今日は日曜日で仕事も休み。しかし明日は月曜日で、テレワークではなく出社しなければならない日だ。ヴァレリアンは悩んでいた。エアハルトをひとり家に留守番させていいものか、と。
 エアハルトは割と聞き分けのいい5歳児なので、あれはしちゃだめだよ、それはどこにあるよ、これを食べておいてね、と指示を出してやればちゃんと守れそうだ。つまるところお留守番は可能であると、ヴァレリアンは思うのだ。
 なら何がヴァレリアンを悩ませているのかというと。昨夜の寂しそうなエアハルトの様子である。
 ――ひとりはいやだ……。
 しゅんとしながらヴァレリアンの洋服を握っていた姿が思い出される。ヴァレリアンは子どもが嫌いだけれど、さすがにあんな姿を見せられては、多少は気にかけてしまうというものだ。
 エアハルトは、朝食を食べ終えてからは大人しく絵本を読んでいる。昨日も読んでいた絵本だ。飽きないのだろうか。
「……エア君」
「?」
「タブレット貸してあげましょうか」
「たぶれっと」
 不思議そうにヴァレリアンを見つめている。
 ヴァレリアンは自室からタブレットを持ってきて、エアハルトに手渡した。
「神経衰弱とか、ソリティアのアプリとか入ってますから。遊んでていいですよ」
「ン……。やってみる!」
 タブレットが珍しいのだろう。渡されたそれをじいっと凝視しつつ、エアハルトはぺたぺたと指で画面を触っている。あれはもう使っていない昔のやつなので、5歳児が色々弄ってしまっても問題がない。ヴァレリアンはエアハルトの好きにさせておく。
 話は戻って、お留守番である。
 家主のいない家にいてもらうのはまあいいのだけれど、あの子を一人ぼっちにしていいものなのだろうか。かといって少ない出社日に休んでしまうのも微妙なところで……。
「あ。そういえば……」
 ふと思い出して、ヴァレリアンはリビングの棚の引き出しをあけた。そこには会社の規定だとか契約書だとか、そういったものを片付けてある。確かここに、……あった。
 社内保育所のおしらせ。
 可愛らしいイラストの添えられたそれは、自分には関係ないなと特に目を通さずさっさとしまっておいた会社からのチラシである。
 働いている間、お子さんを一時的にお預かりする一時保育サービスを開始しました。
 出勤日のみ。休日は利用できません。
 持ち物。昼食、おやつ、水筒、おむつ、着替え、タオル。………。当日午前7時までに予約を行ってください。キャンセルも当日の午前7時までです。定員有のため利用できない場合があります。予約、詳細はQRコード。またはURL。云々。
 特に寄り付いたことがないが、社内に1箇所、画用紙でできた動物なんかの張られた自動ドアがあった気がする。きっとあれが社内保育所とやらなのだろう。
 ここに預けてみるか。家で一人ぽつんとさせておくよりは、自分も何かあった時にすぐ駆けつけられる会社内だし、ましだろう。
 ヴァレリアンは早速QRコードをスマホで読みとった。ログインには社員IDや個人で設定しているパスワードが必要らしい。
「にーちゃ」
「はい?」
「いそがし?」
 ヴァレリアンがスマホをいじっているとエアハルトがタブレットを持ってぴょこりと顔をのぞかせた。
 作業中だが忙しいかと聞かれるとそうでもない。「大丈夫です。どうしました?」と。ヴァレリアンはスマホを机に置いてエアハルトの方に近づく。
「ン……。あのね、いっしょにオセロしよ!」
「え。オセロ?」
「これね、ふたりでできるんだって!」
 エアハルトはタブレットをヴァレリアンの方に向けた。画面には緑色の盤と、真ん中4マスに白黒白黒と置かれた石。プレイヤー1、プレイヤー2と表示されている。
 オセロのアプリも入れたんだったか。そんなことをぼんやり思いながら、ヴァレリアンはタブレットからエアハルトへと視線を移す。
「エア君、オセロのルール分かります?」
「わからん」
「……」
 即答。そして武士である。
「……ン。でも、にーちゃといっしょにあそびたい」
「……まあ。いいですよ。やりましょうか」
「! やった!」
「そこのローテーブルにタブレット置いてください」
「しょうち」
「……。あの、エア君ってなんで武士なんですか?」
「む?」
「……、うん……」
 気にしたら負けなのだろうか。
 ヴァレリアンの質問にきょとんとするエアハルトは、ヴァレリアンに問われた言葉の意味を理解していないようである。この5歳児は生まれながらの武士なのかもしれない。ヴァレリアンはなんでもないですと首を振った。
「おれ白がい!」
「はいはい」
 ローテーブルに置かれたタブレットを挟むように、向かい合って座った。ぷんぷんとしっぽを揺らす5歳児を横目に、黒の石を打つ側となったヴァレリアンは早速画面をタップして石を置いた。オセロは黒が先行だ。
 黒に挟まれた白の石が黒に変わる。
 エアハルトはキョトンと目を丸くした。
「白いの、黒になった!」
「相手の石を挟んで、色をひっくり返すんですよ。最終的に石が多い方の勝ちです」
「そうなんだ!」
「俺は今置いたから、次はエア君の番ですね。画面を触ったら石が置けますよ」
「ふむ」
 ヴァレリアンの説明を聞いて、エアハルトはちょんと画面をタップする。場所はヴァレリアンが今石を置いたところの隣だ。
「……」
 ヴァレリアンは反応しない画面と不思議そうに画面をタップするエアハルトとを交互に見る。これが実際にものを使って遊んでいたのなら、エアハルトは彼が思っている場所に石をおけたのだろう。しかしアプリは優秀なものできちんとルールにそって遊ばないとゲームが進まないのだ。
「? にーちゃ、白いのおけない」
「……、自分の石で相手の石を挟める位置じゃないとダメだからですね」
「え! なんで?」
「なんでって、そういうルールなんです」
「えー!」
 エアハルトは不満げな声を漏らした。
「こことか、ここだったら置けますよ」
 ヴァレリアンが画面に触れないように教えてやるが、エアハルトはぷっくりと頬を膨らましたままだ。
「にーちゃのとなりにおきたいの!」
「ええ……?? エア君、それじゃあゲームが進みませんよ」
「ン……。じゃあさっきのおすすめのところにおくの……」
「……」
 別におすすめしてはいない。
 渋々といった様子で、エアハルトはヴァレリアンが最初に教えてあげた位置をタップした。今度はちゃんと白の石が置かれ、挟まれた黒の石が白に変わる。
「白いのふえた!」
「そうですね」
「あ! 黒になった!」
 石の色が変わるだけでエアハルトは随分と楽しそうだ。とはいえ、ヴァレリアンが石を置いた隣をタップしてはアプリに無視された挙句ヴァレリアンに挟まないとですよと指摘されて、不服そうに別のところに石を置くのは相変わらずだ。できないと分かっているはずなのになかなかにーちゃの隣とやらを諦めないのは意外と強情である。
「にーちゃのとなりがだめならすみっこにおくの……!」
「……」
 エアハルトは盤の角をタップしているが挟める石がないのでもちろん無効である。ぬううなどと唸りながら格闘しているがルールはルールだ。画面はうんともすんとも言わない。
 ルールを説明されても己を貫くこの自由奔放さは子どもだなとヴァレリアンは思うのであった。
 オセロは3試合やって、全部ヴァレリアンが勝った。それだけ聞くと大人気ないと思われてしまうかもしれないが、ルールを知らない相手を勝たせてやろうとするのもなかなか至難の業なのだ。どうにか一度は勝たせてあげようとしてみたが、ヴァレリアンの考えとは裏腹、エアハルトはまるでわざとかのようにエアハルト自身が負ける位置にしか石をおかなかった。なかなかに手強い5歳児である。
 とはいえエアハルトは勝ち負けは特に気にしていないようだ。
 5歳児の感想は3試合それぞれ「にーちゃつよ!」「にーちゃのとなりぜんぜんおけなかった!」「なんかしらんけど白いのなくなった!」である。なんかしらんけど白いのなくなったと言われた時にはさすがのヴァレリアンも声に出して笑った。
「オセロおもしろ!」
 始終ヴァレリアンの置いた石の隣に自分の石を置こうとして、タブレットに無視されることを繰り返していたように思えるが、エアハルトはとても満足したようだ。
「にーちゃありがと! ちょっと休憩にするの!」
「いえ。……また一緒に遊びましょう」
 言ってから自分は何を言っているんだとヴァレリアンはハッとした。また一緒に遊びましょう。自然とその言葉が出てしまった。
「うん!」
「……、……」
 エアハルトがあまりに嬉しそうに笑っているので前言撤回などできる雰囲気ではない。
 まあ、べつに、……いいか。らしくもない言葉がでてしまったけれど、悪口とかではない。
 ヴァレリアンは小さく咳払いをし、尻尾を振りながらソファによじのぼるエアハルトを見守るのだった。