翡雨の節は憂鬱。ずっとそう。


 ガルグ=マクの端っこ、共同墓地の更に端、万年日陰なんじゃないかと疑わしい場所にはベンチが一つだけ置いてあって、そこに座っていた。
 お墓なんてただでも辛気臭いのに、その中でも一等薄暗い場所に座ってもらおうという、設置者の意図がわからない。
 でも、お墓もお葬式も、誰かの損失を合法的に嘆いたり悲しんだりするための装置や儀式だったりするわけで、このベンチも、どうせならより深く沈んでもらおうという気遣いなのかもしれない。
 余計なお世話だと思うけれど、どうも生きているうちに、腹が立って悔しいとか、なんとなく寂しいとか、ちょっとした理由では泣けなくなってしまってしまうよう、人の大半は設計されているらしいから、誰かにとっては優しいのだろう。
 そんなことを考えていると目の前に花束が差し出された。白くて小さな花がたくさん寄り集まっている。
「やあ、物憂げなお嬢さん。君にこれを」
 顔を上げると赤毛の男の子が立っている。暗がりにいたせいか白も赤もなんだかずいぶん眩しい気がして、思わず目を細めた。
「そんなしけたツラしてるとせっかくの花も霞んで見えちまうぜ」
「シルヴァン、相変わらずなのはいいけど、幼なじみにまでそれはどうかと思うよ」
 僕が苦言を呈すると彼は悪戯っ子のように笑った。
「でも真面目に慰められたら嫌な顔するだろ」
「それはお気遣いどうも」
 花束を受け取ると、シルヴァンが僕の横に腰掛ける。彼は足を組んで腕を椅子の背に投げ出した。顔が空を仰ぐ。
「前節はおまえの晴れ舞台が見れなくて残念だったなあ」
「そんないいものじゃないよ」
「……なあ、踊らねえの?」空を仰いだままシルヴァンが言った。
「今ここで?踊らないよ」僕は首を振る。
「そうじゃなくて、さっきまで読んでたやつ」
 シルヴァンは僕の手元を指差した。僕の手の中には花束のために端に追いやられた紙切れがあって、彼はそれを指しているようだった。
「実家からだろ?フィラムさんが亡くなって……もう五年か。修道院に来てから一度も戻ってないって聞いたぞ。いい加減、帰って来いって書いてあるんじゃねえの?」
「うん」僕は彼に手紙を差し出した。「読む?」
「いや、読まねえよ。そこまで厚顔じゃないぞ俺は」
「平手打ちされても面の皮は厚くならない?」
「……お前ね」
 シルヴァンが目を細めて僕を見る。その視線を遮るように手をあげた。
「いや、冗談。わかってるよ、君は存外慎ましいよね」
「その言い方もなあ」彼はぼやいて、また空を仰いだ。
「家に戻って、ふさわしい弔いを、だってさ」
「帰らねえの?」
「帰らないよ」
「なんで?」
「だって今節は行くところがあるもの」
「それは別にお前じゃなくてもいいだろ。今は……ギルベルト殿、だったか?あの人も来るんだ、戦力としては申し分ない。お前はお前にしかできないことをしたほうがいいじゃねえの?」
「でも僕が行きたいから」
「……そんなにあのバカ兄貴が大事かよ」
 シルヴァンの爪先が地面を何度も叩く。
「うん」僕は頷いた。「大事だよ、みんな、君だってそう」
 だって姉さんは彼を愛していた。僕にとっても、もしかしたら、家族だったかも知れない人だ。
「フィラムさんのためには踊らないのに?」
「それを言われると痛いけど……。でも、姉さんのことだって大事だよ。僕は大事に思っているつもり」
「その、つもりっていうのは、だいぶ誤解されてるんじゃねえか?」
「誤解?」
「ずいぶん揉めたんだろ、なんだ、その……殿下と」
「ああ、そういう……でも、誤解されるのは成功だから、いいんだよ」
ちょっと前、ディミトリにこの件について詰められたことを思い出す。あれ以来、彼とは口を聞いていない。
「ねえ、シルヴァンは全部わかってるのと何も分からないのとどっちが幸せだと思う?」
「急にぼんやりした話を始めるな……大雑把に返すなら、時と場合によるんじゃねえの?」
「やっぱり?全部大事でもさ、全部を同じように大事にしたらダメなのかなあ」
「全部同じだってんなら、全部を雑に扱ってんのと大して変わんねえよ」
 僕は笑った。本当にその通りだと思ったからだ。
「ねえシルヴァン、お花をありがとう」
 白い花は姉の好きな花だった。だからこれはきっと、僕ではなくて、シルヴァンが姉のために用意してくれたものなのだろう。
 花束と手紙を抱えて席を立つ。手紙は僕宛でも、花はそうではないから、ちゃんと送り先へ届けようと思った。
 暗がりから影の境界を越えると刺すような太陽光が降ってくる。目的の石碑は光の雨を浴びているみたいに輝いていた。眩しさで目が焼けそうだった。
 共同墓地の一角には、女神に仕え、そして殉じていった修道士たちのための石碑がある。僕の姉の名前もそこに刻まれていた。名前が刻まれているだけで、姉さんがこんなところにいるわけはないのに、贈り物の届け先はここになってしまうのだから、なんだか可笑しい。
 石碑の足元に花束を供えた。
 彼女はここではない、地面の下。目を閉じて眠っている。もうずっと、この先もそうなのだ。
 少しだけ、目を閉じる。手元に残った手紙を握った。
「何やってるんだ?」背後からシルヴァンの声。
「凍らせてる」
 目を開くと、手の中で紙切れは薄い氷の板に変わっていた。指で弾くと、美しい塵芥になって、風の吹くまま飛ばされていく。
「あはは、綺麗だね」
「……お前、そんなんだから誤解が解けねえんだよ」
「だから、それで成功なんだって」
 飛んでいく光の粒の行く末を眺めようと、僕はまた目を細めた。


 僕がガルグ=マクに留まっているのは、家に帰れないくらい両親が怒り狂っているからだ。表向き、そういう話になっている。
 何を怒っているかと言うのが手紙の話。
 死んだ姉の弔いを僕はしていない。姉の後を継いで、ノモスの踊り手に、嫌な呼び名だけど、銀の小鳥になったのだから、僕は彼女を弔わなければならない。何百年と踊り続けてきた先代達に対する礼儀だ。そういう儀式がある。
 本来は、仕えるべき王に任命されて、やっと銀の小鳥を名乗るわけだけれど、今は王がいない。しかし、どういうわけか、国の摂政が指名してきた。だから、一応、王国内ではそういうことになっている。僕に紋章がないから、気まぐれに指名したのではないかと言う噂を聞いた。摂政の紋章嫌いは有名な話だから、そういうこともあるのかな、とは思う。
 だだ、僕には関係がない話だ。
 どうでもいい。事情も呼び名も役割も。
 自分の体がままならないことくらい、いくらでもある。踊りたくない相手にも踊ってやった。祈っている振りをした。死んでくれと願いながら勝利の舞を踊ったことすらある。だけど、姉さんのために踊るのだけは我慢ならない。
 そんなこと、してやるものかと決めている。
 踊らねえの?とはそういうことで、両親が怒っているのも、あながち、間違いではない。手紙の内容も真実だ。誰に見られても困らない。
 だから毎度、手紙は破くなり、焼くなり、砕くなり……。趣向を凝らしている。なるほど、どおりで何年経っても帰れないわけね、と思ってもらえれば成功だ。
 ただ今回の手紙は、文面から切羽詰り具合が滲んでいて、いよいよ本当に帰ってこいと言っているのだとわかった。
 ディミトリがガルグ=マクに来たのなら、僕がここに留まり続ける理由はない。事情は嫌と言うほどよくわかるけれど、今回ばかりは見なかったことにすると決めた。
 マイクラン=アンシュッツ=ゴーティエ。
 彼を止めないことには、帰るに帰れない。


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