第八話「午後四時の影」

 

放課後。チャイムの音が、まるで今日の授業の終了を告げるゴングのように、長かった一日の終わりを私に教えてくれる。
やっと、本当にやっと今日も一日が終わったのだ。学校指定の、どこか古風なデザインの鞄の中に、ずっしりと重い教科書やノートを乱暴に詰め込みながら、私は誰にも気づかれないように浅く、しかし心の底からの息を一つ、大きく吐き出した。

勉強そのものは、決して嫌いではない。むしろ、新しい知識を得ることは好きな方だ。
だから、リリアンのレベルの高い授業も、決して苦痛だと感じたことはない。

…けれど、本当に、心の底からきついと感じるのは、毎回の休み時間のたびに、まるで蜜に群がる蟻のように私を取り囲む、あの熱狂的な四人組の存在だ。

いや、もちろん教室移動の際や、ふとした瞬間に遠巻きに送られてくる、一部の生徒たちからの過剰なまでの憧憬の視線も、なかなかに私の精神をすり減らすものではあるけれど…。

それでも、物理的に距離を詰めてべたべたとまとわりつかれるのは、それ以上に、もっと直接的に私の精神力をゴリゴリと削っていくのだ。


「史香さん、校門までご一緒に帰りましょう!」

重たい鞄を肩にかけ、今日こそは誰にも捕まらずに、そそくさと教室を後にしようとする私のその腕に、ふわりと柔らかな、そしてどこか甘い香りのする感触が絡みついてきた。
反射的に視線をそちらに向けると、そこには、まるで曇り一つない晴天の下に咲き誇る天使のように、完璧なまでの微笑みを浮かべた滝川邦子さんが、私の顔をじっと見上げていた。
丁寧に、そして念入りに整えられたであろうその髪は少しも乱れておらず、計算され尽くした完璧な角度で傾けられた小首と、そこに浮かべられた無垢な微笑み。

彼女は美しく、そして一度目標を定めたら決して逃さない、“抜け目なく迅速に行動に移せる”タイプの、ある意味では非常に厄介な少女だった。


「……ええ。別に、かまわないわよ」


他に、私にどんな選択肢があるというのだろう。
ここで下手に断ったりしようものなら、彼女のその大きな瞳に、まるで演出された舞台女優のようにみるみるうちに“哀しみ”を湛えた涙が浮かび、そして次の瞬間には、また周囲の生徒たちが「まあ、なんてこと!」「史香さんが冷くするから…!」などと不必要に騒ぎ立てる羽目になるのが、目に見えているのだから。学習能力というものが、私にも多少は備わっている。

すると、私のその諦めに満ちた返事を聞き届けたかのように、反対側から「ああ、邦子さんだけずるーい! 私もですわ!」と、これまた砂糖菓子のように甘ったるい声がしたかと思うと、私のもう片方の腕にも、別の女生徒がまるでじゃれつく子犬のように、しっかりと抱き着いてきた。
ふわふわとした、明るい栗色の髪が、ちょうど開け放たれた窓から春の終わりの名残を惜しむように吹き込んできた微風に、さらさらと心地よさそうに揺れている。私の腕に自分の頬をこれでもかと擦り寄せながら、満面の笑みを浮かべているのは、クラスでも特に小動物的な可愛らしさで男子生徒がいたらさぞ人気が出ただろうと思われる、西原香純さんだった。


「私も史香さんとご一緒に帰ってもいいでしょ、史香さん。ね? ね?」


その言葉の語尾の一つ一つに、まるで目に見えないピンク色のハートマークが、きらきらと舞い踊っているかのように錯覚させられる、そんな甘ったるい声で、彼女は私の顔を下から覗き込むようにしてそう言った。

「……ええ、もちろん、どうぞ」

私は、もはや悟りを開いた高僧のような、諦観の境地でそう答えるしかなかった。そして、彼女たちのその羽のように軽やかで、しかし鉛のように重たい甘やかな重さを両腕に感じながら、まるで囚われの姫君にでもなったかのような気分で、のろのろと廊下へと足を向けた。

幸いというべきか、帰宅部であるこの二人以外の、残りの追っかけメンバー二人は、それぞれテニス部と手芸部に所属しており、今はまだ部活動の真っ最中でここには不在だ。その、ほんの些細な事実に、私は内心、心の底から安堵のため息をついていた。四人勢ぞろいよりは、二人の方がまだ、何倍もましだ。

とはいえ、この左右に残った二人だけでも、そのお喋りの勢いは凄まじい。喋る、喋る、ひたすらに喋る。

最近、デパートのコスメカウンターで新しく買ったという限定色のリップグロスの話、週末にお母様と一緒に行ったという話題のパティスリーの新作ケーキの話、そして、どこから仕入れてくるのか不思議でならない、真偽不明の学校内の様々な噂話……。

私は、そのとめどなく流れ続ける言葉の奔流の合間に、ただひたすらに「そう」「へえ、そうなの」「なるほどね、それはすごいわね」と、まるで自動応答装置のように、まったく心のこもっていない気のない返事を、ただただ機械的に挟むのみ。

そうして、まるで両脇を屈強な護衛に固められたかのようにして三人でぞろぞろと歩く、この見慣れたはずの廊下の景色を、どこか遠い世界の出来事のようにぼんやりと感じながら、私はふと、思う。

—————今のこの私は、周りの生徒たちの目に、一体どのように映っているのだろうか。

目には見えない、けれど確かに存在する様々な噂。
すれ違いざまに、ひそひそと交わされる囁き声。その声のトーンや、ちらりと向けられる視線には、私という存在に対する、どこか熱に浮かされたような憧れの感情と、そして今まさに私の両腕にこれでもかと引っ付いて離れようとしないこの二人に対する、羨望と嫉妬が入り混じったような、複雑な眼差しが、手に取るように見て取れた。

───何か特別な自分を“演じている”つもりなど、これっぽっちもないというのに。
周囲が勝手に私に理想の姿を期待し、そして勝手に私を見上げている。

私はただ、誰にも注目されることなく、このリリアンという場所で、できる限り静かに、目立たずに過ごしていきたいだけ、ただそれだけなのに。

「ねえ、史香さん。今度、わたくしたちとお揃いの香水、買いに行きましょうよ」
「駅前に、すっごく美味しいケーキの食べれる可愛いカフェを見つけたの! 今度、ぜひご一緒に…」


まるで、そんな私の心の奥底からの切実な声など、露ほども届いていないかのように、二人の屈託のない“可愛らしいお誘いの提案”は、まるで初夏の夕立のように、次から次へと容赦なく私の上に降り注いでくる。
ここで、やんわりと、しかしきっぱりと拒めば、彼女たちを無駄に悲しませてしまうことになるだろうし、かといって、曖昧に微笑んでその場をやり過ごそうとすれば、かえって彼女たちに余計な希望を抱かせてしまうことになる。
この、まるで綱渡りのように、常に細心の注意を要求される、絶妙なバランス感覚を保ち続けるという試練に、私はいったい、いつまで耐え続けることができるのだろうか。
だいたいにおいて、私にとっては、彼女たちのこの行動原理そのものが、まったくもって意味が分からないのだ。彼女たちの考えていることが、私には少しも理解できない。
このリリアン女学園に入学するまでの間、私はずっと、男女共学の、ごく普通の学校で育ってきた。そして、そこではただ普通に、当たり前のように、男の子と出会い、恋をして、そして傷つき、失って、そしてまた、どうにかこうにか日常を生きていた。
同じ性別の相手に対して、こんなにも真っ直ぐで、そしてある意味では盲目的とも言えるような熱烈な感情が向けられることがあるなんて、私はこれまで、まったく知らなかったのだ。
それが、このリリアンという特殊な女の園では、ごく当たり前の光景なのだろうか。
それとも、何か特別な、そして少々厄介な例外が、たまたま私の周囲にだけ、まるで毒キノコのように、にょきにょきと咲いてしまっているというのだろうか。
そんな、答えの出ないことをぐるぐると考えている、まさにその最中だった。


「———ちょっと、あなたたち、少しよろしいかしら」


そんな、鈴を振るような、けれどどこか凛とした、非常によく通る涼やかな声が、私たちのすぐ後ろから響いたのは。
はっとして声がした先へと振り返ると、そこには、夕暮れ時の茜色の光を背に受けて、一人の女生徒が、まるで舞台の登場人物のように立っていた。
丁寧に手入れされた、艶やかな長い黒髪と、どこか怜悧な光を宿す、切れ長の涼しげな目元。
それは、ただ単に「華やか」という言葉だけではとても表現しきれないような、とんでもないほどの気品と威厳を兼ね備えた美少女だった。


「あ…っ、ろ、紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)…!」

隣にいた邦子さんが、まるで金縛りにでもあったかのように目を見開き、そして、どこか畏怖の念を込めたような声で、ぽつりとその長ったらしい名称を呟いた。

紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)。
それは、確か…このリリアン女学園における生徒自治組織である「山百合会」の中核をなすメンバーである「薔薇さま」の一人、「紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)」の正当な妹(プティ・スール)にのみ与えられる、特別な称号だったか…。
あまり興味がないので、うろ覚えではあるけれど。

彼女は、いささかも揺るがぬ毅然とした態度で、私たち三人をその強い光を放つ瞳で見据え、そして、かつ、かつ、とリノリウムの床にハイヒールが刻むような、規則正しい靴音を響かせながら、私たちの傍へと静かに歩み寄ると、まるで磨き上げられた水晶のように玲瓏な声で、きっぱりと言った。

「…あなたたちが仲がいいのは結構なことだけれど、ここは公共の廊下よ。そうやって三人で横一列に広がって歩かれると、他の方々の迷惑になるということが、お分かりにならないのかしら」

そう厳しく言われて、私は、はっと我に返った。
意識が、どこか遠いところへ飛んでいてすっかり忘れていたけれど、言われてみれば…。
私たちの周りを通り過ぎていく他の生徒たちは、明らかに私たち三人に気を遣って、壁際に身を縮めるようにして、窮屈そうにすれ違ってくれていたのだ。まったくもって、申し訳ないことをした。

「…申し訳ありませんでした。不注意でした」

私が代表してそう頭を下げると、彼女はそれ以上何も言わず、ただ静かに頷いた。

「次からは、もう少し周囲にお気をつけなさいな」

それだけを冷ややかに言い残して、その「紅薔薇のつぼみ」さまとやらは、まるで風のように颯爽と私たちのもとを去って行った。それを見送る、私と、そしてなぜか恐縮しきっている邦子さん、香純さん。

結局、私たちは、校舎の出口である昇降口にたどり着くまでの間、まるで叱られた小学生のように大人しく二列になって歩くことになった。そして、その道すがら、邦子さんと香純さんが、ぽつり、ぽつりと、先ほどの「紅薔薇のつぼみ」さまについて、興奮気味に話し出したのだ。

曰く、先ほどの女生徒の名は、小笠原祥子さま。正真正銘の紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)であり、なんと、あの日本有数の大財閥である小笠原グループのただ一人のお姫様。
生まれながらにして選ばれたような、生粋のお嬢さまで、このリリアン女学園の生徒たちにとっては、まさに手の届かない、憧れの的、高嶺の花のような存在なのだという。

なるほど。それは、それは。

たしかにあの人、そんな、そこら辺の生徒とは明らかに違う、特別な雰囲気を全身から醸し出していたような気がする。育ちの良さというのは、こうもあからさまに表れるものなのだろうか。

…もし、私もあんなふうに、どこか近寄りがたいほどに気高い感じでいたら、こんな風に毎日のように誰かにべたべたと引っ付かれたりすることも、もしかしたらなくなるのだろうか。


いや、それはどう考えても無理な相談か。

元が、下町育ちのド庶民なこの私じゃ、逆立ちしたってあんな風にはなれっこない。
あの、紅薔薇のつぼみとかいう人が、ごく自然に醸し出していた、あの孤高とも言えるような研ぎ澄まされた雰囲気は、まさしく彼女がこれまで育ってきた特別な環境があるからこそ身についた、本物の気品というものだったに違いないのだから。私には、到底真似のできることではない。

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