わたしたちの担当の時間は終わり、五分前には来てくれていた二人の女の子に後を引き継いだ。
女の子は残る材料を見て店じまいが予定より早くなりそうだと驚いていた。こんなに焼いて大変だったでしょ、と言われたときに、わたしじゃなくて水希くんが焼いてたんだよって言ったら二人とも目を丸くした。
橘、料理できんのっ? て。
水希くんが料理上手なことあまり知られてないみたい。そもそも水希くんが周りと関わりを持たないことと、周りが声をかけにくい雰囲気を醸し出していることとが問題なんだろう。
せっかくの機会だと思って水希くんがたくさん活躍したことを話した。わたしがもたついてもフォローしてくれたこととか、とにかく優しいんだよって。するとクラスメイトは怪訝な顔をして、
「優しいって橘が? ありえないでしょ」
「真琴くんの方は優しいけどねー」
「ほんと。似てないよねあの双子」
「クラスメイトの顔も名前も覚えてないってのはさすがにありえないよねっ」
「ねー! 日直一緒になったときとか雰囲気も怖いしすっごく話しかけづらいっ!」
どうしてか水希くんの悪口合戦に発展してしまった。
水希くんはすでに部活の方の出店に向かってしまったからここにはいない。それが余計彼女たちを多弁にするみたいだ。
彼女たちの言う水希くんの印象というのも間違いじゃないからわたしも強く否定ができない。でも、でも彼にも優しい一面があるんだよっていうのを知って欲しいのだ。
……。伝えればいい。わたしの悪いところだ。いつも胸の中だけで完結してしまって、わかってほしいって思うだけだと意味がない。
ぐと拳を握る。
「多分さ、橘って高橋さんのこと好きなんじゃない?」
「え?!」
「だって橘、高橋さんにだけは優しいじゃん。顔も名前も覚えてるし、高橋さんになら挨拶もするし」
なんて言うつもりだったのか一瞬で忘れてしまった。
わ、わたしにだけ、て。……そんなことはないと思う。水希くん、水泳部の後輩の話をするときとか優しいを顔しているし。
「そんなこと……」
「本人に聞いた方が早いよ。実際どうなの? 橘」
ん? なんで水希くんを呼んでるんだろう。彼はもう水泳部の出し物の方に向かったのに。
不思議に思って後ろを向く。
と、そこには予想外の人物というか。クラスメイトが呼んだその人がいて。思わず大きな声を出してしまった。
「! 水希くんっ。なんで?」
「これ。忘れてたから」
水希くんが手に掴んでいるのはネクタイ。確かたこ焼きを焼くときに、カッターシャツを脱いで内に着ていたTシャツ姿になるために外してたっけ。
忘れ物を取りに来たからここにいる。のか。そっか。
水希くんはわたしたちに少しも興味がなさそう。どことなく不機嫌で、心なしか早々にこの場から去りたいように見える。
いつから。どこまで、聞いていたんだろう。
クラスメイトが問う分には、わたしに好意があるのかどうかという話からはここにいたみたいだけど、もしかすると悪口も聞いていたかもしれない。
後ろめたさがある。彼を悪く言うのを、わたしは黙って聞いていた。嫌なやつだと、思われたかな、……だから水希くん、苛立った様子でいるんだろうか。
去ろうとした水希くんの前にクラスメイトは回り込んだ。
「橘さあ、さっきの話聞いてたんでしょ? 教えてよ。橘って高橋さんのこと好きなの?」
「……」
もうその話はやめようと言わずただただ水希くんがクラスメイトを睥睨するのを見ているのは、彼の不機嫌な様に飲み込まれたから、というのが大部分であっても、彼の答えを気にする自分がいたからかもしれない。
別の方向へ、さっと背中を向けていなくなろうとする様子をぼんやり見ていたら、「ちょっと橘!」と女の子が声を荒げ、剰え水希くんの腕を乱暴に握った。
「答えてよっ」
「しつこい」
「!」
「答えたら俺になんかメリットあるわけ」
「……っ」
憤懣を隠しもしないその声は、その目は、いとも容易くクラスメイトの手を離させ、クラスメイトから声を奪った。
ゆっくり引き下がる腕を煩わしそうに見送って、今度こそ水希くんがこの場を去る。
周りは賑わっているのに、わたしたちはやけに静かでいた。
「……性格悪っ! あんなふうに言わなくていいじゃん!」
クラスメイトが開口一番に口にしたのは不満だ。「高橋さんが言うから話しかけてみたけど、やっぱりあいつサイテーじゃん!」とまで続いた言葉に下唇を噛んだ。
彼のあんな態度は彼自身そこまで嫌悪をむき出しているつもりはなくて。素であれだから、慣れるしかない。……。わかってはいても。
……怖いと。正直に、水希くんを恐ろしく感じた。
でもその恐怖は果たして、彼が怖い人だとされる所以である思いやりのない態度を改めて目前としたからか。
本当の恐怖は、彼に嫌われたかもしれないと、その思いからだったのではないだろうか。
涙腺が緩む。
彼とたくさん接してきた今までが、たこ焼きを半分こしてくれた彼が、遠い。遠い昔の話みたい。
「あのー。たこ焼きくださーい」
「! はいっ」
お客さんの声に弾かれたクラスメイトにそっと背中を向けた。
このあと友だちと合流するなんて考えられないのに、ポケットからスマホを取り出す気にもなれない。何も言わずにすっぽかしてしまいたい。友だちは優しい人たちばかりだから、きっと、怒りはしない。
……、水希くんも、怒らなかった。わたしを水泳部の輪に誘ってくれた彼を丸一日待たせて、しかも約束は破ったのに、彼は、一言もわたしを責めなかった。
……。
変なこと……巻き込んでごめんねって。謝りたい。水希くんは基本人に興味がないから、きっと明日になれば今日のことを忘れたみたいにわたしと接してくれると思う。でもそれじゃあわたしがモヤモヤしたままだ。
ということは……自己満足のため、だけど。
大きく深呼吸。
雑踏の中を掻き分ける。
水泳部の出店、どこでやるのか聞いておけばよかった。
水希くん。どこだろう?
岩鳶の制服の子、他校の制服の子、私服の子、年下、年上、女、男……。見つからない。
目頭が熱い。
夜まで待てば片付けになって、一度クラスで集まるからその時に会える。でもそれじゃダメだ。今、会いたい。
「頼むっ! マジお願い、手伝って!」
「イヤだ。水泳部の方いかないといけないし。俺は忙しい」
「水泳部は他にメンツいるだろ? だから頼むって! 俺の相棒すっぽかしやがったんだよっ!」
「知らないよ。おまえも運がなかったな」
「ほんと無慈悲だよな!」
聞こえた声に足が止まった。
意図せずとも肩が上下する。ずいぶん夢中で走ってたみたいだ。
水希くんの声がした。それと、もう一人も聞き覚えがある。
周りに不思議がられるのも気にせずあたりを探す。と、お好み焼きの屋台前に、見つけた。
「無慈悲ってわかってるなら頼むなよ」
水希くんの進路を阻む彼の黒いシャツには“一球入魂”と白い筆字でデカデカと書かれている。野球部のシャツだ。
両腕を掴んで水希くんにすがる彼は、同じクラスの欅田くんだ。
よく水希くんに絡んで鬱陶しがられている姿を見たことがある。
「ああよくわかってるさ。水希はツンデレだから、口ではそう言いつつも……」
「殺すぞ。……ん」
「!」
目があった。
水希くんは数回瞬きして、顰蹙する。
それは嫌悪の表れでないのだと知っていても、怖気づいてしまう。
「高橋さん」と水希くんがわたしを呼んだ。その声があまりにいつも通りなので変な汗が手のひらに浮き上がる。
拳を握る。
「あ、あの。水希くん、……」
「なに」
「! う、あ……えっと」
水希くん、声に抑揚がないから余計……。うう。
「……。欅田、ちょっと離して」
「? おう」
わたしと水希くんとを怪訝な眼差しで見比べた欅田くん。腕を解放してもなお、彼に背を向けた水希くんを目で追い続けている。
こちらに迫ってくる水希くんに逃げ出したくなる。が、後ずさりしても彼の方が歩幅が大きく足も長いわけで、すぐに距離を詰められてしまった。
会話のできる距離になった。
「なに?」
びくびくするわたしを気にかけたのか、水希くんが声音に気を遣った。
水希くんに気を遣わせているという事実に顔が熱くなる。わたしは、彼に謝りに来たのに。どうして彼からお膳立てしてもらわなければ動けないのだろう。
自分が情けない。でも、これ以上黙っていればもっと気を遣わせてしまう。
「……あの、さっきはごめんね。変な話巻き込んじゃったし、その、水希くんの悪口も……言い返さなくて」
「……。はあ。やっぱりね。謝りに来ると思った」
「えっ?」
ため息を裏切らず、水希くんは肩までも竦めている。
表情は弱っている。なにか、きまり悪そうだけど……どうして水希くんがそんな様子を見せるんだろう。彼、別になにも悪いことなんかしてないのに。
「えっと……」
「さっきの。怒ってないよ。面倒くさいとは思ったけど。あと、悪口てのもあれ事実だし、ムカつきもしなければ言い返す言葉もないっていうか……」
「……」
「改めて自分の性格を指摘されただけ、て感じ?」
小首を傾げる水希くん。
……すごく、拍子抜けだ。いつも通りに話せていることももちろんだけど、水希くんが本当に少しも気にかけた様子を見せないから、わたしばっかり激情に駆られていたのがずいぶんきている。
「……水希くん」
「ん?」
「あ、……その。わたしのこと、嫌いになってない?」
「は。なにそれ」
かなりのしかめっ面になった水希くんは、反して目が優しい。
答えは自ずと出てきて、やっぱりいいやと首を振る。
水希くんはわたしを不思議そうに見下ろしている。
「……そういや気にしてたんだっけ?」
「なにを?」
「俺が高橋さんのこと好きかどうかって話」
「えっ! ああ! うん……」
ほ、掘り返すのっ? その話!
水希くん自身、面倒くさい、と位置付けたその話題をまさか再び持ち出されるとは思わない。変な返事をしてしまった。
「高橋さん、聞きたい、て顔してたよ」
「え。え、と……うん……」
「さっきはそうでもなかったのに今は恥ずかしがるんだ?」
「うっ……! あ、当たり前だよっ。まさか今その話、されるなんて思わないし……」
「ふうん」
「! ……、……」
「俺、高橋さんのこと好きだよ」
「…………? んっ?」
んっ?!
今、なんてない顔で水希くん、何をっ?!
喫驚してるのはわたしだけじゃない。欅田くんとの距離はそこまで開いていないので、彼にも聞こえていたらしく、水希くんの後ろですっごい顔をしてる。
わ、わ、わたしの聞き間違いじゃないってことっ?
あ、……あつい! 顔っ。顔があつい!
水希くんを直視できない。
「俺さ、女子に話しかけられるときって大体喧嘩売られるかああいう面倒くさい話題に巻き込まれるかのどっちかなんだけど」
(け、喧嘩??)
「あんたは違っただろ。……絆創膏? 俺とそんなに仲良くないのに気にかけてくれたよな」
絆創膏、絆創膏……、あ。そっか。
わたしが思い切って水希くんに話しかけた日のことを、彼は覚えてくれていたんだ。
「俺と違って真っ直ぐに人を思いやれる、高橋さんのそういうところ好きだよ」
ぽん、と頭にのったものが水希くんの手なのだと理解するころには、わたしの頭を数回撫でたそれは離れてしまっていた。
「あんた少し真琴に似てるんだよな」
「……っ」
「あんまり優しすぎて面倒ごと押し付けられるなよ。じゃあね」
これまた、見上げるころには水希くんの背中しか見えず、彼がどんな顔でそんなことを言ったのかわからなかった。
言いたいことだけ言った水希くんは、温泉で火照ったようなわたしと、言葉を失って呆然としている欅田くんとを置いていなくなってしまった。
賑わいが少しずつ戻ってくる。わたしたちが切り離していたのか、あちらが離れていたのか。
「あーっ!! くそっ、水希のやつどさくさに紛れて逃げやがった!」
「!」
「俺の前で女子を口説き倒して……あんの天然タラシっ!」
「ええっ!」
水希くんがいなくなった途端に爆発する様子は完全にデジャヴだ。
し、しかも口説き倒すって。たっ確かに好きとは言われたけどっ。水希くんの好きは、欅田くんが言うのとは意味の違うものだった。……言われてドキドキしなかった、ってわけじゃないけど。……うう、思い出すとなんか悔しい。水希くん、しれっとした顔でとんでもないことを言う人だ。あれって無自覚なのかな?
欅田くんは、天然タラシって……。……そうかも。
ぱたぱたと手で顔を仰ぐ。
と、急に欅田くんがこちらを向く。あまりに強い目力に奇声をあげそうだった。
「高橋さん! 水希の代わりにお好み焼き手伝ってくれ!」
「えっいやですっ!」
欅田くんの勢いに乗せられて勢いよく答えてしまった。自分でもこんな即答をしたのは初めてだ。しかも拒否。
欅田くん、項垂れてしまった。