その日水希はスマートフォンを片手に難しい顔をしていた。
 彼が見るのは調理器具がリストアップされたホームページだ。それぞれ使い勝手・質、ともによく、高校生が手を出すには苦しい値段設定だが……。
(……ほしい)
 最近水希を襲った災難と言えば、ヘラが蘭のおままごと道具にされていたり、抜き型が蓮の粘土遊びの道具にされていたり、料理が好きな彼からすればとんだ仕打ちである。
 かといって、楽しそうに遊ばれてしまえば幼い弟妹に怒る気力もわかないので遣る瀬無い。
 ともかく、水希は新しい調理器具がほしかった。
 ヘラと抜き型はもちろん、ペティナイフ、フライパン、ターナー、スライサー。食卓の雰囲気を変えたいのでカトラリーもほしい。挙げればきりがない。
 しかし。
 水希はスマートフォンを机に伏せて、ため息をついた。
 すべて買うにはどうもお金が足りそうにない。
 中にはワンコインで済ませられるようなものもあるが、そこは水希のこだわりが許さない。いつも使う道具なのだ、いいものを買いたいじゃないか。
「甘ブリ、バイト募集してるらしいよ」
「え? あの潰れそうな遊園地?」
「そうそう。お客さん来ないのに、雇ってどうするんだろうねー」
 水希はだらんとした体勢で、会話をする女子生徒を一瞥した。
 甘ブリ。
 その遊園地の名前は水希も聞き覚えがあった。
 何日か前、MeMovieにアップロードされた動画について男子生徒が話しているのを聞いたし、彼自身陽気な友人に「お前も見ろよ!」と誘われた。
 興味ない、と断ったが勝てなかった。
 水希が見たのは遊園地のマスコットキャラクターがお客を殴る動画と、従業員と思われる女の子たちが水着でぽんぽんを振る動画だった。
「甘城ブリリアントパーク! チケット全部30えーん!」しばらく一部の男子の間ではそのセリフが流行った。
 告知動画を見て以降、水希はその遊園地のことなどすっかり忘れ去っていたのだが。
 甘城ブリリアントパーク。
 バイト募集中。
 高級な調理器具。
 水希は裏を向けたスマートフォンを持ち上げて、画面をタップ、スワイプした。
 検索結果の一番目は地図。ここからのアクセスが表示された。
 人気のない遊園地とは聞いていたが、ホームページは存在し、2番目には表示されるらしい。
 少しスクロールすると従業員募集の文字が目に入った。
 本当に募集している。
(遊園地か……)
 水希は迷った。
 どういった仕事をするのだろうか。自分に務まるだろうか。
 ――やはりやめておこうか。
 スマートフォンをポケットにしまおうとして、手を止めた。水希の脳裏に過ったのは調理器具。
 水希は一度目を閉じて、ゆっくりと開いた。
 液晶のブルーライトが少し眩しい。水希の瞳に青白い長方形が映る。
 彼を突き動かしたのはほかならぬ調理器具であった。

 面接当日。
 黒のロングヘアーにピンクのカチューシャ。水希のひとつ前の女性が出てきて、軽く会釈をした。
「頑張ってくださいね」
「あ、どうも……」
 学生の水希を見て彼女は優しく微笑んだ。
 人間関係ほしさにここに来たわけではないが、もしお互いに採用されたら、少し話してみたい気がした。
 女性の姿が見えなくなると、水希は深く息をついて部屋のドアをノックした。
「どうぞ」と男の声がした。
 室内に入って、直進。
「失礼します。……橘水希です、よろしくお願いします」
 長机を前に3人の面接官が腰かけ、向かい合うように1つのパイプイス。典型的な配置だ。
 面接官は左に女性、真ん中に男性、右に――着ぐるみ。
 は? と思わず口にしそうになったが水希はなんとかこらえた。
「高校生ですね」
「はい」
「では……橘さんの志望動機を聞かせてください」
 この質問は来ると分かっていたものだ。回答だって事前に準備している。
「調理器具を買うためです」
 何も飾らない回答を。
 きょとんと目を丸くした面接官の青年、可児江西也は「調理器具、ですか?」と首を傾げた。
「料理がお好きなんですか?」
「はい」
「腕前は?」
「お菓子の方なら、それなりに。自負しています」
 まさか着ぐるみに質問されるとは思っていなかったが、水希は動揺を見せずに答えた。
 水希自身まだ学ぶことは多いので「自負」という言葉を使うのはあまり気が進まなかったが、面接だ。しょうがない。
 着ぐるみ――否、モッフルはふむ、と頷いた。
「まともそうふもね。それに、手先が器用なら戦力になるふも」と、西也に耳打ちする。
 西也に視線を送られたいすずは「いいんじゃないかしら」と頷く。西也はフ、と笑った。
「よし、採用!」
「?!」
 履歴書にぽん、と判子が押される。
 そんな軽々しくていいのか。
「詳しい話は後日。また連絡をします」
「……はい。ありがとうございます」
 徐に立ち上がり、水希は3人に向けて頭を下げた。
 部屋から出た水希はふうと息をついた。
 あれは、面接だったのだろうか。志望動機以外聞かれなかったし、それすらも深く掘り下げられることもなかった。なんだかここで働くことが一気に不安になったが――。
 まあいいか。なるようになる。


「あ。おかえり水希」
「ただいま」
 家に帰るとリビングのソファに腰掛けた真琴に迎えられた。
 蓮たちとは玄関前ですれ違った。これから夕飯の買い物に行くのだという。
 一度そこに入ると足の向かう先を変えるのが億劫だったので、キッチンで手を洗う。
「面接、どうだった?」
「あー……採用って」
「えっ、早っ! 大丈夫なの、そこ」
「うん。多分」
「多分て……」
 真琴が渋い顔をしたが水希は気にも留めない。
 この遊園地大丈夫か? という不安は、水希の中ではすでに終わった議題だ。いまさらその件について議論する気はなかった。
「なんか不安だなあ……」
「大丈夫だって」
「んー……。あ、水希、宅配来たよ。部屋に置いといた」
「ああ。サンキュ」
 水希はタオルで手を拭いて、足早に自室に向かった。
 宅配は、きっとこの間頼んだヘラと抜き型だろう。
「……まったく」
 再びリビングに一人になった真琴は肩を竦め、ため息をついた。
 何事にも無関心そうに見えて、意外と行動性があるし、打ち込めることも持っている。
 事実、今回のバイトの動機を水希から聞いたとき、真琴はあきれた。
 お小遣いで買える範囲で我慢しなよ、と言ったらすごい勢いで睨まれたのだから、もうちょっと考えた方がいいとか、真琴は言えなかった。
 料理のこととなると、遙の水への執着といい勝負なんじゃないだろうか。
 でも、まあ……。
 水希のバイトが始まって、しばらくしたら遙を誘ってこっそり遊園地に行ってみよう。
 真琴はひとり、口元を緩めた。