どうしたものか……。
 卓上に転がった3つの丸を見つめながら、ヴァレリアンは再三浮かぶ問いをもう一度思い直す。
 どうしたものか……。
 赤、黄、緑。それぞれイチゴ、レモン、メロンなのだと言っていた。小さな子供が食べるには少し大きなその飴は、周りに砂糖がまぶしてあって、磨き途中の宝石にも見える。綺麗だな。ヴァレリアンの純粋な感想はこれに尽きる。
 ただ、「はい。どうぞ」と、余計な一言が添えられているから、純粋な感想以外の悩みが出てくるのだ。「ヴァレリアンくんにあげるね。これがイチゴ味で、これがレモン味で――」
 今朝、ヴァレリアンが冒険者ギルドに仕事を探しにやってきたときのことだ。見慣れた姿があるなと気づくや否や、男、エアハルトはやけに上機嫌でヴァレリアンに寄ってきた。エアハルトとは、いつの間にかヴァレリアンに懐いてきたヴァレリアンと同じミコッテ族の男である。
「こんにちは」とニコニコしながら挨拶してくるのでヴァレリアンも返事をする他ない。「どうも……」とあからさまに無愛想な返事の何が嬉しいのか、エアハルトは元々緩んでいた頬をさらに緩めた。
「ヴァレリアンくん、久しぶり。元気にしてた?」
「三日前に会いましたよ」
「えへへ……」
 照れたように頬をかくのは、誤魔化しなのか羞恥なのか。はたまた単にヴァレリアンからの反応があって嬉しそうにしているだけのようにもみえる。
 ヴァレリアンはエアハルトが苦手だ。この男、まず距離が近い。遠回しの嫌味というか、あなたとは距離を置きたいです、というサインを全く理解しない。ヴァレリアンが多少声を固くして「あの」と牽制を入れてみても、「うん?」とヘラヘラ笑うだけ。周囲に花を散らして、ぽやぽやふわふわと緊張感が全くない。
 あまりに能天気すぎて、同じレベルになってまで拒絶することが馬鹿らしくなった。ヴァレリアンが苦手ながらにエアハルトと付き合ってやっているのはそれだけの理由だ。
「一昨日から今朝まで、里帰りしててね」
 ヴァレリアンが何も言わなくてもエアハルトは勝手に語り始める。そうですか。はい。ふうん。そんな適当な相槌を打たれても楽しそうに話している。ある種この男は自己中心的なのかもしれない。ヴァレリアンの目をたまに見つめては眉を八の字にさげるエアハルトに気の抜けた相槌を打ちながら、ヴァレリアンは胸に思った。
「そのときに買ったんだ。ヴァレリアンくんにって思って」
「そうですか。……?」
「手貸して」
 はいはい。当たり障りなく頷いていたらいつの間にか両手を握られていた。勝手に上向きに伸ばされた手のひらは、ものを受け取る器の形。えっちょっと、なんですか。そんな言葉を吐いて手を引っ込めようとしたけれど、ヴァレリアンの口から「えっ」と音が出るときには既に手のひらにころころ。
「はい。どうぞ」
 透明なビニルで包装された飴が3つ転がっていた。
「おれ、この飴小さい頃大好きでね。故郷に帰ったときにいつも行ってた駄菓子屋さんがあいてて……お孫さんがお店継いだんだって。懐かしくなって、買っちゃった」
「……」
「ヴァレリアンくんにあげるね。これがイチゴ味で、これがレモン味で……こっちがメロン味。綺麗でしょ」
 また聞いてもいないことを勝手に語っている。ヴァレリアンの手のひらに転がった飴を一つ一つ指さしながら説明してくるエアハルトをよそに、ヴァレリアンは呆れていた。
「あの」
「エアハルト!」
「あ。おれ行かなきゃ! またね、ヴァレリアンくん」
 いりません。簡素な一言と共に突き返そうと、握った3つの飴玉はヴァレリアンの拳の中に収まったままだ。
 呆気なくヴァレリアンに背中を見せて駆け出して行ったエアハルトは、彼を呼んだガタイのいい男に、タンクがいないと始まらないなどと小言を言われながら小突かれている。大方なにかしらの探索に行くパーティメンバーのひとりなのだろう。男は、時間になっても来ないエアハルトに痺れを切らして声をかけに来たらしい。
 小突かれてよろめいた背中は徐々に小さくなっていく。ヴァレリアンはただ呆然とその姿を見送った。
 タンクがいないと始まらないと言っていた。あの大男ではなくエアハルトがタンクを務めるというのか。ではあの大男は何をするんだ。柄にもなく投擲武器でも持っているのか――。
「!」
 ハッとした。慌てて拳を広げる。飴が3つそこにある。
 はいどうぞ。と言っていた。即ちヴァレリアンにあげる、という意味である。
 いりません。ヴァレリアンの答えは拒絶である。こんな得体の知れないもの。信用すらしていない男から渡された、何が仕込まれているのかわからない菓子など、いるはずがなかった。だからその場で返そうとしたのだ。いりません。気持ちだけで結構です。しっかり言葉でも否定して、ちょっと突けばよろめきそうな胸板に飴玉を握った拳をぶつけてやろうと思ったのだ。
 なのにタイミングよくエアハルトは去っていった。完全に出遅れた。ヴァレリアンからしてみればタイミングが悪い。遅れてふつふつと胸に浮かぶのはなんとも言えない不快感である。なんだか仕事を受ける気も失せた。ヴァレリアンは大きなため息をつく。建物の外に出て軒先に設置された椅子に腰かけた。
 握りっぱなしにしていた飴を机の上に転がした。ピンと張っていたビニルの包装は、くしゃりと歪んでいる。赤、黄、緑。飴にまぶされた砂糖がきらきらと日差しを反射させる。綺麗だ。いかにも子供が喜びそうな見た目じゃないか。
「……」
 ふわふわとだらしない顔をしたエアハルトを思い起こす。――いかにも、好きそうな菓子じゃないか。
 ヴァレリアンは胸に溜まった空気を吐き出した。深いため息だ。またあの男に振り回された、と思う。いつもそうだ。あの男、エアハルトはヴァレリアンの聞いてもいないことを嬉々として語っては、ヴァレリアンの思わぬ方向に舵を切ってヴァレリアンを困らせる。
 ペースを乱される。だからあの男が嫌なのだ。
 この飴は捨ててしまえばいい。袋に開かれた痕跡はないが、目を凝らしても見えないような穴が空いていてなにか仕込まれているかもしれない。そもそも先に毒入りのものを仕上げて、綺麗にラッピングしたのかもしれない。考えればキリがないほどに怪しい。
 はっきりと言ってやればいい。こんなものはいりません。俺に構わないでください。付き纏わないでください。ひどく、迷惑です。鬱陶しいです。……。
「ヴァレリアンくん」
 ヴァレリアンは飴に向けていた視線をそっとあげた。そばには誰もいない。たまに往来する人影も、依頼を受けに来たであろう冒険者ばかりで、知った姿はない。ただ思いのほか長い間悩んでいたようで、日の高さが変わっていた。
 呼ばれたような気がしたが、どうやら呼ばれすぎて幻聴を聞いてしまったらしかった。あまり人と関わらないようにしているのに、あの男だけは顔を合わせるたびにしつこくヴァレリアンの名前を呼んでくる。幻聴も聞こえるはずだ。ヴァレリアンは3度目の大息をついて、視線を落とした。
 明日も会うのだろうか。
 ヴァレリアンは転がった飴を指先で弾く。
 会ったら、エアハルトは絶対に感想を求めてくる。「こんにちは。ヴァレリアンくん。飴、美味しかった?」と。ふにゃふにゃと口元を弛めて聞いてくる様は想像に易い。想像の中で声まで完璧に再現できる。やはり、構われすぎているのだ。
「ええ、こんにちは。悪くはなかったです。でも、俺はあまり甘いものが得意じゃないので今後は必要ないです」
 完璧な答えだ。これならエアハルトも、そっか、の一言で納得するだろう。しかも今後似たような駄菓子を持ってくることはないオプションつきだ。知らぬうちに送られてくるダイレクトメッセージを、必要なしとチェックを外してやるぐらい快適な事だ。
 ヴァレリアンが得体の知れない飴を食べる必要も無い。エアハルトはヴァレリアンが飴を捨てたとも知らず、悪くなかったです、の一言にニコニコとしているのだろう。
 完璧だ。
 非の打ち所がないスマートな対応だ。
 ――そのはず。なの、だが。
 ヴァレリアンは弾いてほかの2つとはぐれていた飴を摘んで、3つ集まるように並べた。
 なんだろうか。この、罪悪感。別に捨ててしまっていいじゃないかと思っているのに、捨てることができないこの矛盾。飴を捨ててしまえば、エアハルトが悲しむような気がした。捨てたと知れば、もう自分には話しかけてこないとも思った。
「お兄ちゃん」
「……、わっ」
 急にテーブルの反対に頭が生えた。思わず声が上がったが、ヴァレリアンを驚かせた犯人である幼子は悪びれる様子もなければ、ヴァレリアンに興味もないらしい。彼女がじっと見つめるのは、3つの宝石である。
「それ、ずっと見てる。いらないの?」
「……」
「いらないなら、ちょうだい」
 女の子の狙いはヴァレリアンを悩ませている飴玉のようだ。ヴァレリアンは子供に向けた視線を飴に向けて、また子供を見た。
 ずっと見てる、だと?
 この子供、いつから自分を見ていたんだ。しかもなんて図々しい子供だろうか。赤の他人のものを欲しがるなど、厚かましい。いかにも子供だ。礼儀知らずの、恥知らず。もちろんくれてやる、こんなもの。子供にぴったりだ。
「ねえ」
「…………あげませんよ」
「あっ!」
 女の子の小さな手のひらは、飴に届く寸前だった。
 パラパラと落とされたビニルの包装と、もぐもぐと動くヴァレリアンの口を見て、女の子はもう一度声を上げる。
「あーっ!」
 きんきんと耳を劈く大声だ。
 思わずヴァレリアンが顰め面をすると、イジワル! とまたひとつ怒鳴ってふくれっ面をした子供が駆け出していく。
 なにが意地悪だ。大体これは俺のものですよ。小さくなっていく背中にヴァレリアンは鼻を鳴らし、口に頬張った3つの飴を転がす。大ぶりの飴玉のおかげで、喋る余裕はない。
 イチゴ、レモン、メロンだと言っていた。
 一気に食べると元も子もない。
「ヴァレリアンくん」
「……」
 近寄ってくる姿は見えていたので驚かない。少し頬を汚したエアハルトが、頬をモコモコと膨らませるヴァレリアンを不思議そうに見下ろしている。
「ヴァレリアンくん?」
「甘いです」
「?」
「飴。今度はレモンだけでいいです」
 ヴァレリアンは一時的に頬袋に避難させた飴玉をまた舌の上に転がした。イチゴとメロンはとにかく甘いのだ。さすが砂糖に砂糖を重ねただけある。甘ったるい。
 もごもごと動くヴァレリアンの口と、短な発言から話を理解したのだろう。エアハルトは汚れた頬を軽く拭って、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「うん。わかった」
「……」
「さっきまでね、宝探ししてたんだけど――」
 また聞いてもないことを語り出した。ニコニコと話すエアハルトに、ヴァレリアンはふぅんと鼻を鳴らして応答する。
 隣座ったらどうですか。
 その一言をかけるのはなんだか癪だったので、突っ立って話すエアハルトに対してヴァレリアンは胸中思うだけにした。