優しくして、と普段生意気な相手から下手に出られて、果たして優しくしてやれるのかと問われると自信はない。しかしヴァレリーはできる限り理性を保ち、乱暴なことをしないようにと努めている。
「は……、ふぅー……」
「ん……」
「顎、疲れた……」
 ジグルフは口を離してそう呟くと、濡れた上唇を舐めながら、片手でヴァレリーのものをぐにぐにと扱く。しばらく口で奉仕していたけれど、ヴァレリーは吐息こそ漏らせどなかなか射精に至らない。根気比べをしていたつもりはないがジグルフの方が音をあげた。
「フェラでイかせるのはまだまだ難しそうですねえ」
「……ヴァレリーが遅漏なんだよ」
「よく言われます」
 ヴァレリーはニコリと笑った。
「……」
 ジグルフは彼をムッと睨みつけ、太腿を軽く抓った。
「いてっ」
「なにが”よく”だ。クソビッチ」
「はっ!?」
 忌々しそうにジグルフから言われ、さすがのヴァレリーも面食らった。
「クソビッチって……」
「ヤリチン」
「……」
 これは多分、ある限りの悪口を言ってくるパターンだ。ヴァレリーは小さくため息をついて「性交の経験はありますけどそんな節操なしじゃないですよ」と返してジグルフの耳を擽る。
 機嫌悪そうなのは嫉妬しているからなのだろう。さっきの罵りも、ヴァレリーが他の相手との性交渉をほのめかせから、妬んで言ってきたのだ。それが察せて、ヴァレリーは少し気分が良かった。
「ジグって俺のこと大好きですよね」
「また呼んだ」
「へ?」
「たまにヴァレリー、俺のことジグって呼ぶよね」
「えっ。あれ……そうですっけ?」
「俺のこと大好きだね」
「……」
 形勢逆転である。にこにこと愉快そうに口角を上げているジグルフからそっと目を逸らし、完全に無意識だったとヴァレリーは額を打った。
 悪いことをしたわけではないが、知らないうちに愛称で呼んでいたとは。なんだか気恥しい。
「……ていうか。口疲れたんじゃなかったんです? 元気そうならもう一回咥えてもらいましょうか」
「……。顎外れそうだからもうやだ」
「うーん。ちょっとショック」
「デカいのが悪い」
 ジグルフは手のひらで揉むように遊んでいたそれの横側をべろりと舐め上げ、先端に軽くキスをした。
「どうやったらこんなデカくなんの?」
「そんなに褒めんでください」
「……褒めてはない」
「じゃ。たくさん舐めてもらったから今度は俺がジグのこと気持ちよくしてあげますね」
 ヴァレリーはジグルフの体を抱き寄せた。ぐんと近寄った顔同士。
「さっきまで舐めてたけどいいの?」
「いいですよ。そんなこと気にしません」
 意外な気遣いにヴァレリーはほんの少し笑ってジグルフと口を合わせた。ちゅ、ちゅと軽いリップノイズ。どちらのものともとれない吐息が漏れる。
 ヴァレリーはこっそり瞼を持ち上げた。
「……」
 キスのときが一番嬉しそうだ。ジグルフの緩んだ口角を見てヴァレリーはそう思った。


 ジグルフはふっと意識を浮上させた。トントンと優しいリズムで背中を叩かれている。それから、穏やかなテノールが子守唄のようなものを歌っていた。
「……」
「あ。起きました?」
 歌が止まる。小さく身動ぎしたジグルフは軽く深呼吸をした。
「……どれぐらい寝てた?」
「10分程度ですかね? 糸が切れたみたいに気絶したから少し心配しましたけど、可愛い寝顔でしたよ」
「……」
 おめーのせいだろ。とは口に出さなかったがジグルフの不服そうな顔にはそう書いてあった。
「結腸抜かれたらすぐ気絶するんだから案外堪え性ないですよね。ジグって」
「普通そんなとこにぶっとい棒とか突っ込まれないんだよ。いきなり鳩尾殴られるの想像してくれる? 息できないよね? そんぐらいやばい」
「はいはい。水飲みます?」
「カフェオレがいい」
「仰せのままに」
 ヴァレリーはくしゃりとジグルフの頭を撫でてベッドから出ていった。下着だけはジグルフが気を失ってる間に履き直していたようだ。
 自分ばっかり服を着やがってと思いつつも、素肌で触れる寝具というのもなかなか気持ちのいいもの。ジグルフは布団を軽く引き寄せて胸いっぱいに息を吸い込んだ。
 優しい匂い。何かと思えばヴァレリーが脱いだシャツだ。ベッドで脱ぎ散らかしたから布団に巻き込まれていたらしい。
「……」
 シャツをぎゅうと抱きしめて呼吸を繰り返す。
 この匂いが好きだ。雨の日だったのに、湿気臭さを少しも感じさせなかった、太陽みたいな匂い。
 カランと氷が音をたてた。
「あんまり可愛いことしないでくれます?」
「……」
 ヴァレリーがカフェオレを入れたグラスを片手に戻ってきたようだ。
 シャツを嗅いでいる現場を目撃されたけれどもジグルフに焦りはない。「いい匂い」と本人の前で呟いてもう一呼吸する余裕さえある。
「そういうことされると襲いそうなんですけど……」
「我慢しろ」
「鬼だなぁ……。ほら、カフェオレ持ってきましたよ。冷たい方がいいかと思って氷も入れてみました」
「ありがとう」
 ジグルフは徐に上体を起こしヴァレリーからグラスを受け取った。その拍子に、シャツは没収されてしまった。
「ちょっと」
「またやられたら容赦なく結腸抜く自信あります」
「……。ふん」
 二度目の気絶が簡単に思い描けた。天秤にかけられたお日様の匂いと、臓器を押し上げられる気持ち悪さとでは、後者の回避が勝った。つまるところシャツ奪還は諦めた。ジグルフはヴァレリーにふんと鼻を鳴らして、もらったグラスを口に寄せた。
 ほのかな甘み。優しい味だ。
「なんだかんだジグってセックス慣れしてないんですね」
「…………。慣れてないっていうか、そんなクソバカサイズの凶器女でもつらいと思う」
「えー?」
「それに俺は、好きな人とするセックスってヴァレリーが初めてだし。慣れないよ」
「……」
「うわっ。乗り上げてくるな!」
 急に跨ってきたヴァレリーを、ジグルフは両足で押し返す。
 グラスの中身が大きく揺れた。危うく、零れるところであった。
「いや今の完全に誘ってましたよね?」
「誘ってない!」
「俺ちょっと限界かもしれないです」
 ジグルフは一瞬だけヴァレリーの下腹部へと視線を落として現状を把握すると、そっぽを向いてため息をついた。
「なんか萎えることでも考えろよ、ばか……。さすがに規格外に連続で付き合ってたらケツ壊れるって」
「もうちょい言い方ありません?」
「ない」
「でも好きな人を前に萎えるって難しいですよね」
「……、……」
「とりあえず素数でも数えます」
 ス、と身を引いたヴァレリーは、宣言通りブツブツと小さな声で数を数え始めた。
 声に出して数えるのか、とほんの少し呆れつつ。それで多少落ち着いてくれるなら譲歩せねばなるまい。ジグルフは冷たいカフェオレをもう一度口にする。
「……今日のやつおいしい」
「79、はちじゅうさ……えっ。本当ですか?」
「うん」
「よかった。今日は市販のやつじゃなくて、俺が作ったんです」
「……」
「て言っても、コーヒーとミルクを混ぜただけなんですけどね。俺もアイスコーヒー飲もうと思って。はは」
「……そう」
 グラスにある分を全部飲みほした。
 溶けきらなかった氷だけがそこには残った。
「おかわり作って」
「え。眠れなくなりません?」
「作って」
「……はい」
 ずいっとグラスを胸元に突きつけられてしまっては受け取る他ない。
 まるでおやつを買ってとダダをこねる子どものような強情さを感じた。ヴァレリーは呆れたように笑ってまたキッチンへ戻る。
「……気に入ってもらえたのは嬉しいですね」
 一人ぽつりと呟いた。
 今までだって作った料理なんかをおいしいと褒められたことは多々あったけれど。初めて言われたような気分だ。いや、初めて言われたのか。ジグルフには。
「……はぁ」
 好きな人だから慣れない。ジグルフがそう言っていたのを思い出した。
 今日のカフェオレがおいしいと零したジグルフの緩んだ口元。胸に広がったじんわりと暖かい熱。
 まあちょっとわかるかもしれない。好きな人に認められるとは、慣れないものだ。