flapaway(刀剣)

父はオルゴールを作る仕事を生業としている。若い頃に海外で修行した。素敵な音色を生み出す両手は結構人気の職人だったりするのだ。

私は、物作りをする父の姿が好きだった。幼いころから見ていた父の背中はとても大きく、越えられないものだと思っていた。物静かで、職人気質。だけども、人一倍努力を惜しまず、新しい事柄にチャレンジしてゆく精神はすごい。


そんな父が突然煙のように消えた。いつものように、自宅近くの工房に向かうと言って跡形もなく。

当時は、家族や警察と共に一生懸命捜索の手を尽くしても父が見つかることは無かった。特に母の様子はなかなかひどく、しばらく別人のようだった。

友人達は、私に慰めを掛けてくれたり美味しいものを食べに行こうと、父のことを話題に出さず、一緒に遊んでくれたりもした。


少しずつ心の傷も癒えてきたとき、衝撃的なことが起きた。突然、私の父が帰ってきたのだ。

あれは、私が高校二年生の時だった。惨憺たる理数科目の結果に、どう言い訳しようかと思いながら帰宅すると、母がいきなり私を抱きしめた。いきなりどうしたのかと目を白黒させていると、母は凄く嬉しそうな声で言った。

「お父さんが!お父さんが帰ってきた!帰ってきたのよ!今、お茶飲んでる!」

母はとうとう幻でも見始めたのかと思ったが、あまりにも嬉しそうな顔を見ていると、本当のことのように思われた。半信半疑で、私を居間に案内してもらった。

すると「名前、おかえり」と男性の声がした。

この声は。

信じられない。スクールカバンを床に落として、父を見た。あの消えた日と同じ服装だ。私は、震える足で近づき言った。

「本当に?本当にお父さんなの?」
「本当だよ。名前のお父さんだよ」

本当に父の体だった。
あの忘れもしない、腕に着いた無数の切り傷と火傷のあと。漆でかぶれた両腕。少し色の禿げたジャンパー。私と妹がプレゼントで渡した携帯ストラップ。

本物だ。何もかも本物だった。


「おかえりお父さん!!」
「ただいま」

父の笑顔は変わらなかった。
ほどなくして、妹も帰ってきたが、妹は化け物でも見たような悲鳴をあげた。驚きすぎたのか腰を抜かしてしまっていた。



行方不明の父が戻ってきたという話は街中を駆け巡り、私たち家族には「良かったね」「ほっとしたでしょ」と声をかけられた。中には、父の捜索を手伝ってくれた警察官の姿も見えた。父は前と同じく笑っていた。病院で鑑定を受けたがなんの問題のない健康体だった。

母は父が戻ってきて嬉しさのあまり、張り切って手料理を振舞った。父の好物ばかりが並んでしまったので、「お父さんの好きなものばっかりー!」と妹は不満げだった。しかし、彼女も母と同じく父がいなくなって不安だったのか、ほっとした顔を見せる。

家の雰囲気は以前よりも活気づいたし、家族で過ごすこともより多くなった。ただ一つ変わったのは、父が家の中で仕事をする。これだけだ。

これは、母からの要望だった。「もうあなたに会えない日々は過ごしたくない」と言ったのだ。父もそれを了承した。いなくなっていた時のことを何度か尋ねてみたが、父は「今度話すよ」と言うだけだった。話を振った時の父の顔は、どことなく顔がこわばって見えた。もしかしたら話したくないほど辛い記憶なのかもしれない。私は結論づけて、その話題を避けた。


父が戻ってきて半年が過ぎた。蝉が鳴き始める季節となり、父のいなくなった季節によく似ていた。あれほどやせ細った母は元の体型に戻りつつあるが、この時期にいなくなった父のことを心配している。

「あなた、また居なくなったりしないわよね?」
「まーちゃんや名前達を置いていったりしないよ。僕、昨日だって君の隣にいただろう?」
「そりゃそうだけど」
「何ならおはようからおやすみまで一緒にいようか?」
「それはキモいからやめてくれます?」
「冗談だよ〜」

まーちゃんというのは母のあだ名だ。付き合っている時からのあだ名なのだと聞く。今の母らしからぬ可愛らしいあだ名だ。

「心配で仕方ないのよ。またいなくなったらどうしよって考えると…」
「僕が君たちの前からいなくなるとしたらあれかなぁ。病気とか太刀打ち出来ない時だよ」
「笑えないじゃないの!」

父は楽しそうに笑いながら言った。やっぱり父がいるといい。



夏が終わりかけてきた。今夏は、昨年よりも酷暑だと聞いていたが、体感的には去年の方が暑かった気がした。蝉は激しく鳴き続ける。家の近くにアブラゼミが多く止まる木々があって喧しいことこの上ない。

私は、大学か短大のどちらに進学しようか悩んでいた。両親は「行きたい方を選びなさい」と言ってくれているが、私にあっている選択肢はどちらなのだろうかと思う。やりたいことが見つからないモヤモヤは、勉強へぶつけた。そして図書館や学校、自宅を行き来するというサイクルを繰り返し続ける毎日だった。父は相変わらず家のなかで仕事をしている。体は健康体でも、指先のリハビリとして小さな小物類を作っている。なかなか好評らしく、買い付けに来る人も見かけた。また、父がいなくなった仕事場には、母同伴で必ず向かっている。以前にも増して、両親の仲は良くなった。


「ただいまー」
「……ですから、それはお断りしました!」
「しかしですね。貴方様がいらっしゃらないと、あちらの方々は何をしでかすか恐ろしいのです」
「そう言いますけどね。大体、僕自身拉致されて審神者をやっていたようなもんです。それに、あそこにいる彼らは…」
「貴方様が逃げたと言ってお怒りなのです。どうか犠牲者が出ぬようお戻りを」


図書館から帰ると、客間で父と誰かの争うような声がしている。普段、声を荒らげない父が珍しいと思いつつ、そっと部屋の中を窺った。父は奥の席にいて、手前にはスーツを着た男性が二人いた。父の知り合いなのか。彼らの間にはわからぬ言葉が飛んでいた。

「審神者」「本丸」「歴史修正主義」「彼らは待ってくれない」……

もしかしたら、いなくなっていた間の父を知っている人なんだ!私はそう判断し、バレないよう注意深く彼らの話し会いを聞き入った。

「命も惜しかったからあんまり関わらないようにしていたんですよ?」
「刀剣男士の皆様は貴方様のひたむきな気持ちに向き合って下さり、墜ちる手前から戻ってきて下さりました。それに、彼らは『主が戻ってこなければ刀解してほしい』と泣かれてしまいます。こちらとしても心苦しいですので今一度お願いしたく思います」
「感動するっつってもな、ただ単に飯食わせて、手入れしてただけだよ。それに僕は前の主の代理として審神者の仕事をこなしていただけだ」
「それがそつなくこなされていたのは名字様、貴方様」

「どうかお願い致します」

男の人達は深々と父に頭を下げた。



「誰かいるのか?」
「あ、お父さん…」

足音を立ててしまいバレてしまった。観念して部屋に顔を出すと父が目を大きくした。

「名前、お前聞いてたのか」
「う、うん。お父さん、お茶……いる?」
「あー、いいよ。どこから聞いてた?」
「お父さんが怒鳴ってたとこ」
「ほぼ最初からじゃないか…」
「お嬢様ですか」
男性は驚いたようだった。ややあって、「お嬢様でしたら…」と続けた。しかし、父がものすごい形相で、
「審神者になんてやらせないぞ。もしやらせるなんてなったら絶対に僕が止める」
「しかしですね、貴方様が戻らないとなれば、こちらも手段はございます」

二人とも絶対に譲らないように見える。まるで風神と雷神が戦っているようだ。しばらく、また私を挟んでバトルをしていたが、男性の方が「今日はここで帰らせていただきますね。また伺います」と言って帰っていった。

さて、彼らのことも気になった私は、父に静かに尋ねた。

「お父さん、いなくなった時何してたの?」

今話してほしい。ただそれだけを思った。父は覚悟を決めた様子で話し始めた。

――長くなるけどいいか?
ーーうん。

――父さん、仕事に向かう途中でな。大きな穴みたいなのに吸い込まれたんだ。それで気づいたら大きな屋敷の前にいてな。ここはどこなのかと思っていたら、喋る狐が現れた。面食らったよ。妖怪かと思っていたら、その狐に「貴方が新しい審神者様でございますか!ようこそお越しくださいました!」とすごく喜ばれたんだ。

――審神者っていうのは?
――審神者は神社の神主さんみたいな仕事を指すんだ。霊力持ってたらしいんだよ、父さん。そんで、狐に連れられて屋敷の中に入った。中はすごく汚いのと傷ついた子達が沢山いてね。名前くらいの子も多くいた。狐がその子達を手入れしてくれって言われて、あわてて救急セットがないか確認していたけど何にもなくてね。こりゃどうしたもんだと思っていたら、傷ついた子の一人が、「俺たちは刀だから刀を治さないといけないんだ」と教えてくれた。どう見たって人間の彼らだったけど、本体というそれを治したら、彼らの傷も治っていったんだ。凄く倒れてしまいそうだったけど、踏ん張って直していった。

――さっきいた人達は?
ーーその付喪神を管理する人達だよ。信じられないだろうけど今より200年も先の未来からやってきていたんだ。

ーー200年!?
ーーそう、200年。

ーーお父さん、幽霊見えたの?
ーー見えるわけないよ。今の今までね。付喪神が見えるってのは霊力と呼ばれるものが潤沢にあったからみたいなんだ。その霊力をどかどか使っては直し、使っては直しの日々。最初は中々ご飯とかも食べてくれなくて、まるで預かった猫みたいだった。

手をさする父の顔は穏やかだった。

ーー半年くらい経ったかな。その頃には付喪神達も元気いっぱいになった。その頃には政府の役人さんと連絡も取れていたから、いきなり審神者をやる羽目になったと伝えたら凄くびっくりされたけど、いい人だったから、名前たちのいる時代に返すと言ってくれたんだ。ああ、やっと帰れると思って、付喪神の子達に伝えたんだ。そしたら、「主は俺たちを見捨てるのか?」「俺は主を慕っている」と泣きつかれてしまった。困ったよ。正直、そこまで慕われることなんてなかった。しかも、ちょっとずつおかしくなったんだよね。

ーーどういう感じに?
ーー執着したり、僕の夢枕に立ち始めたんだ。こりゃいかんと思って狐のこんちゃんに霊力測定をお願いした。なんとびっくり、人間をやめかけてたよ。

ーー父さん普通の人なのにね。
ーー全くだよ。いやはや、美形の考えることは恐ろしい。少しずつ毒のように、神気を食わされてた。はあ、僕のどこがいいのやら。あ、神気っていうのは神様のオーラみたいなやつね。彼ら、めちゃくちゃイケメンだから、興味本位でちょっかいをかけてきたのかもしれない。

父はそこまで話終えると、お茶を口に含んだ。何とも、父の口から聞けたのはSFもびっくりな体験談だった。処理しきれぬ頭で父を見れば、父は笑って私の頭を撫でた。

ーー名前も霊力はあるから狙われるかもしれないけど絶対に僕が守るからね。

その言葉は父がまた遠くに行ってしまう気がして、私は固く父を抱きしめた。



異変が起きたのは11月に変わった日からだった。毎晩、悪夢を見ると父はげっそりした顔で言った。母と妹は心配していたが、父は強がるように「ただ夢見が悪いだけだよ」と言った。私は、前に聞いた付喪神の仕業なのかと思った。案の定、私と父の二人きりの時に尋ねるとドンピシャだ。そこからが早かった。あっという間に父は彼岸へと旅立った。

「午前2時18分。ご臨終です」

私は辛うじて、泣かぬよう口を固く閉じ、我慢した、隣にいた母と妹は歯の隙間から声が漏れ、号泣していた。こんなのってあんまりだ。せっかく、父とまた会えたのに。父が亡くなるなんて。私は父に対する付喪神のしつこさを侮っていた。もし私が審神者になっていたならば。父をこんな風に失うこともなかったのだろうか。


父の葬式にはたくさんの人が来ていた。母は気丈に振舞っていたが、弔問客が一通り帰ると、一際目立つ美形の人がやってきた。金髪碧眼の王子様みたいだった。すぐに、父の言っていた付喪神のひとりなのだと分かった。彼は私を見つけると一目散に向かってきた。そうして、謝罪の言葉を向けた。

「アンタの親父を守れなくてすまない」

ポロポロと涙をこぼす彼は、付喪神の彼と思えないくらい綺麗だった。

「いえ、父はどんなでした。すごく楽しげに話していたので気になります」
「……俺なんかが話してもいいのか」

多分、この人は父のことを一番に考えていてくれたのだろう。ポロポロと泣きこぼれていて、美形が台無しだ。父を連れていった付喪神は嫌だが、この人はただ父を大事に思っていてくれたんだ。それこそ、父親のように。


「ええ、ぜひ」

金髪の人にうまく笑えたであろうか。