フリンズは厄介な任務に赴かねばならず、一週間ほど帰って来られないのだと言っていた。
 退屈な墓場から外に出て、ナシャタウンの方でお店を見て回り、クッキー缶を買った。バニラにチョコチップ、アールグレイ、イチゴジャム。四種類の三枚ずつ。つまりは十二枚入っているから、六枚ずつで分け合うとちょうどいい。どれが二枚になるかは相談して決めればいいだろう――と思いつつ、彼にはイチゴジャムのものが似合いそうだと想像した。
 本当はロストと共に来たかったのだけれど、もし、あの地から出かけるのであれば他方は残って居なければならない、というのがフリンズから定められたルールだった。暗に『戻ってこなければ残された方がどうなるかわかっているな』と脅しているのだ。
 それならふたりで逃げ出してしまえばいい。単純明快な答えだけれど、ふたりで出かけたとしてもフリンズはすぐに俺たちを見つけてしまうだろう。
 たとえそこに逃げる算段はないつもりでも、きっと彼は許してくれない。それに俺は――まだ世界を多くは知らないあの子が、新しいものに触れてキラキラと目を輝かせてくれる瞬間が好きだから、ロストのそれを見てしまえば、ロストを連れて自由に飛び回りたいと思うに違いない。
 だから、『逃げるつもりはない』にしても、ロストと手を繋いで大きく翼を広げれば、その気がおきないとは言えず、『言いつけを破るつもりなんかなかった』なんて言い訳はきっとできないのだ。

 買い物を終え早足で夜明かしの墓に向かって戻る。あそこは退屈だけどロストと一緒に過ごす時間は好き。そういう意味ではいい場所だ。
 人のものではない気配を感じるのも慣れてきた。冷たい空気に時折頬を撫でられながら、地面に生えたフロストランプを数えつつ、少し立て付けの悪い戸を開ける。最近調達したストーブをつけてくれているのか、暖かい空気が身に染みた。
 開けた部屋に入ればすぐにその存在を見つけることができた。ロストは、床にちょこんと座ってパズルに勤しんでいるらしかった。数日前にフリンズが買ってきた、無駄にピースの数が多い夜空のパズルだ。
 フリンズに渡された次の日から、俺とロストで協力して進めているけれどまだまだ完成には程遠い。今日は瞑色ばかりを使って宇宙に広げていたみたいで、パズルピースの形だよりに進める細々とした作業の最中だったらしい。
「ロスト」
 集中していたのだろう。声をかけたらロストは少しだけ驚いた様子で顔を上げる。「ロスト、ただいま」もう一度名を呼んで駆け寄ると彼は立ち上がって俺を迎えてくれた。
「おかえりなさい、シャルル。……まだ出かけていても、よかったんですよ」
 ロストは俺に気をつかってくれているのだろう。確かに俺は、散策が好きだけれど、ロストをここに置いたままでは不安だし、あまり遅くなるのは嫌だった。
「大丈夫。俺は、ロストと一緒にいる方が好きだから」
 華奢な体を手繰り寄せるようにぎゅっと抱きしめてやると、少し戸惑いがちに抱き返される。
 ロストに触れるのは心地よくて好き。一緒にいると心が温かくなって、気が安らぐ。
 しばらく互いの体温を確かめたあとで身体を離して向き直り、手に下げた袋を見せた。
「クッキーを買ってきたんだ、一緒に食べよう」
「わ、……綺麗な箱ですね」
「うん。どうやってナド・クライまで辿り着いたのかはわからないけど、フォンテーヌのやつみたい。箱、開けていいよ。ロストが好きなの選んで」
「えっ……シャルルが買ってきたのに? 俺が最初に、選ぶのですか?」
「もちろん。俺は、ロストが嬉しそうにするところを最初に見たいから」
「……シャルルは意外と、そういう口説き文句を、さらっと言いますよね」
「え」
 どういう意味だ、と瞬きしていたら、ロストは小さく笑いながら箱を開けて、中身を覗き込む。細い指先が四種類それぞれのクッキーの上を順番に滑っていく。一つずつ指先でなぞりながらじっくりと考えているようだった。
「……全部美味しそうなので、悩みますね」
「たくさん悩んで。ゆっくりでいいよ」
 ロストが選択する時間をたくさん感じたい。きっとこの時間が一番楽しい。ロストはしばらく悩んでいたけど、結局最後は星型のクッキーに人差し指を添える形になった。イチゴジャムの乗ったやつだ。俺が、彼に似合うと思っていたやつ。やっぱりこれがロストらしいなと思う。
「じゃあこれにします。シャルルはどうしますか?」
「俺は……」
 今度は俺が悩む番だった。
 バニラ生地にチョコチップが乗っているのもいいし、アールグレイは紅茶の香りが好ましいと思うけど、イチゴジャムの甘酸っぱさも捨て難い。
 しばらく考えて決まったのはやはり星型のクッキーで、ロストが選んだものと同じものを取りあげた。
「ロストと同じのがいい」
「……フォンテーヌ人は、人を口説き慣れている、のですか?」
「え? どうだろう……少なくとも俺は、そうじゃないと思うけど」
 長らく帰っていない地元を想像するも、人を口説き慣れているフォンテーヌ人とやらは思いつきそうにもなかった。そうやって思案していると、ロストが軽く息を吐いて苦笑した。彼はよくこういう笑みを浮かべる。諦めが混じっていたり、愛おしさを滲ませていたり、そこにある根底の色は日々違っていて、その仕草ひとつひとつの意味が知りたいと思う。
「せっかくですから、紅茶を淹れますね」
「ん。……ありがとう」
 キッチンの方へ向かう背中を見送る。ほんの十数歩の距離なのに見えなくなってしまうと心細くなってしまうのだから不思議だ。
 ロストのことを愛しいと思い始めて随分経ったけど、未だにその感情の根幹にあるものを理解しきることができずにいる。まるで己の半身であるかのようにどうしようもなく惹かれてしまう。
 ロストが苦しみに満ちた表情をするならば俺だって胸が痛くなり、ロストが幸せそうな笑みを浮かべてくれていれば、自分のことのように喜びが溢れてくる。胸がいっぱいになって目頭が熱くなったりもする。恋というより庇護あるいは所有欲に近かった。
 彼の紅茶が来るまでロストが組み立てていたパズルを眺める。月の姿すら見えないパズルに視線を這わせていても、あまり状況は変わりそうにない。
 ひとつだけわかるところがあるから黒色のピースを掴みとって空いていた箇所に嵌める。こうして毎日少しずつ進めても果たして完成するかどうか。
 これを買ってきたフリンズは、俺たちが進めている終わりの見えないパズルを見ては「まだまだ先になりそうですね」という淡白な感想を述べる。これを買ってきておいて、あの人は何も進捗を手伝ってはくれないからやや不満だ。多分、四苦八苦している俺たちを見て楽しんでいるのだろう。
「シャルル。紅茶ができました」
「ありがとう。ロスト」
 呼ばれた方向を振り返るとロストがティーカップを二つ手にしてこちらに戻ってくる。床に座るのをやめて少し狭い、ソファの方に移動した。そこで並んで腰掛けながらマグカップを受け取ると、温かな紅茶の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「いただきます」
 息を吹きかけ少し冷まして、マグカップに口をつける。柔らかな口当たり。優しい味がした。
「ん……おいしい」
「よかった。シャルルが用意してくれたクッキーも、美味しいです」
「ふ、そうやって、ロストが喜んでくれると嬉しいな」
「……シャルル」
「何?」
「もしかして、シャルルは俺のこと、口説いてますか?」
「え。……うーん? 口説いてなんていないよ。そう見える?」
「……俺は、シャルルから向けられる無条件の優しさに慣れなくて。でも、この心地良さがずっと続くなら良いなと、思います。……だから俺も、シャルルを大切にしたいです」
「……」
 ロストは俯いたままだったので顔を見ることはできなかったけれど、長い髪の隙間から覗く耳は赤い。それを見て微笑ましいような気持ちでいたらロストはこちらに振り向いた。
 視線が絡まる。瞳の奥が揺れている。少しだけ迷いがあったけどそのまま手を伸ばしてロストの頬に触れる。彼の肩が震えた気がしたけど、拒絶や恐怖ではなさそうだと推察し、構わず親指で撫ぜる。
 潤んだ瞳がじっと見つめてくる。どうしようもなく愛おしく感じる。唇を合わせてみたい衝動に襲われるけれど、今触れてしまったら歯止めがきかなくなってしまいそうで、やめた。
 代わりにロストの前髪を柔らかくあげて、母が子にするように額にキスを落とす。離れれば視線が懸命についてくる様子は、庇護を受ける小鳥のようだ。
「……ロストは可愛いね」
「……可愛くなど、ありません」
「可愛いよ」
「……」
 綺麗な銀の髪をすくってそこに口付けを落とすと、ロストは拗ねたようにムッとしながら、少し俯いてしまった。またちらりと、赤い耳が覗いている。
「ごめんごめん」
「……謝るくらいなら、言わないでください」
「言っても言わなくてもロストが可愛いのは変わらないし」
「言い方に問題があるんです」
「可愛い以外に、どう言えばいい? きれいとか、格好良いとか……?」
「……とにかく他の表現を探してください」
「うーん。難しいなぁ。ロストは本当に可愛いのに」
「……」
「怒った?」
「……怒ってません。困っている、だけです」
「困ってるのも可愛いよ」
「また……!」
 ロストが眉を吊り上げながら身を乗り出してきて俺に迫ろうとするから慌てて制止する。普段はもっと消極的で控えめだけど、俺に対しては時にこんな風に感情を露わにしてきたりもするのだ。それがとても、嬉しいと思う。
「ごめんごめん。反省してるから。許してほしい」
「……謝罪が軽すぎます」
「だって、実際可愛いから」
「シャルル。俺をあまりからかわないでください……それに俺は、あなたよりも、年上ですよ」
「俺とロストってあんま変わらないでしょ。あと、からかってないよ。本心だよ」
 ロストを真っ直ぐに見つめて微笑むと彼は再びため息をつく。俺に呆れているのか。それとも恥ずかしさの表れなのか。どちらにせよ可愛い。
 ロストがいれてくれた紅茶をもう一度口に運ぶ。落ち着く味だ。ゆっくり嚥下し余韻を楽しみながら視線を巡らせるとロストが目を伏せながら口の中だけで何か呟いているのが目に入る。
 そこで紡がれた言葉が気になるけど、聞かないであげるのが正解な気もして、黙っておくことにした。