1989年


 

1989年 全日本女子プロレス 
 

———まずはプロレスとの出会いについて聞きたいのですが。女子プロレスはいつ頃から観ていたんですか?

宇藤:いつからだろう…あんまり覚えていないんですよね、細かいことは…。でも、小さい頃から観てました。物心ついた頃にはもうビューティ・ペアが人気だったから…あの頃はゴールデンタイムでも女子プロレスが流れていたし。

———じゃあ小さい頃からプロレスファンだった…というわけではない?

宇藤:そうですね…あんまり興味がなかったかも。というのも…ほら、私、子供の頃から空手を習っていたので。子供ながらに「あんな見世物の何が面白いんだ」「技を自分から受けに行くなんてばかみたい」って思っていた時期があって(笑)。

———それでも中学3年生の頃に全女(全日本女子プロレス)の入門テストを受けていますよね?心境の変化とか、なにかあったんですか?

宇藤:心境の変化というか…当時、親の会社が倒産したりだとかいろいろあって。弟妹もいたから、お金が必要だったんですよ。それで、子供ながらにいろいろ考えて…当時はクラッシュギャルズのブームなんかで女子プロレスがものすごく儲けていた時代でしたでしょう?運動神経には自信があったし、「これはいい仕事かもしれないぞ」と。

———なるほど。テストは割とすんなりと受かった感じですか?

宇藤:そうですね。…ただ、今だから言いますけど、実は私って入門テストを知り合いの伝手で受けさせてもらったクチなんですよ。中学校の担任の先生が全女のプロモーターの方と知り合いで、紹介してもらって。その方から推薦していただいたんですよね。

———えっ、裏口ですか?

宇藤:いや、そこまでは多分行かないとは思うんですけどね…きちんといろいろ身体能力テストとかもやらされましたし…。

———入門したのは89年の4月。長与千種さんが辞める直前ですね。

宇藤:長与さんが引退されたのは5月頃だったので、ほとんどすれ違いみたいな感じですね。前日、同期の伊藤(伊藤薫)とか京子さん(井上京子)たちとリングづくりしたのを覚えてます。当日は売店でパンフレットを売ったり…。先輩も怖かったし控室なんかには入れなかったですね。

———やっぱり上下関係は厳しかった?

宇藤:そりゃ、もちろん。特に私は入門テストを受けるまでの経緯が特殊だったし、歳も一番下だったので、結構目をつけられてました(笑)。

———長与さんとのエピソードなんかはありますか?

宇藤:えー、そうだなあ…。長与さんはトップ選手で私は当時、まだデビューもしてない新人だから、ほとんど話したことはなかったけど…。ああ、でも、私、実は長与さんと出身地が近いんですね。長与さんは長崎で、私は福岡。…で、入門までの経緯もこれまた似ていて。空手をやっていたっていう共通点もある…っていうので、一度だけ長与さんが声をかけてきてくれて。「これから大変かもしれないけど、折れんなよ」って。当時はなんのこっちゃって感じでしたけど、でも、後々にこの言葉を実感するというか…。

———宇藤さんはデビューして間もない頃、結構な虐めに遭っていたというのは有名な話ですね。

宇藤:有名かなあ?…まあ、そうですね。デビューまでは結構平穏にやっていたんですけどね。

———きっかけとかはあるんですか?

宇藤:うーん…きっかけ…。…なんせ当時はちょっとしたことでもすぐ殴られてボコボコにされてって時代だったんで、一体なにがきっかけなのかっていうのはわからないですけど…。でも、やっぱり入団方法からして反感を買ってたっていうのもあると思いますし、あと、デビュー戦が後楽園ホールだったっていうのも後から聞いたら結構文句を言っていた先輩がいたとか。

———当時、練習中のしごきが原因で救急車で搬送されたとか。

宇藤:ありましたね!そんなことも…。まあ、当時は私も結構生意気だったので…それが原因で余計にいじめがヒートアップしちゃったのかなとも思いますけど。

———結構反抗的だった?

宇藤:はい。だって私、当時国さん(松永国松)に「不良娘」って呼ばれてましたからね。先輩に言われても言うことは聞かないわ、リングで気を遣って負けるようなことはしないわで…やられればやられるほど頑固になっちゃうから。当時、コーチにジャガー(ジャガー横田)さんがついていて、よく「もっと先輩に気を遣いな」って怒られてたんですけど、それでも治らないから…。病院に搬送されたときも目覚めて一発目に「だから言ったのに!」って国松さんには怒られました。

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