢を見たんだ」水希はゆっくりと口を動かす。自分でも整理はつかないがなんらかの関係があると思われる夢の話を真琴にしておこうと思ったのだ。
「夢?」
「水中でもがいて、もう死ぬって思ったときに誰かに引き上げられる夢」
どこかぼうっとする水希に真琴は眉を顰め“水希”を見た。
彼は真琴の視線には気づいておらず、数秒前の真琴と同様水希を見ている。その薄緑をすうと細める動作は本当に穏やかで、静かであった。
「水希。俺はおまえであって、おまえじゃないよ」
「……は?」
まさか自分と全く同じ顔の人間から名前を呼ばれるとは思っていなかったのでほぼ不意打ちだ。思い起こしていた夢を掻き消して“水希”を見る。
「俺はおまえが殺してきた橘水希だよ」彼は柔らかく笑んだ。
まったく意味が分からない。それが水希の頭に浮かんだ最初の言葉だった。
俺が殺してきた俺自身とはいったい何なのか。ぐるぐると頭を回し過去を振り返るもなんにも思いつかない。とにかく身に覚えがない。
再び混乱し始める水希をよそに彼は続ける。「これ以上はおまえ自身が本当になくなるのに。おまえがまた死のうとするから手を引くしかなかった」
真琴の鋭い目が己に突き刺さるのを感じないほどにぶちんではない。
「……いや、してないって」
水希はゆっくりと左右に首を振る。
それでも真琴の疑うような視線は消えてくれないのでまだ夢の続きを見ているようだ。息苦しくって仕方ない。
「知らないうちに殺しているもんだよ。劣等感を持つ自分も、名前が嫌いな自分も、おまえを愛そうとする俺も」
「……真琴」
通訳、と目線で訴えてみるが真琴も混乱しているらしい。彼は口をひきつらせていた。
仕方なしに“水希”に目線を戻すと彼はまた淡々と語る。己の抑揚のなさを実感するとはむず痒い。
「俺もまさかこんなことになるとは思わなかったけどね。おまえが殺したおまえ自身の数は俺が形成されるのに十分な数だったんじゃない」
“水希”はあきれ顔で言って、ちょっとだけ笑った。
彼の話はこれで終わりらしいが水希も真琴も何も納得できていない。かえって混乱が強まったような気さえする。
頭痛でもしそうだ。水希は眉間を押さえた。
「……おまえは俺の中にいたの」
「そうなるんだろうな」
「戻れるの」
「おまえ次第じゃない? 俺は知らないよ」
「…………」
「そんなに俺に消えてほしい? 一度消してもこりないやつだな。なあ水希、俺はおまえに会えて嬉しいよ」
「……おえぇ」
そんな口説くようなこと俺と同じ顔で言うな。水希は本気で気分が悪くなったらしく口を押えて腹からせりあがった何かを喉あたりに止めた。
あからさまな嫌悪を見せる彼に“水希”は笑い、だんまりになってしまった真琴を見た。「俺はきっと、こいつが俺を認めない限りはここにいるだろうね」となんてない様子で言って見せる。
認める、というのも基準が難しい気がする。真琴はどんよりとした黒いものを背負った水希を横目に頬をかく。あのようすじゃあしばらくは帰ってこないだろう。
「……水希」
「?」
「水希は自分を殺したって言ったけど、水希はそんなに追い込まれてた……ってこと?」
「違うよ。あいつは単に自分が受け入れたくない自分自身を殺したんだ」
「……?」
「たとえば大事なところでヘマした自分とか、忘れたいだろ。誰だってそういう自分はいつの間にか隅に追いやってる。別にかまわないことだけど、あいつの場合は多すぎた。気に入らない自分がたくさんだったんだ」
ぱちぱち。2度ゆっくり瞬きをする真琴。
“水希”はふ、と口元をほんのわずかに緩めた。
「深く考えなくていい。一人で何かを抱え込んでいたとか、そういうのはないから」
次こそは大きく笑った。それを見た真琴は彼はよく笑うと今更のようだが感ぜられた。
水希はあまり笑わない。遙といい勝負だ。……もしかするとよく笑う水希という存在は彼自身が気に入らず捨ててしまったのだろうか。
ふっと浮かんだ考えにいつの間にか沈んでいた顔を上げると、ご名答と“水希”が満足げに口元に弧を描く。
「あいつ、捨てすぎなんだよ。たまにはちゃんと向き合えってツケが回ってきたのかもな」
「……」
なんだか実感がわかないのだが、とにかく主に水希にとってめんどうなことになったのだろう。
彼が水希の芯に帰ることははたしてあるのだろうか。
某主人公のように(いささか不適なようではあるが)真っ白になっている水希からはあまり良い未来は望めそうにないのだが。
真琴とてすべてを理解したわけではないが柔軟性はある。
彼の口から出た「そっか」はきっと今までの“水希”の言葉に対する総合的な返事だ。水希本人はまだ受け入れられないようだがその兄の方は順応してきているらしい。
「元に戻る方法を模索しつつも、まずは――」
真琴がそこまで言ったとき、ゆっくりと部屋の戸が開く。
上を見ていては姿を見ることはできない突然の来客者は、ぽかんとする真琴と“水希”、それからベッドに腰掛ける水希を見て、
「水希にいちゃんが2人いる!!」
数分前の水希に負けず劣らず、声を張った。
悲しきかな、真琴が今しがた家族にはどう説明するか話し合おうとしていた途端の蓮の訪問である。わあわあと声をあげばたばた下へかけて行く蓮に、あまりに唐突すぎた一連のできことを把握できない真琴はなす術がない。
水希は論外だ。蓮が来たことにさえ気づいていない。
はあ、と吐き出されたため息は本日2度目であった。