フレンが失踪して一週間が過ぎた。
 セテスは憔悴しきっていて、代わりに猊下が直接、あれこれと指示を出している。
 騎士団は街の方を捜索することになり、同僚たちと二人一組になって、街を歩き回った。外郭の街では最近になって不審者の目撃情報が相次いでいるそうで、単独での行動は控えるようにとの指示だった。なんでも、武器を携えた騎士風の人物が夜な夜な街を徘徊するのだとか。まだ直接遭遇したことはないけれど、相当不気味な雰囲気があるようで、”死神騎士が、その鎌で命を刈りにくる”とまで囁かれているらしい。
 街を探し回っていると、時々、彼女と訪れた店の前を通りがかる。相変わらず繁盛しているようで、以前と変わらず明るい雰囲気に包まれていた。
 こういう場所にこそ、こっそり隠れていそうなのに。
 陽の入らない裏路地だとか、人気のない建物だとか、そういった場所にフレンがいる姿を想像できない。無理やり思い描こうとすると、彼女の姿ばかり酷く浮いた、おかしな絵が見える。
頭を振った。
「ステイシア、そろそろ交代の時間だ。一旦修道院に戻るぞ」
「ええ、わかりました」
 同僚の声に頷いて、踵を返す。
 遠く、青空を背負った修道院が見える。何重にも重なる城壁が隆起した地形の間を埋め、何本も尖塔が空に向かって立っている。こうしてみると、随分大きいのだなと改めて思う。人一人くらい、いくらでも隠してしまえる。よくよく探せば人目につかない抜け道がいくつもあるだろう。少しだけ、王都にも似ているように思った。構造というより、雰囲気が。
 おそらく、ガルグ=マクは信仰のための象徴ではなく、何かを守る場所なのだ。少なくとも、作られた当時はそうだったのではないか。修道院はあと五年で落成から千年が経つと聞く。人間が数十回死んで、また生まれてこられる長さだ。それだけの時間があれば宗教と人の付き合い方も変わるだろう。人間と同じか、それ以上に、少しずつ姿を変えてながら、それでも、その骨格には、まだ当時の意図が残っているような気がする。そうであるならば、有事の際に要人を逃すための経路がきっとあるだろう。
 フレンが修道院を出た痕跡はないそうだ。しかし、手がかりも一向にない。つまり確かなことは何一つないと言うことだ。僕の目に見えていないだけで、探せばきっと、何かがあるはず。
 なんでもいい、少しでもいいから、何かを見つけたい。
 だいぶ、願望が入っているという自覚はあった。


 なんの成果もないから、あっという間に報告は終わった。次の交代は日暮れとのこと。同僚は一度仮眠を取ると言って宿舎の方へ戻っていった。
 修道院内でも、もう少し話を聞いて回ったほうがいいのかもしれないと思って歩いていると、ぱん、と乾いた音が聞こえてきた。音の方を見ると、士官学校の前の広場にシルヴァンが立っていた。顔はそっぽを向いて、体制は崩れかけ。どうも平手打ちを食らったらしい。
 変な現場に出くわしてしまったなと思って、とっさに外廊下に立ち並ぶ柱の影に身を隠す。様子を伺うと、頬を張った相手は腕を振り切っていて、逆の手には握り拳。背中を見ただけで怒っていることがわかった。
「いい加減にしてちょうだい!無神経だわ!」
 イングリットだ。
「無神経っていってもな、お前――」
 シルヴァンが体制を立て直す。目があった。
「げえ……」
 彼は僕を見とめると苦々しげに呟いた。イングリットが振り返る。
「ステイシア!」彼女が声を上げて駆け寄ってくる。「戻っていたのね……。何か、手がかりは見つかったの?」
「……いや、なにも」
 首を振って後ずさる。まさかとは思うけれど、これは所謂、修羅場というやつなのだろうか。シルヴァンの素行の結末については僕も何度か目にしたことがあるけれど、幼なじみ同士のそれにはあまり立ち会いたくない。
「えっと、二人は、その……仲良くしなね?話なら後で聞くからさ……」
「おい、待て!お前何か勘違いしてるだろ!?俺たちはただ、なんでフレンがいなくなったっていう話を――」
「シルヴァン!」イングリットが声を荒げる。「何度も言わせないで!」
 彼女は僕の手を掴むとシルヴァンに背を向けて歩き出した。
「え、ちょっと、イングリット?」
 立ち止まろうとすると、彼女の手が一際強く、僕の手を握る。それだけで僕の両足はおとなしくなった。振り返ると、シルヴァンが首の後ろに手を回して、ため息をついていた。
「ねえ――」
「放っておきなさい!」

 修道院内を抜けて、玄関ホールの方へイングリットは歩いていった。街から報告のために帰ってきた道を遡っていくようで、なんだか妙な気分だった。このまま時間も遡ってイングリットがシルヴァンの頬を張った事実も無くなればいいのにな。
「ねえ、イングリットってば」
 声をかけると彼女の歩みは徐々に鈍くなり、やがて止まった。イングリットはこちらに背を向けたまま黙っている。
「二人は、その……何かわかったの?」
「何もわかっていないわ!あんな妄言!」
 彼女は振り返らずに叫んだ。握られた手が痛かった。
「……フレンは自分からいなくなったんじゃないかって?」
 僕が呟くとイングリットが振り返る。なぜか彼女は泣きそうな顔をしていた。
 フレンが自分の意思で出て行ったのではないか、という話は他所でも聞いた。そうかもしれない。はっきり否定できるほど、僕は彼女のことを知らない。生まれは帝国の方で、菓子以外にも魚が好きだと聞いた。きっと、おしゃべりも好きだろう。それから、綺麗に笑う人だ。でも、それだけ。
 何を差し置いてでも、行きたい場所や会いたい人がいたのかもしれない。
 フレンが自分で決めたことなら、こんなに探したりしない。引き留めもしない。自分自身をどうするかは彼女の自由だ。飛び出したいのなら飛び出せばいい。それを拒んだりしない。
「……でも、また明日って言ったんだよ」
 手が解ける。足音がして顔を上げるとイングリットが真正面に立っていた。
「……あなた、その、前節からずっと、様子が変よ。……ねえ、ちゃんと休めているの?食事は取れている?」
「心配しないで、イングリット。そんな急にどうこうなったりしないよ」
「そんなの、わからないじゃない」彼女がゆるゆると首を振る。「だって、みんな、急にいなくなってしまうわ……」
 そうかもしれないと思った。みんな、流れていってしまう。彼女の婚約者も、兄も、姉も、みんな……。
「ねえ、ステイシア。仕事は大事よ。でも、そのためにあなたが削れてしまったら、何も、意味がないじゃない」
「仕事じゃない」僕は首を振った。「イングリットがいなくなったって、僕はこうする」
「私だってそうよ」
 イングリットが、今度は両手で僕の手を包む。ただ触れるだけの緩い力。彼女の手は毎日の訓練のためだろう、マメが潰れて少し硬い。でも優しい手だと思った。
「だから、あなたは居なくならないで」
 なんと答えればいいのか、分からなかった。うん、と言って頷いておけばいい。今までずっと、そうだったじゃないか。自分に言い聞かせてみるけれど、喉が乾いてうまく声が出せなかった。
「ステイシア、少し、何か食べていかない?」
 黙っている僕を見かねたのか、イングリットが尋ねてくる。彼女の視線の先を見ると、ホールの脇、食堂へ続く戸が開いていて、人々が出入りしていくのが見えた。
「いい……まだ、お腹減らない」
 なんとか声を絞り出すと、情けないくらい細い声が出た。
「そう……なら、せめて少し休んで。私も何かわかったらすぐ知らせるから」
 答えない僕の代わりに、イングリットはもう一度だけ僕の手を強く握った。そして、手が離れ、彼女が僕の背中を押す。宿舎へ戻れということなのだろう。僕の足は彼女に促されるまま、先へと進む。
 玄関ホールに使われている建物は天井が高いくせ、明かり取りの窓が少なく、昼でもずっと薄暗い。開け放たれた大扉から外の明かりが差し込んで、地面が光っている。
 扉から一歩踏み出すと、視界が一瞬白くなる。手をかざして空を見上げると太陽はちょうど中天の位置まで登っていた。
 きた道を振り返ると扉の先は薄暗く、イングリットの姿はよく見えない。彼女からはまだ僕が見えているだろうか。
 大広間がある建物へは進まず、脇道へ逸れた。日陰に入ると、また視界が薄暗くなる。目線を下げると、脇に垂らした自分の手がよく見えた。
 ため息。
 他人のことになった途端、手に負えなくなる。なぜ、僕はイングリットの手を握り返せないのだろう。どうして、こうもじたばたとフレンを探し回るのだろう。
 心配されていることくらい、わかる。シルヴァンが苦い顔をしたのも、イングリットが悲しい顔をしたのも、おそらく、そういうことなのだ。
 別に、僕がどこで野垂れ死のうが、どうでもいいことじゃないか。
 しかし、イングリットがそうなったら困る。彼女も、僕がそうなれば困るらしい。
 多分、何もわからずに居なくなってしまうから。
 一から十まで説明してから飛び出せば、誰にも心配をかけずに行けるだろうか。しかし、そんなことを語りたくはない。理解されたくない。自分が悲しいだとか、苦しいだとか、そんなことを他人に分け与えてなんになるというのか。
 ほら、これが僕の悲しみですよって、無理やり口に突っ込むのか。
 きっと、吐き出したくなるくらい苦い味がするだろう。
 でも、そうしないと寂しいのだっけ。
 目を瞑って、手を握る。
 寂しいのくらい、我慢すればいいのに。
 できるだろうに。
 そのはずなのに……。
 顔を上げると宿舎の前についていた。
 足は大聖堂の方へ向かって歩き出す。自分で手を握っても言うことを聞いてくれるから、僕の両足はそんなに嫌な奴ではないのだろう。


 夜警を交代して自室に戻る頃には、空の中天に太陽ではなく月が居座っていた。
 窓から月明かりが差し込んで、薄暗い自室をぼんやり照らしている。机の上の燭台を引き寄せて、蝋燭に火を灯した。また少し、部屋が明るくなる。
 外から戻った時に放り投げた鞄の中から、携行食を手探りで探す。指先に油紙のつるりとした感触があり、それを掴み出した。紙を適当に剥いで口に放る。元も今も、食べられるものでできているはずなのだけど、乾いた粘土のような歯触りで味はほとんどしない。若干塩味がある程度で、それも錯覚といわれれば、そうかもしれないと思う。
 寝台の脇に置いていた水差しから器に水を注いで、砂みたいな食感のそれを無理やり喉に流し込んだ。
 他人から差し出されるものが、全て無味な砂のようであったなら、うんと気楽なのになと思って笑う。少しむせた。
 もう、僕は随分と毒されてしまっているのだろう。
 手元に残った油紙を丸めて屑籠に放った。それは放物線を描いて籠の口へ消える。かさこそと乾いた音がした。底の方で色々なものが積み重なっている。そろそろ、捨てなければいけない。僕はいずれ、修道院を離れるのだから、全て綺麗に片付けて、身軽でいた方がいい。
けれど、それはフレンを見つけてからでも遅くはないはずだ。

 修道院の中をふらふらと見回った。途中、セテスの部屋の前に差し掛かると閉じた扉の隙間から明かりが漏れているのが見える。フレンがいなくなってから、ずっとだ。
 もともと抑えていた足音をさらに殺して扉の前を通り過ぎた。いよいよ、音を立てずに歩くのが得意になってしまいそうだ。
 階段を下ると、三叉の廊下に出る。大聖堂と、士官学校、それから墓地へつながっている。日中であれば修道士や生徒たちが引っ切り無しに行き交うのだけれど、さすがに夜が深すぎて人の気配はなかった。
 そろそろ休まないと、いい加減、明日に支障が出る。最近のセテスの様子を見れば明らかだ。彼はほとんど機能していない。
 石の壁に肩と頭を預けて、小さく息をついた。しばらくそうしていると体から壁を伝って熱が逃げていくようで、なんとなく、眠れるかもしれないと思った。手元の蝋燭が揺れる。宿舎へ戻ろうと足を踏み出しかけたとき、大聖堂の方から硬い靴音が聞こえてきた。
 蝋燭の火を吹き消して、階段の影に身を隠す。
 足音は一つだった。夜警の騎士なら二人組のはずだから、可能性から除外する。方向的に、修道士だろうか。ずいぶんと遅い時間だが、大聖堂であれば、全く人がいないわけでもない。
寝床へ帰るのなら、そのまま廊下を直進して行くだろうと思ったけれど、意外なことに足音はこちら、階段の方へと向きを変えた。
 どうしようかと思っているうちに、足音は真っ直ぐ近づいてくる。
 こんな時間に上へ行ったって、セテスくらいしかいないのに。
 腰の剣に手を掛ける。
 視界の端、石畳の上に落ちる仄かな橙色が近づいてくる。
 足音は重く、間隔は広い。おそらく男性。それなりに大きい。
 息を詰める。
 階段の手前で足音が止まった。
「誰か、いるのか?」
 聞き覚えのある声だった。
 影から顔を覗かせると、目の前に蝋燭が掲げられていて眩しかった。目を細めてその先を見ると、ディミトリが立っていた。
「お前、こんな時間にいったいどうして」
「僕は同じことを君に言いたいよ」
 剣の柄から手を離して、影から這い出した。手元の蝋燭に火をつけ直す。
「よく人がいるってわかったね」
「何か燃えた後のような匂いがしたから」
「ああ、なるほど」
 手元の明かりが原因だと言われて、少し反省した。今度からは何かを燃やすのではなくて、魔法で光源を作った方が良いのかもしれない。一定の明るさを維持し続けるのは疲れるけれど、指示を無視して一人でぶらぶらしているのだから、バレない努力は必要だろう。
「ステイシア、お前一人か?」
 ディミトリの声が固い。咎められている気配がして、僕は身構えた。
「君もそう見えるけど……」
「俺のことはいい。危ないだろう、こんな遅くに」
「いや、だから……えっと、見回り?」
「騎士団の巡回は二人組と聞いたぞ」
「あー、その……ごめん。イングリットには言わないで」
 両手を上げて、降参の意思を示す。それでも彼はさらに言い募ろうと口を開けるものだから、苦し紛れの反撃をすることにした。死屍に鞭を打つのはやめて欲しい。
「殿下もお一人ですし、その上、まだどこかに行かれるおつもりだなんて、感心しません」
「待て、その呼び方はよしてくれ」
「信心深いのは結構ですが、こんな夜更けまで大聖堂に篭られるのも、正直に申し上げて看過致しかねます。お祈りがお済みになったのであれば、どうかすぐ、お休みになって下さい。さあ、お部屋までお送りいたしますから、参りましょう」
「なあ、その言葉遣いもやめてくれ」
 寮の方へ歩き出すと、ディミトリが大股で僕を追い越して、進路の先に立った。
「わかった、彼女には黙っている。その代わり、部屋に送られるのはお前の方だぞ」
「いや、いいよ。部屋にくらい一人で帰れる」
「そう言うわけにはいかない。……わかっているのか?酷い顔色だ。そんな状態のまま、お前を放っぽり出して何かあれば、俺はフレンとイングリットに合わせる顔がない」
 ディミトリが僕の顔をじっと見据えて言った。自分の顔色はわからないけれど、向かい合う彼の顔も随分青白く見える。
「君には言われたくない」
「お前はまた、ああ言えばこう言って……」
 首を振る僕を見て、ディミトリが大きなため息を漏らす。
「こうなればもう、俺はお前に送られるしかない。その上でイングリットに事の顛末を伝えるが、致し方ないな?」
「……わかったよ、今度こそ降参。今すぐ走って部屋で寝る。だから君もそうして。これであいこだ、それでいいでしょう?」
「お前は本当に俺の言うことを聞いてくれないな……」
「かなり譲歩していると思うよ、僕は」
 目の下に濃い影がなければまだ多少はいうことを聞いただろうよと思ったけれど、黙っていた。どうせまた、小言を言われるに決まっている。


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