人物相関図

 


岸黒江
現代最高峰のうちの一人とも称される天才ピアニスト。母に似た美貌の麗人。
作曲家としても優れた才能を発揮し、ヴィヴァルディの「四季」をオマージュした「四季にまつわるピアノ協奏曲」はクラシックとしては異例のセールスを記録し、ミリオンセラーを記録。その美貌と相まって、遠くヨーロッパではスター的扱いを受けている。
驚異的なテクニックと相反するかのような高い表現力を持ち、ピアニストとしては超一流の域に達しているが幼少期の父の不遇な死と才能にのみ執着する母からの影響を受け、人間性にややが難がある人物。
才能を持ち、あらゆる栄光を受けながらも母の意向のみでピアノを続けてきた自分の人生への価値に疑問を持ち、また早熟の天才故の「今以上に上り詰めるべき高みなどあるのか」という苦悩を抱いている。
活動休止中の黒江を案じた祖母経由の伝手により宝塚歌劇団の新作公演の作曲を手掛けることとなり、その縁で宝塚の世界に携わるようになる。霧矢を始めとした多職種の人々との出会いなどを通して自身が何より音楽が好きであることと、生涯音楽を続けていくうえで終わりなどなく、常に上るべきは自分自身であるということに気づく。以降は母と決別し、自らの意思で音楽を続けていくことを心に決める。
子供らしくヒステリックな面も見受けられるがその才能故に師以外に叱られたことはほとんどなかったため、自分を叱ってくれた霧矢のことは姉のように思っている。
母親の実家は資産家で、千代田区生まれ・育ちのお嬢様。
また、自身の興行的な成功もあって資産力もあるため金銭感覚に疎く、浮世離れしている。身の回りのことは基本的に秘書とハウスキーパーに任せきりであるため基本的な家事も危うい。

霧矢大夢
記念すべき大劇場お披露目公演で岸が作曲を行うこととなり、彼女と出会う。美貌と才能を持ち合わせた岸のことを当初は「自分には程遠い人物」として見ていたが、歌練習中に彼女と鉢合わせたことをきっかけとして、互いのことを知り合っていく。
彼女の才能があったがために落とされた人生の陰を知るうちに放っておけなくなり、次第に親しく付き合っていくこととなる。
彼女の復帰公演に招待され、ラフマニノフを聞いた際「神が与えた才能とはこのことをいうのだ」とその演奏に感動を受け、それと同時にトップになった自分の進退について考えるようになる。



現在も遠距離恋愛継続中。
互いに仕事が忙しく、また住んでいる国も違うためになかなか会う機会は少ないが折を見て再会している。岸は性格面も随分と成長したが、未だに金持ち生活を送っているため浮世離れしている。


岸黒江
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸黒江(1993年〈平成5年〉11月24日-)は日本のピアニスト、作曲家。
200年、ショパン国際ピアノコンクールで日本人として初優勝を果たした。現在はヨーロッパを中心として活動している。
桐朋女子高等学校中退、ウィーン国立音楽大学卒業。これまでに岩本修吾、中屋麻里子、コンスタンチン・クズネツォフなどに師事している。


岸 黒江



基本情報
 出生名     岸 黒江
 生年月日    1993年11月24日(29歳)
 出身地     日本・東京都千代田区
 学歴      桐朋女子高等学校中退
         ウィーン国立音楽大学卒業
 ジャンル    クラシック音楽
         付随音楽
         現代音楽
 職業      ピアニスト
         作曲家
 担当楽器    ピアノ
 活動期間    200年 - 現在
 レーベル
 著名な家族   九重美耶子(祖母)
 公式サイト   Chloe Kishi profile


目次[非表示]

1 来歴
2 人物
3 活動
4 ディスコグラフィー
5 受賞歴

 



来歴


東京都千代田区出身。祖母は元宝塚歌劇団月組主演娘役の九重美耶子。父はピアニストとして活動しており、父の影響で物心つく前からピアノに触れて育つ。
2002年、9歳で全日本学生音楽コンクールピアノ部門の小学校の部で1位受賞。このコンクールで優勝したのを機に注目を受け、翌年の2003年に「佐渡裕 ヤング・ピープルズ・コンサート」に出演。また同年12月にはサントリーホールにて行われた第九特別演奏会で新日本フィルハーモニー交響楽団(指揮:佐渡裕)と共演。ハイドンピアノ協奏曲ニ長調を演奏し、デビューを飾る。

2004年、11歳でピティナ・ピアノコンペティションで特級グランプリを受賞。これは史上最年少の記録となり、現在まで破られていない。

2005年、NHK交響楽団(指揮:ウラディーミル・アシュケナージ)と共演。指揮者を務めたウラディーミル・アシュケナージは世界的ピアニストでもあり、彼にその才能を評価された岸は短期の海外留学を勧められ、同年より半年間ポーランドへ音楽留学を行い、世界的奏者であり、また講師としても著名なコンスタンチン・クズネツォフへ師事。彼から多大な影響を受けるに至り、以降は学生生活を送りながら頻繁にポーランドへ渡ることとなる。

2006年、13歳で第7回ショパン国際ピアノコンクールin ASIAの中学生の部へ出場し、出場者最年少で金賞受賞。

2007年、14歳でポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団(指揮:ガブリエル・フムラ)と共演。海外の交響楽団との共演は初となる。ポーランド出身の音楽家であるショパンのピアノ協奏曲を演奏し、高い評価を受ける。また同年7月には前年に再びNHK交響楽団の定期演奏会に出演した際に指揮を務めたパーヴォ・ヤルヴィの紹介を受け、シカゴ交響楽団とラヴィニア音楽祭で1日のみ特別共演を果たし、ブラームスのピアノ協奏曲第二番を演奏。数多くあるピアノ協奏曲の中でも難曲に位置づけられる本曲をスケール豊かに演奏し、スタンディングオベーションと喝采を受ける。この演奏の成功により、翌日のニューヨークタイムズの表紙を飾り、一躍話題となる。

2008年、自信初のソロ・リサイタルを行う。

2009年、予てより音楽活動により学業に専念する時間がほとんどなかったとの理由により入学後約2か月で桐朋女子高等学校を退学。その後はヨーロッパを拠点として本格的に音楽活動を行っていく予定であったが、クズネツォフがこの年からウィーン国立音楽大学へ講師として就任することを聞き、彼の師事するため、ウィーン国立音楽大学へ入学。

2010年、ショパン国際ピアノコンクールに出場し、優勝。合わせて、最優秀ソナタ演奏賞も受賞。45年ぶりの女性ピアニストであり、史上最年少優勝者として注目を浴びた。同年12月には帰国し、サントリーホールで凱旋公演を行う。

2012年、本来であれば4年かかる大学課程を飛び級し、僅か1年半で卒業。その後大学院には進学せず、本格的にプロのピアニストとして活動を開始する。

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