「渚君、やる気はあるか?」


少しも足取りぶれることなく真っ直ぐ向かった烏間は、ナイフを渚の前に差し出した。驚く皆をよそに烏間は言葉を紡ぐ。


「選ばなくてはならないならおそらく君だが、返事の前に俺の考え方を聞いて欲しい。
地球を救う暗殺任務を依頼した側として…俺は君達とはプロ同士だと思っている。プロとして君達に払うべき最低限の報酬は、当たり前の中学生活を保障する事だと思っている」

『(…烏間)』

「だから、このナイフを無理に受け取る必要は無い。その時は俺が鷹岡に頼んで…報酬を維持してもらうよう努力する」


その言葉を噛み締めるかのように烏間の目を見据え聞いていた渚は少し不安げな表情を見せものの、烏間からナイフを受け取った。あんなにも堂々と「やります」と言った渚に驚いたのはナイフを渡した烏間本人だったけれど。彼も覚悟を決めたようでそっと渚に耳打ちをする。


一方私はガシガシと後頭部をかいて、近づいた渚の頭を遠慮なく撫で回した。少しでもリラックスできるように。ほんの少しでもいいから、その緊張が解れるように。


「君と奴の最大の違いは、ナイフの有無じゃない。わかるか?」

『あの気に食わない男を、たった一度…暗殺すりゃお終い』


コクン、と不安げに頷いた渚は鷹岡と対峙する。いつも持っているのは殺傷力の無いナイフで、今彼の持つナイフは本物だ。切れ味もさることながら、きっとそれは重たく、冷たいものだろう。遠くからでもわかる、グリップを持つ渚の手の震えが。考えずともわかる、渚の思考が。

私の中に渦巻くモヤモヤとしたこれは確かに“不安”という気持ちだけど、不思議と渚が鷹岡に負ける図は思い浮かばない。心配はあるけど、不満はない。ちら、と烏間を横目で見れば目が合ってしまった。溜息を吐かれたのが見える。僅かに眉を顰めると烏間は顎で渚達を刳る。

目を逸らすなと、言いたいらしい。別に言われなくても逸らすつもりなんて無かったけれど。視線を烏間から逸らし、二人に戻したところで渚は歩き出した。

歩き出した、と言えば語弊がある。僅かながらもでも震えていた手が、震えていた渚の細い足が、引けていた腰が、お前の記憶違いだと言われているかのように収まっていたのだから。

まるで鷹岡が見えてないような表情で、友達と歩いているかのような笑顔で、けれど視線は鷹岡から外さずに。重く冷たいはずのナイフをただの鞄のように持って、ゆっくり歩んでいく。

それは異常なる光景。鷹岡だって表情を変えずに───いや、変えられなかったという方が的確だろう。一歩たりともその場から動かなかった。いや、動けなかったのだろう。渚の一挙一動をテレビか何かを見ているような、第三者になったような思考で見ていた事だろう。

それ程両者が立っていた位置は離れていなかったから、ついに鷹岡の構える左手に渚の胸板が当たる。身長差から鷹岡を上目遣いで見上げた渚は笑顔を消し、無駄のない動きで高岡の頚動脈を狙いナイフを振るった。しかし呆けていても、そこは腐っても自衛官。無論そのナイフは当たる事はなかった。無かったものの、正直避けたと言っていいものか。如何せん大袈裟に避け、腰が抜けたかのように重心が後ろに偏り過ぎている。あのまま足払いを掛ければ簡単に地面に組み伏せられる事だろう。

渚はそのまま鷹岡の服を引っ張り尻もちをつかせれば自身の身体をくるりと反転させ、背後を取るとナイフを首元にあてがった。刃ではなく峰部分を当ててやっているのは渚の優しさなのだろうが、ちゃっかり喉頭隆起を押さえてる所を見るとこの子怖い。挙句、


「捕まえた」


なんて安堵したかのような顔で言ってのけるのだから。


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