インターホンが鳴ったから宅配だと思った。そんな安直な考えでモニターを確認せずに扉を開けてしまった数分前の自分の行動をヴァレリアンは酷く後悔していた。
「わたくし、こういうものです!」
 やや呂律の回らない言い方なのは言葉遣いになれていないからだろう。ヴァレリアンはその子が差し出す小さな厚紙を受け取りはせず、腰を曲げて内容を確認した。
 えあはると ねんちょうさん
 右下の空いたところにアニメ調のうさぎのシール。
「……なんですかこれ」
「……!! 名刺なの!」
 ヴァレリアンから怪訝にされたことが不服なのか、エアハルトは頬を膨らませむっすりする。
 名刺。名刺……。まあ確かに、名前と身分くらいは書いてあるが。
「年長さんて。なんですお前、幼稚園生?」
「ン……。5歳!」
 エアハルトは右手をパーにしてヴァレリアンに見せつけた。
 ガキだ。ヴァレリアンはあからさまにウンザリした。
「で。お家の人は?」
「いません!」
「……。どうやってここにきたんです。エントランスはオートロックでしょう。そもそもなんで俺の家を訪ねてきたんです? 新手のイタズラですか?」
「……!! わ、わかんないから、もういっかい、1個ずつきいて!」
「はぁ……。もういいです。警察を呼びます。そこにいなさい」
「!?」
 ヴァレリアンは扉から手を離して部屋の中に戻ろうとする。
「まって!」
「なんです?」
「あついから、外でまってるのヤダ」
「…………」
 みーんみーん。
 二人の間におりた沈黙の中、まるでこの暑さを象徴するように蝉が鳴く。
 エアハルトは多分、いくらかは歩いてここまでやってきたのだろう。帽子から覗く額にはうっすら汗をかいていて、しっぽもぐったりと下がっていた。
 こんな得体の知れない子どもを部屋に招きたくはないが、熱中症なんかになって玄関の外で倒れられても迷惑である。
「…………はぁ。玄関で待ってなさい」
「! わかった」
 ヴァレリアンはしぶしぶエアハルトを部屋に招き入れた。リビングに繋がるドアを開けといてやれば、玄関でも多少は涼しくなって、外よりはかなりマシだろう。
 エアハルトは靴を脱がずに上がり框に腰をかけ、帽子を脱ぐと、背負っていたリュックサックをお腹に回して中から水筒を取り出した。最近流行りの動物アニメキャラがあしらわれたシンプルなステンレスボトルだ。もちろんコップ付きである。
 コップを外して飲み物を注ぐ。中身は麦茶だ。
「……」
 物怖じしないやけに馴染んでいる5歳児を眺めながら、ヴァレリアンはスマホを取りだし110番しようとして――はたと止まった。
 知らない子どもが家を訪ねてきました。ここまではいい。外は暑いから玄関で待たせてます。こうなってくると、もしや、通報した自分の方が怪訝な目で見られるのでは?
 やれ児童誘拐犯だのとでっち上げられてはたまらない。ヴァレリアンは思い悩み、110番は最後の手段に回すとして、ひとまずエアハルトに声をかけることにした。
「それでお前、なんで俺のところにきたんです」
「ん……」
 コクコクと喉を鳴らして麦茶を飲んでいたエアハルトは、ヴァレリアンに質問されあわてて口の中を空にする。
「えっと、……あっ! お手紙もってきた!」
「はい?」
「んと、……これ!」
 水筒を床に置いてゴソゴソとリュックサックを漁り取り出したのはシンプルな白い封筒だ。
「あとこれも! 渡しなさいっていわれた!」
 ついでに先程の名刺を添えてヴァレリアンに差し出す。それは必要ないと思いつつも拒否すると話がややこしくなりそうだったのでヴァレリアンは名刺と封筒の両方を受け取った。
 ヴァレリアンが両方受けとったことに満足したのかエアハルトはまたリュックサックの中身を覗き込んでいる。
 ヴァレリアンは未だ怪訝な顔つきで封筒を開いた。中には便箋が2枚入っていた。
 ――テイラー君へ。
 急な事だが夏の間海外に行くことになった。
 エアハルト君は、親を小さい頃に亡くして以来うちで預かっている子なのだが、都合上一緒には連れて行けない。
 幼稚園も夏休みだし、エアハルト君を家に一人にしておくのはいささか不安なので、しばらくの間君の家においてあげてください。
「……」
 ヴァレリアンは唖然とした。手紙の送り主は全く知らない人なんかじゃないけれど、親戚という訳でもない、ヴァレリアンの知り合いからだった。頼んでもないのに世話を焼いてくる、ヴァレリアンにしょっちゅう絡んできていた近所のおっさんだ。
 お歳暮を送りたいからと住所を聞かれたことがある。美味しいもの送るから! と言われて教えたが最後――送られてきた食品はどれもヴァレリアンの好みで満足な程に腹を満たしてくれたが――こんなことになってしまった。
 人間関係の希薄なヴァレリアンにとって、その男はまだ馴染みのある存在ではあるが――まさかこんなガキを急に送ってくるとは。
「読んだ!?」
「……、……まあ」
「2枚目も!?」
「2枚目……?」
 言われて思い出した。便箋は2枚入っているのだ。1枚目のショックが大きくヴァレリアンは動揺していたが、便箋を裏にまわしもう1枚に目を通す。
 えあはると ごさい
 できること
 ・おさらあらい
 ・せんたくもの
 ・おふろそうじ
 ・おかいもの(めもをください)
 すきなもの
 ・いちご
 にがてなもの
 ・やさい
「…………」
 全部ひらがなだ。頑張って書いたようではあるが、形はどこかちぐはぐで、いかにも子どもの文字である。
 ヴァレリアンは便箋からエアハルトに目線を落とした。エアハルトのほうはやけに自信たっぷりな表情でヴァレリアンを見上げている。
「あっ! あとね、てみやげ……もある!」
「……」
 手土産のいい方がたどたどしい。おおよそ、そう伝えるようにと事前に習っただけの言葉なのだろう。
 エアハルトはリュックサックとは別に持っていた紙袋を手にすると、ぴょんと立ち上がってヴァレリアンに差し出す。
「つまらないものですが……」
「…………どうも」
 動揺し尽くしたヴァレリアンの意識は半分旅に出ていたので、差し出されたそれをヴァレリアンは素直に受けとった。
 紙袋は小ぶりで、外側には洋菓子店のロゴが印刷されている。なかをのぞいてみると、紙袋の中にはさらに厚紙でできた箱が入っているらしかった。
「それ、プリンなの! いっしょたべよ!」
「手土産なのにお前も食べるんです?」
「えっ! おれたべられないの?!」
「……」
 手土産とはそういうものだろう。受け取った側が一緒にと誘うならまだしも、持ってきた側から一緒に食べようと言いだすものではない。……のだけれど、相手は社会人じゃなく、年長さん、5歳児である。
 食べられないなんて知らなかった! とひとり呟きながら慌てた様子でうーんうーんと悩んでいる子どもをじっと見つめ、ヴァレリアンは大きなため息をついた。
「手を洗ってきなさい」
「! わかった」
 ヴァレリアンは踵を返してリビングに向かう。
 子どもを預かれだなんて一体どういうことだ。
 なんだか出来事が唐突すぎて、しかも重たすぎて、ぐったりと疲れてしまった。
「にーちゃ!」
「なんです?」
「どこで洗ったらいいの?!」
 振り向くと靴を脱いでリュックを背負い直し、ぴたりと玄関にたっている5歳児の姿。
「……こっちです」
 ヴァレリアンは疲れ果てた声を出してエアハルトを手招きした。とてとてと足音を立ててエアハルトはヴァレリアンに駆け寄る。
「おじゃまします!」と元気よく出された声は、外の蝉なんかより厄介に感じた。