ほんの少しベッドの沈む感覚がしてヴァレリーの意識がふんわり浮上した。なにやら自分以外が布団にいてさわさわと肌をまさぐっているらしかった。ヴァレリーは夢見心地であった。急に布団に潜り込んできて、ヴァレリーの体を触っている相手がジグルフだというのは不思議とすぐに理解したので、驚きや焦りはない。あの子でも夜這いなんてことするんだなあと思いながら好きにさせていた。
うとうと。半分夢の中にいながら皮膚に伝わる体温を追う。服を脱がせて勝手に致すのかななんてことをぼんやり思っているうちに、ヴァレリーはまた眠ってしまった。
ヴァレリーが朝改めて目を覚ますと布団には一人だった。ジグルフの方は彼の個室のベッドですーすーと寝息を立てて眠っていた。ヴァレリーも特に体に異変を感じることはないし、昨日のは夢だったのかななんて思いつつ寝ているジグルフの頭を撫でてやった。
そしてまた別の夜のことだ。
ヴァレリーは自分以外の体温を感じてすっと目を覚ました。今度は夢見心地なんかじゃなく、ちょうど眠りが浅いタイミングだったので意識がはっきりとしていた。
やっぱり夜這いしてる。ヴァレリーは薄暗い部屋の中で、ほんの少しだけ呆れたようにジグルフを見た。
さわさわとわき腹をくすぐるのをやめたジグルフが、ヴァレリーの様子を伺ってきたのでヴァレリーは咄嗟に目を瞑った。
「……」
起きているのはばれていないらしい。今度はジグルフもベッドに横になった。
横向きに眠るヴァレリーの懐に、すっぽり収まるようにもぞもぞと位置を調整して、ヴァレリーの腕を自分の腹に回すとすっかり満足したようだった。丸くなっているくせに、尻尾はヴァレリーの足にくるくるとまいて、小さく笑うのが聞こえた。
「へへ……」
何やらとても嬉しそうだ。
ジグルフはヴァレリーの手の甲に自分の手のひらを重ねて、軽く握ってみたり、撫でてみたり、手遊びしている。くすぐったくて声が出そうだ。ヴァレリーはぐっと耐え続ける。
「ヴァレリー」
小さな囁き声だ。思わず返事をしそうだったのも堪えて、すうすうと規則正しく寝息を続ける。ほんの少しの間をおいて、囁き声は続いた。
「……大好き」
ジグルフは日の出の少し前にヴァレリーの腕の中から出て行って、自分の部屋に戻っていった。夜這い、なんて言っていたがそういう類のものは一切なく、ジグルフはヴァレリーの布団に潜り込んで一緒に眠るだけだった。
ヴァレリーはその日寝不足であった。目の下にうっすらクマを作って、スッキリしない頭で朝食を作っていた。パンケーキとカフェオレ。たまには違うものも作ろうかと提案したのだけれど、朝はこれがいいとジグルフが譲らないのでいつものメニューをヴァレリーは用意している。
ジグルフの代わりに起きてきたハリネズミがきゅうきゅうとご機嫌に鳴きながら日光浴をしている。つやつやの毛並みは朝日を眩しく反射させていた。
パンケーキがちょうど焼けたころに、ぺたぺたとフローリングを素足で歩く足音。
「おはよ」
「……おはようございます」
「いい匂い」
ヴァレリーの手元をじっと眺めたジグルフは、覚めきらない瞳のままふらふらとソファの方へ歩いて行った。
パンケーキを皿に移し、火を消し、ヴァレリーはゆっくりとジグルフの方を向く。ソファに置いてあったタオルケットをかぶってもうひと眠りしようとしているのをハリネズミに叱られているようだった。
いつも通りだ。いつもああやって、ジグルフは二度寝しようとするのを使い魔に止められている。そう。いつも通りなのだ。
ヴァレリーは大きなため息をついた。自分の寝不足の原因である夜のことなんて嘘だったかのような態度だ。布団に潜り込んできて、体をくっつけて、愛おしそうにヴァレリーを呼んでいたことがばれていないと思っているのだ。
いつからの日課だったのだろう。わざわざヴァレリーが眠った後から部屋にやってきて、一緒に夜眠るのは。
一緒に眠りたいのならそう言えばいいのに一言も言ってこないのはジグルフの性格を考えると納得はできる。あれはプライドが高いので、絶対そういう甘え方をしてくるものではない。
「ジグルフ」
「んー……」
「パンケーキ焼けましたよ」
「うん……」
ジグルフがタオルケットをまくって体を起こした。
ぽむぽむとジグルフの体の上で跳ねていたハリネズミは、やっと起きる意思を見せた主人に安心したのか、ふわふわと浮いてヴァレリーの肩にのる。それからスンスンと鼻を鳴らすので、「君のもありますよ」とヴァレリーが声をかけてやるときゅ! と高い声で嬉しそうに鳴いた。
ヴァレリーはダイニングに料理を並べ、さっきよりは安定した足取りをしているジグルフを迎える。どうぞ、と椅子をひいてやるのはいつの間にか癖になっていた。
「蜂蜜」
「はいはい」
ん。と延ばされた手に蜂蜜の入った瓶を渡してやる。その時に指先同士が触れて、ヴァレリーは反射的にパッと腕を引いた。
「? なに」
「あ。いえ……」
夜中あなたが自分の手で遊んでいたのを思い出しました、と言ってやってもよかったがそれを言うとジグルフが布団に入ってこなくなるような気もして黙ってしまった。
ジグルフは不思議そうにヴァレリーを見つめていたが「蜂蜜ありがと」と礼を言うと、早速パンケーキの上にそれを垂らし、大きめのフォークで柔らかなスポンジを一口サイズに切り始めた。
「……」
蜂蜜をかけたパンケーキと、牛乳多めのカフェオレ。意外と子ども舌である。
ヴァレリーが一度お互いにブラックコーヒーを置いたときは眉間に思いっきり皺を寄せてマグを睨みつけていた。……子ども舌。子ども。子ども……。そう思うと夜中に布団に潜り込んできて、ヴァレリーに抱きしめてもらっていたジグルフは幼い子どものようであった気もする。
ジグルフって案外こどもなんだよなあ。ヴァレリーはぼんやりと思いながらコーヒーを一口飲んだ。
その日のヴァレリーの夜は早かった。なにしろ寝不足である。ジグルフがハリネズミのブラッシングをしているときには意識が朦朧としていて、それでも夜分の家事をしなければとうろついているところを、皿洗いは自分がするからとジグルフに尻を蹴られながら寝室に押し込まれた。
ベッドに倒れこんでからは一瞬だ。抵抗する間もなく眠ってしまった。多分眠ったのは21時になる前だった。そんなヴァレリーはそれから5時間ほどたった深夜2時ごろ。ふと目が覚めたのだ。
うごうごと背中に気配。腹に巻き付いた細い腕。絡められた長い脚。すりすりと背中に頬を寄せるそれは今日もヴァレリーの布団に潜り込んでいたらしい。
ぎゅうと強く抱き着いたかと思えば深く息を吸ってゆっくりと吐き出している。「はあ」と聞こえたため息はなんだか満たされているようだ。
「リー」
「……」
「大好き」
ヴァレリーはどきりとした。愛称で呼ばれたのは初めてだった。思わず耳がピコピコと動いたが、ジグルフの方はそれに気づいていないようだ。背中に頬ずりを続け、ヴァレリーのうなじに唇を寄せると、ちゅ、ちゅと短い間隔で肌を啄むように口づけ始めた。
今までで一番攻めた彼からのスキンシップだ。バクバクと心臓がうるさくなる。もしかすると今回のこれは本気の夜這いなのではないか。このまま放っておくと襲われるのかもしれない。ヴァレリーの心に緊張が走った。
歯を立てずに唇でヴァレリーの首を噛んでいるジグルフは、徐にちろりとヴァレリーのうなじをなめて、ヴァレリーの腹に回していた手をごそごそ動かす。
「へへ……」
嬉しそうな笑い声だ。
ヴァレリーの手と自分の手を繋いだジグルフは少し身じろぎすると、それ以上はヴァレリーに何もしてこなかった。
腹のあたりで手が動いたからこれはついに襲われると。身構えたがそんなことなかった。単に手を取られつながれただけだった。これは、なんというか。
「……」
生殺しである。ジグルフの方から攻められるのかと思いきや、ちょっと過激なスキンシップの後は手を繋いですやすやおねんねだ。ヴァレリーの期待を裏切るその健全さはヴァレリーを行動させるのに十分であった。
ヴァレリーがくるりと寝返りを打つと自然と手はほどけた。ジグルフと向かい合い華奢な体を抱きしめる。ヴァレリーが寝ているものと思っていたジグルフはそれはそれは驚いたのだろう。「え」と頓狂な声を出して、強く抱きしめられたまま動揺していた。
「ん……」
ジグルフはもぞもぞと動いて、ヴァレリーの胸板に埋まった顔をひょっこりだす。「ヴァレリー?」と確かめるように呼んでくるのでヴァレリーは思わず大きなため息をしてジグルフを抱きしめる腕の力を強めた。
「ジグ」
「! 起きてた……」
「これに耐えられる男はいないと思います」
ヴァレリーの狸寝入りにジグルフは不機嫌なようだが、ヴァレリーもジグルフの過激スキンシップにご機嫌ななめだ。
「ジグのそれって俺の事煽ってますよね?」
「はぁ?」
「寝てる間に肌まさぐられて名前呼ばれて好きって言われるとか……誘ってるとしか思えないんですけど」
「……、……」
ジグルフは少し目を丸くした。
結構初めから起きていたじゃないか、という驚き。……ではなく、誘ってるとしか思えない、と言われたことに対する驚きだ。
すること自体に抵抗はないけれど、ジグルフとしては性行為に持ち込みたいわけではなかった。
「誘ってるつもりはないけど、……」
「……」
「ヴァレリーに触りたかった」
「……、はぁ」
ヴァレリーのため息は大きい。
そういうのが誘っているのだ。そういう、幼い愛情が。普段のジグルフの態度もあってギャップが激しすぎるだろう。
「あのね。俺も男なんです。加えてジグのこと大好きなんです」
「?」
「だからそういうことされるとその気になるんですよね」
ヴァレリーの言葉を聞いてもジグルフはあまり理解していなさそうだ。なのでヴァレリーはより体を密着させてわざと硬くなったそれをジグルフのお腹に押し付けた。
「!」
ジグルフはびく、と体を揺らした。
「……、勃ってんの?」
「勃たされたんです」
「……」
さすがに理解したらしい。ジグルフはどことなく気まずそうに身をよじる。
「俺としてはジグとシたいんですけど」
「う……」
「嫌なら一人で抜いてきます」
「……、そんな生々しいこと本人に言うな」
「するのやですか?」
「……。嫌じゃないんだけど」
「はい」
「……ヴァレリー、デカいじゃん」
「デカいですね」
「……。……優しくして」
間を置いてジグルフから出てきた声は随分と小さく頼りなかった。ヴァレリーは拍子抜けしたが、すぐ気を取り直してジグルフの額にそっと口付けた。
「努力します」
多分無理です。までセットだったが後半は黙っておいた。