ある男を消したいと頼まれたのでその男について調べてくれないかと、得意の仕事仲間から依頼がきた。軽く事情を聞くに、そもそもの依頼者は男性、依頼者の婚約者が“消したい男”とやらに寝とられ破談となってしまったから、仕返しに殺してやりたいんだとか。
よくある痴情のもつれ。やれ浮気したから殺してやるだのやれ人の女を取ったから呪ってやるだの、そんな話、世の中にいくらでも転がっている。そんな依頼に仕事仲間が乗ったのは余程報酬が良かったからなのだろうか。
ミジンコくらいの可能性で厄介なバックがいることも否めないが、上っ面の話だけでは“消したい男”はただの一般人だろう。ジグルフとしては、ただの一般人の素性を調べるだけで儲かるのだから楽なものである。
そんなわけでジグルフは、会いに出向いたのだ。
戸を引くとカランコロンとベルが鳴る。こじんまりとした外見のカフェの中はやはりこじんまりとしていて、3組、4組くらいの客で満員になりそうだ。
すでに数人客がいて窓側のテーブル席は埋まっている。案内されるのならカウンターだろうなと考えていたところに「すみません。お待たせしました」と若い男の声が聞こえた。
ジグルフはゆっくり視線をそちらに向ける。
中で作業をしていたのだろう。一人の男がハンドタオルで慌てて手を拭いながら小走りで駆け寄ってきている。
「おひとり様ですか?」
「はい」
「カウンターにご案内しますね」
男はへにゃりと眉を下げて笑った。
どうぞ、と案内された席にジグルフはトンと腰を下ろす。案内されたカウンター席にはジグルフしかいない。今のところおひとり様は自分だけということだ。
「メニューをどうぞ」
「どうも」
「お決まりになったら、声をかけてくださいね」
「はい」
飲食店のお決まりのようなやりとりをした。
自分にくるりと背中を向けてカウンターの中で忙しそうに作業に取り掛かった男を、ジグルフはメニューの隅っこを指先でつまみながら眺める。
ふわふわとした黒髪。ピコピコと揺れる猫の耳。
鮮やかな赤の瞳。丸い瞳孔。特徴的な犬歯。グレーの肌。
身長は180cmないぐらい。なにかスポーツでもしていそうな体つき。見た目と、声の印象からするに20代後半くらいだろう。
「すみません。注文いいですか?」
「はいっ」
ハキハキと受け答えする態度からは、好青年だなという印象を覚える。
「カフェオレとプリンを1つずつ。お願いします」
「カフェオレとプリンですね。わかりました」
カフェを営んでいる、若い、ムーンキーパーの男。調べた通りの姿。ただの爽やかな店員で、やはり、なにか後暗いことがある人物のようには思えない。
早速作業に取り掛かる男の姿を見送り、ジグルフは静かにメニューを閉じて、それとなく辺りを見渡した。
ゆったりと回るシーリングファン。やや薄暗い照明。モダンな店内の客の方もどこか物静かで、森閑とした森の中にいるような気分になる。
「お待たせしました」
コトリ。小さな音がした方に向き直す。
「ここ。おひとりでされてるんですか」
「あ。はい、俺だけでやっています」
「へえ」
「だから、あまりお客さん呼べなくて。ちっちゃな店止まりなんですよね」
ジグルフは、困ったように笑う男をしばらく眺め、机に並べられたカフェオレとプリンを徐に見つめる。
「大変ですね」
「へへ、はい。……でも、楽しいですよ。毎日」
プリンに差し込んだスプーンはするりと通った。
毎日楽しいのか。ふーん。そんな楽しい毎日に、不穏な影が降りつつあることを男は全く知らない様子。少し哀れだ。
男、男と形容しているがジグルフは既にこの男の名前を知っている。
ヴァレリー・テイラー。男の名前だ。
年齢は26歳。ひとりでカフェを経営中の一般人。平凡な家庭で育った一人っ子。交友関係は広く、友人との仲は好調。相手の方からよく飲みに誘われている。週に何度かはジムに通っていて、そこの利用者やスタッフと仲がいい。俗に言う陽キャである。
そんな陽キャが意外なところではあるが、指輪やネックレス、イヤリングのようなアクセサリー類が一切ないところからも察する通り、独身で、現在恋仲にある相手もいない。
つやつやとしたきつね色をジグルフは一口食べる。
「……。おいしい」
「! 口にあってよかったです」
ジグルフの一言を聞いてヴァレリーは顔に花を咲かせた。
思わずジグルフはその幼い笑顔を凝視する。
ヴァレリー・テイラーに恋人と呼ぶ存在はいない。……とはいえ、常々、男女問わずに言い寄られてはいるようだが。
突然のガン見にヴァレリーは何か変なことを言っただろうか、いや、変な顔をしたのだろうかと少し慌てた。
「オーナーさん。今ってお手隙ですか」
ジグルフに問われてヴァレリーは店内を見渡す。
「えっ。そうですね。お客さんも途切れましたし、洗い物もだいぶ片付けたし……。そうかも」
「よければ、カウンター席の寂しい男とのおしゃべりに付き合ってくれたり?」
ヴァレリーはぱちくりと瞬きした。
両手で頬杖をついて自分を見上げるカウンター客は、特に前言を撤回する気もないらしい。
ヴァレリーの目の前にいる、見た感じまだ20になったくらいの青年。歳の割にどことなくませた言い回しをするものだ。
ヴァレリーは小さく笑った。
「ええ、はい。俺なんかでよければ」
接客業をして何年と経つ。少し変わった客の相手など、ヴァレリーも手馴れたものだ。ジグルフの方から「食べながらで失礼」なんて付け足された言葉に「いえいえ。では俺も拭きながらで失礼」と笑って返し、ヴァレリー自身も手元のグラスを磨く。
「ここ、従業員は雇わないんですか?」
「そうですねぇ。昔はお願いしていたんですけど、いろいろとあって」
「ふーん?」
興味深そうにジグルフの語尾が上がった。
いろいろ。要は人間関係の縺れだ。
雇った相手に思わせぶりな態度をとったつもりなんてないのにあーだこーだと言われ、なんだかんだと責められ言い寄られ、酷い時には襲われかけた。それがなぜか老若男女問わずどの従業員でも起こる。だからもうひとりですることにした。
カフェ自体は子どもの頃からの夢だ。一人っきりだからってやめるつもりはない。
「……」
というのは親しい友人にも語ったことはない。ましてや一見の客に話すなんて有り得ない。
「ひとりでやるのも、楽しいもんですよ」
ジグルフの関心に気付かないふりをしてヴァレリーは当たり障りなく返した。
「そっか」
ジグルフはすんなりと話題を終わらせた。聞くまでもない。ジグルフは、ヴァレリーが伏せた内情を知っている。だから特に深堀はしない。
「ま。大変ですよね、仕事をしていく上での人間関係って」
「お。お兄さんもなにか悩んでるんです?」
今度はヴァレリーの声が上擦った。
いかにも興味津々といった態度を示してくる様子は、さすが接客業、客の扱いがうまいというか、慣れているというか。
ジグルフはまた一口プリンを口にした。
「そうですねえ。こんな見た目なもので、歳の割に顧客に舐められるかなぁ」
「……失礼ですが、おいくつです?」
「32」
「さっ……!?」
絶句した。
「えっ。いや、うそ……。冗談ですよね?」
「ホントだよ。免許証でも見ます?」
「え。えぇ。いやいや、そこまでは……。えぇ……」
ポケットから財布を取りだし中身を抜こうとするジグルフを制し、ヴァレリーは額に手を当ててウンウンと首を振った。
どっからどう見たって自分より年下なのに。信じられない。見た目が若すぎるだろう。しかも注文がプリンとカフェオレだ。注文の印象すらも幼い。
「まあそんな感じで。見た目が幼いから下に見られるんですよね」
「はあぁ……。それも、大変ですね……」
ヴァレリーはしみじみとした。
世の中には、実年齢に対して信じられないほど見た目が若い人もいたもんだ。
……見た目。見た目と言えば。
「……」
ヴァレリーはジグルフの皿をちらと見た。彼の頼んだプリンはすっかり無くなってしまっていて、今はカフェオレを飲み進めているようだ。
「……。俺も、なんかこう、おおらかに見えるとかで。結構無理難題押し付けられたりするんですよね」
「ふぅん?」
どうしてそんな事を言う気になったのかといえば、ジグルフの語った、見た目からの評価に、何となく親近感を覚えたからだ。
「最近も、うちに来てくれてた常連さんがちょっと。……、……」
「どうぞ。仕事柄口が堅いので、誰にも言いませんよ」
口篭るヴァレリーの心を読んだかのような対応だ。
ニコリと柔らかい笑みを添えて言われると、なんだかジグルフを信頼してしまう。話したくなる、というのが正しいか。
「……、そんな素振りも話も、少しもしてないのに、『あなたのために縁談を破棄してきちゃった!』とかなんとかで……」
「一悶着あったんだ。大変でしたね」
「はぁ、ほんとに。……通ってた時、いつもパートナーのことを幸せそうに語っていたはずなんですけどね……」
ヴァレリーは頬をかいた。だいぶ内容は端折ったが、ジグルフの言う通り一悶着あったのだ。というか、この件、未だに続いている。
婚約破棄してきたらしいその客に昨日も押しかけられた。あなたのために反故にしてきたのよ! 私と結婚しないのなら殺してやる! とか、店の前で騒がれた。ヴァレリーもさすがに通報したので、女はドナドナと警察のお世話だ。
「ご馳走様でした」
「あ。お粗末さまです」
「食べ物もおいしかったし、いいお話も聞けました」
「いえ、そんな」
物思いに耽っていたヴァレリーはジグルフの声で現実に引き戻された。
プリンの皿も、カフェオレのグラスもすっかり空っぽ。伝票と一緒にヴァレリーに差し出された一万円を受け取り、ヴァレリーはレジに向かおうとする。
「ヴァレリー・テイラーさん」
「はい。……えっ?」
「俺、32歳じゃないんですよね」
「え。……え? えっと……!?」
思考がパンクした。
状況を整理する。
カウンター席に座っていた客から勘定をお願いされたので、レジに向かおうとしていたら、教えていないはずの名前を呼ばれた。しかもフルネーム。そのことにまず驚愕していたら、今度は教えた年齢は嘘だと言われた。それに関しては、あ、やっぱ嘘やん! 程度で済むところもあるが、なぜ今嘘だと打ち明けられたのか、いやそれよりもなによりも名前を呼ばれたことが衝撃的すぎて、――ついていけない。
「くく、……」
「?!」
笑っている。
「からかうと可愛い顔するよね。俺が嘘の年齢言った時も百面相してたし」
「え!?」
「俺、ヴァレリーのこと気に入ったよ」
「はいっ?」
「好きになっちゃった」
「えっ……?!」
「その気がないのに落としちゃうってほんとだね。魔性のヴァレリーじゃん」
「はあっ!? えっ。……!?」
今度こそ本当に言葉が出ない。
隠すこともなく大声を出してしまったので、店内にいた他の客がヴァレリーたちの会話を気にし始める。
「俺、邪魔なものは排除するタチだから安心してね」
「いや、ほんと、さっきから何言ってんです?!」
ジグルフは楽しそうに目を細めて席を立つ。当たり前のような足取りで向かうのは店の出入口。
「あ、ちょっ。お釣り……!」
「情報料ふくめてだよ。貰ったからには渡さないと。そういうオシゴトだし」
「!?」
「またね。ヴァレリー」
カランコロンとベルの音。
ふわりと吹き込む柔らかな風。
パタンと閉まる木製のドア。
ちょっと変わった客とのやり取りなんか、何度もしてきたことがある。でも。
「あ、あの人、何者……!?」
慌ててドアを開けて周囲を見渡したけれど、男の姿はもうどこにもない。
ヴァレリーは手に持っていた1万円札と伝票とを、ギュッと握りしめた。
会うまでもなく情報は割れていた。だから別に会う必要などなかった。けれどなんとなく気になって、これから自分が情報を売った末に殺される男はどんなやつなんだろうと、一目見てみたくなった。痴情のもつれでやれ殺してやるだの脅迫される人間、どこにでもいるだろうが、その中で裏の人間に金を積まれ、本当に殺されてしまう――しかも事実無根で殺される――憐れな男とやらに、言うなら記念に会っておきたかった。
「今回のクライアント、黙らせてくれる? ついでに女の方も。……うん? 厄介なバックがいたのかって? いや、いなかったよ。あの人、やっぱただの一般人。笑顔が可愛いんだよ。26のくせしてガキみたいに笑うの。あー、……いや、ついたのかな。“厄介なバック”」
足を組み替える。
「お願いとかじゃなくて、依頼だよ。倍の報酬で頼めばそっちも文句ないでしょ。……うん。よろしく」
カコンとグラスの中で崩れた氷が音を立てた。
よく買う市販のカフェオレ。おいしいと思って気に入っていたのだけれど、もっといいものを見つけてしまったので、物足りない。
物足りない。不満があるわけではなかったけれどいつもなんとなく満たされなかった。そんな毎日に現れた存在。毎日が楽しいと笑う無垢な男。
また会いに行こう。
なんてない態度で来店したら、彼は、今度はどんな表情を見せてくれるのだろうか。想像するだけで愉快。ジグルフは無意識に口角をあげた。