「え、炭治郎……早いね……」
びっくりしちゃった、と驚いた顔の善逸は特徴的な眉を下げて笑った。その困ったような嬉しそうな笑顔を見るたびに胸が詰まる感覚がする。紛れもなく自分に向けて笑いかけてくれているものだと嬉しい気持ちと、男の自分では彼の中でそれ以上の存在になることはできないと思い知る気持ちがぐるぐると渦を巻いた。
善逸は女の子が好きだ。女の子という存在自体が大好きで、それは出会ったころからよくわかっていた。
「あの、……ぜんいつ……、やっぱり、嫌だ……」
報われないのがわかっていて、どうして好きになってしまったんだろう。いつか彼に大切な人ができても俺は応援するし、やがて彼がまだ見ぬ彼女と将来を共にすることになっても、俺は一晩だけ枕を濡らし、その後は親友としてしっかりと彼の新しい門出を祝ってやるつもりだ。俺の恋心は海より深い闇でひっそりと死に、一人寂しく肉体の死を待ち続けるのだ。
「ごめん。嫌って、何が?」
「……その、……一年生の、女の子のところに行くの……」
駄々捏ねるかなとか、怒って一人でも行くと言い出すかなとか、想定はしていたのだけど善逸は何も返さなかった。思考を巡らせている匂いがする。音で俺の気持ちを読もうとしているのだろう。善逸は頭がよく、回転も速いから、俺の言葉の真意を読み抜いた上で最適な返事を導き出そうとしているのだ。
たんじろう、と名前を呼ぶと同時、善逸のクラスメイトからヤジが飛んだ。
「おい我妻〜、後輩泣かすなよー!」
善逸はムスッと顔を顰めて「ちげーよ」と返すと場所変えようと提案してきた。ちょっと待ってて、善逸はそう言い残して教室の中へ走っていく。駆けていくその後ろ姿に少し切なくなって自分がいかに重症か思い知った。
「ごめん。お待たせ」
そう言って彼は迷いもない足取りでどこかへ向かう。その後ろ姿に「どこへ行くんだ」と問いかける頃にはどうやら目的の部屋に到着していたようだった。
「……生徒指導室……」
いいのかこんなとこ、と戸惑う俺を置き去りに、善逸はてきぱきと教室の鍵を開けて入っていく。もたもたしていると一瞬中に消えた善逸がひょっこりと顔だけ出して「早くおいで」と言った。
俺、三年になって風紀委員長になったからここの鍵持ってるんだよねぇ、とキーホルダーを指に引っ掛けて回しながら善逸がぼやいた。初めて入ったその教室は狭く、天井までのシェルフにはファイルがたくさん並んでいて狭い空間はより圧迫感を感じた。加えて閉ざされたカーテンのせいで室内は薄暗く、僅かに差し込む陽光で逆光になった善逸の表情は読み取りにくかった。
「……それで、なんで急にそんなこと言うの? さっきも嫌だって言ってたけどさ、仕方ないなって付いて来てくれそうだったじゃん。炭治郎だって彼女いないんだしさ、いいじゃん、可愛い子探しに行こうよ」
なんて答えようか。まさか馬鹿正直に「お前が彼女候補を探しに行くのを見たくない」とは言えまい。こういう時に嘘がつけない性格は少し不利かもしれないな。
答えあぐねて黙っていると、フッと善逸が笑った気配がして、顔を上げれば一歩二歩とこちらに歩み寄ってきた。なんとなく、距離を詰められるのが怖くてその分後ずさってしまうが、そもそも入り口付近にいたのですぐ扉に背が当たってしまう。あ、と気を取られているうちに、トン、と優しく顔の両側を腕で閉じ込められてしまった。
「……炭治郎ってさ、俺のこと好きだよね? だから? 俺が彼女作るの、嫌なんだ?」
「!! ……そ、そんなこと、ない……っ! 何を言ってるんだ……」
「いやいや、わかるって。……でも炭治郎、別に俺告白するわけでも、何かを求めてくるわけでもなかったし、なんなら何でもない風に取り繕っちゃってさ。音はすごい素直なのにね。まぁでも俺もさぁ、炭治郎と一緒にいるの心地良いし、お前が変える気ねぇなら俺もそのままがいいなと思って言わなかったんだよねぇ」
善逸はそう言いながら、右手で俺のもみあげを耳にかけて遊ばせた。いつもの騒がしさは鳴りを潜めてまるで別人のようだ。三年生になってグンと身長が伸び男らしくなった善逸は最近、時折 "男の色気" というものを感じさせるようになっていた。
どうしよう、気付かれていた。俺はもう頭の中がすっかり混乱して、なんて言うべきなのかわからなくなっていた。気のせいだと白を切るのか、はたまた不相応に抱いた気持ちを謝るのか。思考がぐるぐると巡っては消滅し、恥ずかしさで消えてしまいたかった。
「炭治郎、いじらしいね」
かわいいじゃん。耳を弄んでいた指がツゥ、と頬を撫でた。俺はびくんと身体を震わせて、電池切れのおもちゃのようにぴたりと固まってしまう。目だけは咄嗟に善逸の瞳を覗き込んでしまい、その距離の近さと瞳の深い蜂蜜色に囚われてしまった。
うーん、と何も悩んでいない匂いをさせながらわざとらしく考えるようなセリフを吐く。善逸は俺の頬に触れていた指を顎に滑らせクイッと上を向かせ視線を固定した。もう片方の腕は壁に肘をつき、先程よりも近い距離で本格的に善逸の檻に閉じ込められてしまった。
「……俺さ、炭治郎でもイケる気してきたわ」
お前、顔は禰豆子ちゃんとよく似てるもんな、と残酷に笑う。それは一切揶揄しているだとかそんな匂いはしなくて、ただ感想を言ったまでだというようだった。それがまた苦しくも辛くもあり、嬉しくもあった。
まるで心の中まで見透かすように。隠れた本音を引き摺り出そうとするように。深く、瞳の奥を覗き込まれる。善逸の瞳には昏く深い闇が見えた。
──あぁ、呑み込まれてしまう。愚かな欲に絡め取られて足元から堕ちていく音がする。
「いいよ。おいで、炭治郎。思い出、作ってあげる」
ガチャン、と錠の落ちる音は鳴り響くチャイムにかき消された。
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